OjohmbonX

創作のブログです。

他愛なく無用である (7)

 その日からリハビリが始まった。吉岡はほとんど毎日やって来ては具体的なアドヴァイスも無しに大声で叫んでいた。「集中しろ、集中しろ!」「どうした、涙は明日の糧になるんだ」「無理やり元の手足に似せようとするからかえって、それが似ていないという印象を抱かせる。はじめから、義手義足にとって真に機能と美を兼備したかたちを追求すべきなのだ。我々がたどり着いた結果がそれだ」「できる、できる、カモン!」
 その間に男子大学生は自首した。テレビに高木優月と名前が出た。もう周さんには飽きてまだ私には会えないマスコミは、高木の実家にたかった。連日の押掛けからしばらく経って、高木の親の希望で生放送で謝罪することになったらしい。玄関先で母親は泣いて謝っていた。とんでもないことで、本当に私達もどうしていいのか、育て方が、云々。父親は瞑目したまま黙っていた。お父さんはどうなんですかと中年の女に差し向けられて、父親はゆっくりひざまずき、土下座した。
「世間の皆様すみませんでした」
 画面からも取り囲む人達、スタジオの人達、それから母親の困惑が見て取れた。しかしその中から職務を忠実にまっとうしようと意気込むさっきの中年女がその背中に向かって言う。
「被害者に謝罪して下さい」
「皆様のおっしゃる通りです。皆様、本当にすみませんでした」
 父親はあくまで謝罪の対象を皆様に据えたまま崩さない。別のテレビの人間が、でもあなたがこんなことをしても、被害者やその家族の悲しみは消え云々。父親はゆっくり腰を伸ばして、さらに地面に接近し、ついにうつ伏せに寝てしまった。手足はぴったり閉じられている。土下寝であった。
「これで、どうかひとつ!」
 困惑の極みに達してついに誰もが黙ってしまう。
「どうかひとつ、お願いします!」
 私は大声を上げて笑っていた。何事かと廊下を通りかかった看護士が覗いても気にならなかった。ただひたすら、清々しさが尾を引いてさわやかだった。正しいことが為されたと思いうれしさがその後も間歇的に噴き上げた。
 これから高木は、両親や私や世間の感情とも、彼の無邪気さとも無関係に罪に問われる。私は高木の行為の一切に対して許す以前に怒ってもいない。存在しない「被害者感情」などを一切無視し、ただその行為に対して機械的に責任を認めてくれればいいと願っているが、きっとそれを世間が阻むのだろうと思うと、さっきの嬉しさも幾分曇った。
 ともかくリハビリが完了した。左右計二十本の指、というより触手の自在を得るに至った。退院に伴って記者会見が自動的に開かれた。両脇に執刀医の上司と吉岡の上司が同席した。冗談のような数のカメラと人が集まって私はひどく高揚し、腕を振り回しては何か幸福について語り続けた。指はコントロールを失って吉岡の上司の髪を掴んで引き上げた。何の抵抗もなく髪は彼の頭皮を離脱した。そもそも生えておらず載っていただけの髪だった。出席者全員に軽い驚きと緩やかな悲哀をもたらし、冷静を取り戻した私の指が髪を元の位置に戻した。会見はテレビでも新聞でもごく小さな扱いに留められ、髪の事故も省かれた。(ただしインターネット上ではしばらく驚きと悲哀が共有された。)その後マスコミは現れなくなった。
 しかし一人の雑誌社の男が接触してきた。男は始終口を、別にガムを噛んでいるわけでもないし、それほど年老いている訳でも無いのにもぐもぐ動かしていた。高木が盗撮した私の映像があるという。その映像と交換に詳しい話を聞かせろと要求した。警察の押収した映像をさる筋から入手したがそのまま誌面に載せれば目をつけられてしまう。それでこんな取引をしていると男は説明した。私には話していないことなど残っていなかったが黙ってビデオを見せてもらった。
 映像の中でまだ萎えた手足を生やした私は、時折激しく痙攣したり頭を激しく左右に振ったり、大声で意味の通らぬことを喚いたりしている。あろうことか男と一緒にいるときでさえ突然取り憑かれたように絶叫している。自分の認識ではとても穏やかで、最も鈍い時間の日々だったがまるで違っていた。ひどく裏切られた気がして腹いせに、雑誌社の男に自分にはもう話すことなどないと苛立ちも隠さずに言って、言った直後に激しく後悔した。ただの八つ当たりをそれと知っていて犯してしまう自分に嫌気がさした。男はいっそう激しく口をもぐもぐさせた。焦点の合わない目をして狂ったようにもぐもぐし始めたので私は気味が悪くなって帰ろうとした。私が席を立つのと同時に我に返った男が制止した。そして相手を悲しくさせるほど寂しそうな顔で目も合わせずに、いいんだと言った。ただ本人が語ったという保証が欲しいだけなんだ。後ろめたさも手伝って私はこれまで散々語ってきた話を男に語り直した。


 久しぶりに出勤した。同僚たちがやたら、監禁されてしょうがなかったんだよなと自分を納得させにかかっていたから、いつでも出ようと思えば出られたのだとあれこれ詳細に説明を始めると同僚は、黙れと怒りも露に言った。休んでいた間に私の机は整理されていたから私は会社を辞めて蘇我に連絡を入れた。蘇我は携帯電話、自宅の電話番号を変更して私から逃れようとしていた。しかし住所までは変えていなかった。ちょうど私が路上で彼女のマンションを見上げていたところに彼女が帰ってきた。離れた位置で私の姿を認めるとそのまま踵を返して逃げだした。私は追いかけた。彼女は桁外れに足が速かった。少しずつ距離を離されたが、私が足をターボ・モードに切り替えるとまた少しずつ縮まった。人通りの多い歩道を二人が走り抜ける。彼女が抜けたところで横断歩道が赤になり私がさしかかったときには車が走り出していた。しかし私はスピードを落とさずむしろ、さらに速める。一方で時間は細切れになる。右からきた一台を、バンパーをかすめながら身を翻して避け、その次の左からきたトラックは車体の下をくぐり抜ける。そうして横断歩道を済ませると時間が元の流れを取り戻し、先に見える蘇我が左の路地に入るのが見えた。それを追って私も路地に入った瞬間、私は車に轢かれた。身を起こすと運転席の若い男の、表情を失った目に合ったが構っている暇が無いので車を手で脇にどけて蘇我の追跡を再開した。距離を着実に縮めてゆき、単調な道で追い抜きざまに蘇我を小脇に抱えて走り続けた。日も暮れかかりなお走り続けて県境の橋にさしかかると苦しげに蘇我が帰りたいと漏らしたので反転して正確に来た道を戻った。
 蘇我の部屋にはワイルドな感じの男がいた。私が帰るよう促すとその猿顔を真っ赤にしてこれは俺の女だと主張し始めた。人が欲しがるから惜しくなったのと、自分が蔑ろにされるのを耐えられないただの意地から主張しているのだと了解した。私は微動だにせず押し黙って男の目を見据え、ただ手の指だけを激しく蠢かせ続けた。男はますます顔を真っ赤にして喚いたが、私が眉根の皺をますます深くしてさらに指を蠢かせていたから殴り掛かりもできずにいた。ついにもういいと言い捨てて男は消えた。私は蘇我と夫婦の契約をした。私は蘇我の姓になった。自分の姓をすっかり忘れてむしろ蘇我の方が馴染み深かったからちょうど良かった。


(つづく)