OjohmbonX

創作のブログです。

圧力と熱 (2)

 八日目、弁当のみならず通学カバンの中もひじきだらけになっていた。これが母の言う大丈夫かと思った。ついに同級生にもこの祝祭を知られた。この日は同級生が手分けして彼らの腹に収めてくれた。
 九日目の放課後、私は仲の良い女友達に呼び出され連れられ音楽室へ入った。音楽室には、合唱用のひな壇に並んだ同学年、六年の女子たちが私を待っていた。六年の女子全員ではない。およそ半分の三十人程、特に私と親しいかどうかとは関係なく、よく見れば下の学年の子も二人混じっていた。私を導いた友人が、ひな壇の最前列の右端へと収まって、一人指揮台の脇に立ち尽くしたままの私を手招きした。
 目の前に立った私の手をやさしく取って彼女はスカートのウエストから中へ導いた。スカートの中どころか下着の中へ進んだ。彼女の滑らかな、板のような下腹部を撫でながら進んだ手のひらはその先に、柔らかいクッションに似た、産毛と呼ぶには育ち過ぎた、けれどまだ弱々しすぎる陰毛をその指の間に収めることになった。
 あわてて私は手を引き抜いたが彼女は微笑むばかりだった。彼女の左隣りの女子が私を導いて同じような動作で今度は、もっとたくましい繁茂を私の手に見せた。その次の女子は力強い毛がまばらに立つ女だった。そうして順々に女子たちをまわって手は許しの喜びを与えられていった。この学校の、陰毛の生えた全ての女子の陰毛を触覚で確かめたところで最後に一人、男子が残っていた。顔は知っていたけれど今まで同じクラスになったことも会話を交わしたこともほとんどない彼は、私よりも少し小柄な体を、ひな壇の表面の毛足の短い絨毯から、まるで最初からそこに生えていたような様子で苦もなく重みもなく支えていて、手をかざせばそのまま擦り抜けそうなくらいに透明な表情をしていた。流れのまま彼の目の前に立ったはいいけれど、何もできずにいる私の手を迷わず取って彼は、女の子たちと同じやり方で股間へその手を導いた。ちょうど彼の髪がそうであるように、手の、指と指の間に抵抗もなく収まった彼の陰毛はとても柔らかで、犬のようだった。犬の毛がこんなに柔らかだったかは、飼ったこともないし近所の犬に触れる習慣も持っていなかった私の知るところではなかったけれど、おそらくそうだろうと思った。その細い毛の一本一本が空気をはらみながら私の指を撫でるやり方とは別のやわらかさでその指の先に、何かふんなりしたものが触れた。それが何かを悟るより一瞬前に、不思議に思う気持ちが確かめようと指をさらに進めて、進み過ぎた手は思わずそれを覆う形になった。いっそうふんなりして、表面の滑らかさがより柔らかさを際立たせていた。
 あ、とかすかな声を上げて彼は、いきなり私のスカートのウエストへ手をつっこんだ。私の誰にも見せていない毛を彼の手は見た。私が自分自身で触れた時の感触の記憶が流れて、私が私の毛に触れているように思えて、今実際に触っているこの毛が私のものか彼のものか曖昧になるけれどかろうじて、ふんなり、ぽんとしたかたまりに救われて、私と彼は一体になったり分離したりを明滅させていた。ぱらぱらと雨の振る音がして、けれど外の光は目の前の透明な表情を傾き掛けた日の差し込みで輝かせていた。雨ではない。二人で薄い膜に包まれたようでほとんど、耳は鋭さを失って、音と光の齟齬を受け入れかけていたのに、彼が私から突然手を引いて膜は、薄さを無限に小さく取り始め、存在するのに厚みをゼロにした。私は厚さゼロの膜に包まれて以前と変わりないが決定的に違うという二つを共存させていた。膜厚がゼロに達して雨に思えた音は、拍手だと気づいた。ひな壇の女の子たちが私に拍手していた。目の前の男の子も拍手をしていた。私も彼から手を引き抜いて拍手した。拍手は天井と床に跳ね返ってくり返しくり返し、何度も降ってきた。目は開けていてもいなくても光が飽和するので同じだった。
 皆で日が暮れないうちに川へ行き、ひじきをまいた。日はさらに傾いて紫を孕んだ赤で容赦なく町の全体を犯していた。空と区別がつかないような赤紫の川面に、真っ黒いひじきが吸われていった。
 葬送のような暗い顔付きで、けれど腕の振り方は華やかにひじきをまいていた私たちに向かって、自治会が駆け寄ってくるのが見えた。なぜか何も音がしないのだった。彼らは驚いたような怒ったような、ちょうど自分が触れてもいないのに独りでにテーブルの端から倒れ落ちる水で満たされたグラスを、まだ空中にあるグラスを、あわてて砕ける前に掴もうとするようなやり方で私たちに走り寄るのだ。全速力で駆けてくるはずなのに、口は叫びを形作っているのに、どうしても音もなくゆっくり動いているように見える。距離感さえ定かではなくなった。私たちの中からふいに自治会の役員へ向かって飛び出した者がいた。剛毛の女子だった。その時点で役員たちは思いの外私たちのすぐ近くにいた。最も若く、体力もありそうな中年の男が一人先行していた。剛毛の女子は一歩深く踏み込んで、同時に身体も沈み込ませて、中年の男の懐に入り込んだかと思うと、左の手のひらで男のみぞおちあたりを支え、右手で男の袖口を掴み思い切り引くと、男はそのまま弧を描いて走る勢いのまま欄干を越えて川へ飛んでいった。逆光で赤の中を黒く抜いて男は、ひじきの中を川へと飛んでいった。
 そこからは、決められた不規則を舞うように舞って、音もなく、時間の分解の幅が突然狭く、滑らかに、ゆっくりゆっくり陰毛の生えた小学生たちも自治会の役員たちも誰もが赤の中を黒く抜いた影になって揺らめき、次々に役員たちと看板が川に投げ捨てられた。海へお帰り。さようならさようなら!
 ひじきと役員たちが川へ流されてゆくのを静かに見送る私たちの中で、一人涙を流している女子がいた。私は彼女の陰毛が仕立てられたばかりのフランネルの服みたいに短く柔らかく股の肌を覆って私の手に懐かしくて安心させる感触を残したのを思い出した。それと同時に私は、私だけではなくその場にいた全員が、さっき川に捨てた自治会役員の一人が彼女の父親だということも思い出していた。彼女の父親はPTAの会長も務めていたから皆その顔を知っていたのだった。彼女は日を飲み込みつつあるずっと先の川下を眺めて涙を流していたが、決然とした風ではなく、あまり意思もない顔つきだった。私は彼女に何か声を掛けなければならなかった。私がそうしたいと思っていたのではなく、雰囲気が強要するのだ。こんな、全身を甘い砂糖水に漬け込んだ小さな世界にあってなお、世間はいまだに機能している。私が彼女に訊かなければならないとその場の誰もが実際に思っていたかどうかというより、私が想像する皆の思考が私を強制する。要するに空気を読むというやつを不断に強いられているというだけのことだけれど、いったい、何を話しかければいいのか知らなかった。焦れば焦るほど、まだ声を出してもいないのに声がかすれていく。きっと今声を出せば上ずっているかかすれているか、早口になるかつっかえるかする。もっと、何気なく、さりげなく……
「お父さん、流れちゃったね」
 ああ、何を言っているんだ。という顔を私は今しているだろうしみんなもしているだろうと、ちりみたいに細かい針が空気中に漂ってかゆみを少し通り越した痛みを全身に与えるので分かるのだったが、彼女は気にもしない。
「いいんだ。どうせ、後先の問題だし。それが今日だとは思っていなくて少し、びっくりはしたけど」
「でもさあ、自分の父親が同級生の手で川に捨てられるのってどんな気分なわけ?」
 言ったのは私ではない。髪をつんつんに短くして猿みたいな女が不躾に言った。髪とそろえているのか知らないけれど下も刈りたてみたいにスポーティな陰毛だったことを思い出す。この女をみんなが咎めるような目で見た。この睨み、これが世間だった。本当は直接言われた彼女だけがすれば済む目。なのに言われた当の彼女は睨みもせずにやつくばかりだった。
「あんたの父親もあたしが捨ててあげよっか」
「マジでー? たのむわぁ」
 猿が本気とも冗談ともつかない調子で言うから私たちは吹き出した。哄笑の中にあってひとり男子だけがきょとんとした顔をしていたけれど、それも含めて、この場でようやく全部を許し合えていた。
 それから私たちは綿毛が吹かれたように散り、その日を以てお茂り祭りは終わった。


(つづく)