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OjohmbonX

創作のブログです。

ポーラー・ロゥ (8)

 決定的だったのは私がノリノリで弟の部屋のドアを壊す映像のリンクが張られたことだった。YouTubeに載ったその盗撮映像は、しかも私自身がアップロードしたということにされた。確認のために私は二、三十回繰り返し再生したが、何度見ても面白い。世界中で話題になったらしく百万アクセスを越え、コメントもたくさんついたけれど私は英語がわからなかったし、そもそも英語で書かれているのかどうかもよくわからなかった。でも何となく嬉しいものだ。それで私は、Thank you. Thank you.とコメント欄にいっぱい書いた。インターネットって、世界と繋がっているからすごい。
 けれど私の気持ちとは無関係に町民たちは怒り狂っていた。こんな頭のおかしい女が近くに住んでいるなんて許せないというわけだ。馬鹿馬鹿しい、みんな同じだよ、と思うものの一方で、確かにあの映像だけ取り出せば私は頭のおかしい女なのだ。もっとも、元の文脈から否応無しに切り離されてしまう事態を私は怒ったりしない。私が映っているからといって私の物ではないのだし、私はもともと全てさらけ出しているような存在だ。
 私の物ではない私の映像が氾濫し始め、もはやヴァンダーが主導する必要も無く私の生活は町民に監視された。様々な私の動画や音声や写真がアップされていく。町民たちは撮影・録音機材をこぞって買ってその性能を自慢し始めた。かえって消費を押し上げているので私も多少は日本経済に貢献しているのかもしれない。
 誰もがヴァンダーと同じことをするので、もはや誰がヴァンダーだか見分けがつかなくなった。目と口だけになって白さのうちに消えたヴァンダーが、さらに消えて言葉だけになったかと思ったけど、その言葉も溶けていってしまったようだ。ヴァンダーは町民に薄まっていった。
 白い布で自分をくるんで消え、町民で自分をくるんで消え、私がヴァンダーというかりそめの名前を与えてようやく、まだかろうじて存在しているヴァンダー。しかし本当に存在しているのだろうか。私はありもしない物に名前をつけて分かったつもりでいるだけかもしれない。
 でもあのインパクトの瞬間、白い肉にバールのような物の先端が接触し、抵抗をしながら埋もれてゆく、柄を伝わって得られる感触は確かだった気がする。けれど忘れてしまうのだ。骨折の痛みや胃腸風邪の熱と吐瀉の苦しみを回復すればもう、痛みや苦しさという言葉でしか覚えていられないみたいに、感触も忘れてしまうのだ。その真っ只中にいなければ分からない。あとは名前をつけてあったことにするしかない。いてもたってもいられない。あの感触を味わう瞬間をもう一度体験して、その一瞬だけでもいいから、存在を確かめたいと思った。私はバールのような物を手にして家を飛び出した。
「ヴァンダー、ヴァンダー、どこなのー?」
 こんな風に大声を出すのはとても恥ずかしい。すれ違って行く町民たちは私のことを知らないはずはないのに無視していく。私はこんなに切実なのに知らんぷりするなんて許せないし、照れ隠しもあって、私は町民たちを片っ端から殴り倒しながらヴァンダーを呼んだ。こうやって一枚一枚、町民たちの鱗を剥がしていけばいい。そして剥がしきったらあの白いカーテンも剥がして、白い肉に再びあのどす黒い赤を、墓から掘り出して着せてやろう。そうすればヴァンダーはまた見えるようになるだろう。嬉しくてにやけてくる。ヴァンダーを呼ぶ声も上ずる。途中で耐えられなくなってついに笑い出してしまった。声を上げて笑いながら町民を殴っていく。
 しかし結局ヴァンダーは見つからなかった。町民は殴られ損だし、それ以上に私の方が殴り損だ。腕は疲れるし、脚も痛い。諦めたら急に全身がだるくなって何もかもがどうでも良くなった。体を引きずって夕方の坂を上って途中で夕食を調達しようと弁当屋に寄った。
 弁当屋では全身サイボーグの店員がぎこちない動きで働いていた。ほとんど面影はないけれど、私が責任を取らせた若い女だ。私は体がじんわり温まるのを感じた。現代の医療は素晴らしい。微笑みが止まらない。こうやってまた元気に働いている姿を見られるなんて、感動する。私がにっこり見つめている向こうで険しい顔で女を睨みつけているサラリーマンがいた。サラリーマンは店員に近づいていって文句を言い始めた。
「おかしいじゃないか。ここは手作りがウリの店なのに。お前はロボットじゃないか。手作りと言えるのか。俺はロボットの作った弁当なんて食いたくないんだよ」
 何てひどいことを言うんだろう。私はちょうど自分で味噌汁をよそっていたところだったので、そのままお玉で熱い味噌汁をサラリーマンの顔めがけてかけた。熱さに驚いて店内を逃げ回るサラリーマンに執拗に味噌汁をかけ続けた。マンは店の外へ逃げていった。
「あんなレイシストに弁当なんて食べてほしくないわ。ねえ、そうでしょ?」
 私の問い掛けにサイボーグは無表情のままだった。店は味噌汁まみれだしマンの弁当代は回収できなかったけど、それでもこの子には逆境に負けず頑張ってほしい。まずは店の掃除からだね。私は温かい気持ちで温かいのり弁を二つ抱えて家に帰った。


 家に弟はいなかったので私はのり弁を二つとも食べた。表面を黒々としたのりが覆っている。緑だか青だかが行き過ぎた黒に割り箸を刺して、刺すまでは上手くいくものの、割り箸を横へ滑らせて裂こうとすると、米飯の蒸気を吸って柔らかくなったのりは素直に裂けてくれない。よれて皺を作るばかりで下の白いご飯を、そんなつもりもないのに露出させる、まるで思い通りにいかない。繊維状の線が絡み合って生じた黒い面の下は白の粒々。それを食べるのだ。弁当を二つ。この家は妙な構造をしているせいで妙な風の流れを生む。食べながら背中に風を受けて、風はそのまま私を回り込んで庭へと抜けていった。庭には墓がまだ形を留めている。箸を止めてついぼんやり墓を見てしまった。もう微生物に分解されてドレスは形を失っているのかもしれない。少し気持ち悪くて確かめる気にもならない。二つも食べれば気持ちも悪い。
 それから弟は帰ってこなくなった。居場所も知れない。けれど掲示板には連載が続けられた。町民は単に飽きたのか私に殴られたダメージのせいか、弟以外に書き込む者はいなくなっていた。ヴァンダーは町民もろとも消えてしまったのか。
 しばらくして弟の書き込みも消えた。誰もいなくなった。


(つづく)