OjohmbonX

創作のブログです。

圧力と熱 (1)

 玄関先でただいまと機械的に言うと、おかえりという声は上から降ってきた。妙に華やいだ父の声だったが表情はわからなかった。天井は高いほうが良いと父が造らせた家の、その天窓から傾いた日が金色に差し込んでいる。その日を背負って陰になった父は、吹き抜けになった玄関の二階で、柵から投げ出した足を幼児めいたやり方で揺らしながら私を見下ろしている。その隣で同じ風に座って母も私を見下ろしている。父と母は手を握り合って宙空の足をぶらぶら揺らしている。
 気づいた時にはもはやそれほど仲が良いわけではなかったはずの両親の握られた手を見た瞬間に、両親の性交を目にするよりもずっと気味の悪いものを見たようで、吐き気をもよおしたものの目を逸らすこともできずこのまま夕方が、私達を無視して通り過ぎるかと思うほど誰もが黙っていたけれど、それは唐突に破られて母の口がものを言うため開かれてその刹那、言葉が発せられる一瞬前に私が見たのは七年前の母だった。
「陰毛を生やしたね」
と小学校から帰って玄関に立つ私に、吹き抜けの二階で今と同じように足をぶらぶらさせて七年前の母が声を落としたのだ。
「生やした、生やした」
と詰るように、囃し立てるように母は声を重ねた。そして母は奥へ消えて私一人残された。このとき父はいなかった。
 そして母は私とは無関係にお茂り祭りを始めた。お茂り祭りは、弟には開かれなかったところを見ると女にだけするようだった。
 食卓にはひじきが大量に供された。娘の陰毛の繁茂を祈念してのことだった。ひじきの他は飯があるだけだった。祭りは十日間続いた。昼の弁当にもひじきが入るようになった。初日はおかずのひと品として、二日目はメインのおかずとして、三日目はそれがおかずの全てになり、四日目以降は飯すら消えて弁当箱にはひじきだけがみっちり詰められていた。とても同級生の前で開けられる弁当ではなかったから昼は前日にこっそり買っておいたパンで済ませて、ひじきは帰り道に川に流した。
 流した次の五日目、川には「ひじきを流すな」と立て札が立てられていた。脇には「許すな環境破壊!」とも書かれていた。私は看板を引っこ抜いて川に捨てた。ひじきも川に捨てた。欄干の上に立って川の上に立つと背中に風が当たり、問答無用で肯定された。伸ばした腕の先で弁当箱を引っ繰り返すと、いっせいにひじきたちが風に流されて散っていった。夕日がひとつひとつをくっきりときらめかせてひじきたちは散っていく。細かな波だちをことごとくオレンジ色に輝かせた川面に落ちてひじきたちは水にのまれた。海へお帰り。さようならさようなら。
 ふいに視界が歪み足元を危うくした。川の側へ落ちかけて、いけないと思ったがすぐに、良い、私も海へという誘惑に上書きされたがいきなり服の背をつかまれて橋の側に引きずり戻された。
「君のような子供は自殺してはいけない。生きていれば、必ずいいことがあるのだ」
 私を助けたつもりらしいおじいさんが、自動的に説教を始めていた。アスファルトの橋の上に尻餅をついた私を見下ろしながら、君と同じくらいに私が若かったころはな。
 私は戦後の貧しい時代を懸命に生き抜いた云々。そのかつての懸命さをひたすら抽象的に、理念的に語りながら、自分の声の大きさがおじいさんを更に興奮させるらしくますます声は大きくなり、ほとんどこの痩せぎすの骨がばらばらになるのではないかと疑われるほどの大声で口の端には泡が溜まり白目を剥いていた。
 その途中で急に黒目が戻ってきた。冷静さを取り戻しておじいさんは、入れ歯を取り外してズボンのポケットにしまった。そして別のポケットから別の入れ歯を取り出して装着した。
「こっちが会話用の入れ歯なんだ。さっきまでのは、食事用の入れ歯だった」
 おじいさんははにかんで、言い訳みたいにそう言った後、泡を吹きながら白目で喚く作業を再開した。私には入れ歯の効果はよく分からなかった。
 おじいさんの話がようやく七十年代に入ったところで私は、地面についた手で身体を支えつつ最小の、最も効率の良い動きで、おじいさんに足払いをかけた。視界の端で、歩道と車道を分けるガードレールの柱におじいさんがゆっくり頭を打ち付けるのを見つつ、足払いの反動を利用して身を起こし、立ち上がる反動を利用して駆け出していた。この先がひじきの待つ家であるとしても、私には海がない。
 土日は祭りも休み。明けた六日目は橋の上で大人たちが私を取り囲んだのだった。自治会の役員だという。自治会長は五日目のおじいさんだった。頭の右側面が凹んでいた。てっきり死んだろうと思っていたので私はうれしかったのにおじいさんは怒っていたので私は悲しかった。どうして素直に、生きていることを喜び合えないのだろう。今日もいい天気なのだ。昨日も晴れ渡っていた。なのにおじいさんは二日連続で怒っている。
 橋にはいくつもの立て看板が設置されていた。自治会の人たちはうれしそうに誇らしげにそれら一つ一つを私に見せて回った。私の捨てた看板の複製や、ひじきのキャラクターが泣いているイラストに「ぼくを川に捨てないで」と書かれているもの、もっとシンプルに「死ね」とだけ書かれているものもあった。最後の一枚は、板のところどころに黒の油性ペンでよれよれの線が細切れに書かれているだけのものだった。
「ワシが描いたの」
と会長が恥ずかしそうに言った。ひじきを表現しているの。
 最後の看板にたどりついて次が無いので、会長の立てたこのゴミを見つめて全員が押し黙ったままになった。気まずさをゆっくり通り抜けて、沈黙が穏やかな優しさに変わり始めたころ、急に会長が怒り始めた。
「貴様、昨日ワシを殺そうとしたな」
 せっかくの雰囲気を台なしにされて私は反抗的な気持ちになった。おじいさんを無視してまた欄干に足をかけた。何か勘違いしたらしい彼らは私を引き留めて宥めた。勘違いされたことがさらに鬱陶しく、ますます腹が立って鞄から弁当箱を取り出して開けた。
「ワシを殺そうとしたのみならず、貴様、ひじきもまいていたのか!」
 私はひじきをつかんで会長の顔を目がけて叩きつけるように投げた。けれど突風に煽られて、ひじきはみんな私の顔に降りかかった。大人たちは笑った。
 結局数で敵わず、羽交い締めにされて無理やりひじきを食わされた。自分の父親ほどの年の男に脇から腕を回されて背から捕まえられると、生乾きの体臭と、汗の湿り気に吐き気がするのに、会長の堅くがさがさした皮膚に鷲掴みにされたひじきどもが、口に押し付けられる。口を固く閉じて拒絶するが、おばさんが私の鼻をつまんで呼吸を許さない。苦しさに口を開けばただちにひじきが口に入れられる。
 そうして六日目のひじきたちは海へ帰らず、私の腹に収まった。
 自治会役員はひじき散布の件を私の学校へ通報した。学校は親を呼んだ。母は教師に事情を伝えられている間は一言も口をきかず、湿った目付きで教師を、というより教師を透過して後ろの壁をほとんどまばたきもせずに見続けていた。そして最後に一言、断ち切るように言って母は引き上げた。
「ご迷惑をお掛けしました先生。もう大丈夫ですから」


(つづく)