OjohmbonX

創作のブログです。

 高専1年生のとき音楽の授業で,何か1曲決めて歌うなり演奏するなりしてそれを披露するという課題があったのですが,僕はシューベルトの『魔王』(歌詞は日本語版)を歌いつつピアノ伴奏もするというちょっと無謀なことをしまして,それはまあ,かなりの練習のかいもあっておおむね成功しました.以下に歌詞を紹介します.今日,歌詞を紹介する意味というか意図は僕にも分かりませんが,人間だもの自分にもよく分からないことをするのは往々にしてあることでしょう? 察せよ.

語り手「風のように馬を駆り駆けり行くものあり 腕に童おびゆるをしっかとばかり抱けり」
親父「坊や何故顔隠すか」
坊や「お父さんそこに見えないの 魔王がいる怖いよ」
親父「坊やそれは狭霧じゃ」
魔王「可愛い坊やおいでよ 面白い遊びをしよう 川岸に花咲き綺麗なおべべがたんとある」
坊や「お父さんお父さん聞こえないの 魔王が何か言うよ」
親父「なあにあれは枯葉のざわめきじゃ」
魔王「坊や一緒においでよ 用意はとうにできている 娘と踊ってお遊びよ 歌っておねんねもさしてあげる 良い所じゃよさあおいで」
坊や「お父さんお父さんそれそこに魔王の娘が」
親父「坊や坊やああそれは枯れた柳の幹じゃ」
魔王「可愛や良い子じゃのう坊や じたばたしてもさらっていくぞ」
坊や「お父さんお父さん魔王が今坊やをつかんでさらってゆく」
語り手「父も心おののきつ喘ぐその子を抱きしめ 辛くも宿に着きしが子は既に息絶えぬ」
 この『魔王』の実際の演奏を聞くと,延々と続く高速の三連符が独特のおぞましさや,馬の疾走感を演出しており,坊やの一人称が「坊や」であることも気にならないくらいの奇異な名曲となっておるわけですが,歌詞だけ見ると意外といじらしい.坊やではなく,もちろん親父や語り手でもなく,魔王がいじらしい.
 坊やとは
1.男児を親しんでいう語。江戸時代は女児にも用いた。
2.世間馴れしていない若い男。おぼっちゃん。
 とのことらしく,この『魔王』に出てくる坊やは1でなく2の坊やだと僕は考えています.若い男.そう考えれば,実際の演奏で異様に声が野太いことのつじつまも合います.
 
 魔王は大きなため息をつきました.それというのも娘が562回目の見合いに失敗したからです.ゆくゆくは婿に魔王を継いでもらわなければなりませんから婿入りが結婚の必須の条件なのですが,魔王の住む冥界はコンビニエンスストアも無ければJRも通っていないような不便な所であることと,また「冥界」という名前が見合い相手に何だか恐ろしげな所だという印象を持たせてしまってどうにもこうにも上手くいきません.もちろんそれだけが見合いの上手くいかない原因ではありません.娘の器量がよくないのです.いや,容姿は十人並とでも言ったところですが娘はどうも勘違いしているところがあって,見合い相手に変な媚を売り,ブランドのバッグを買うようせびったり,食事に行くときなど,ああんあたし割り箸割れなあい,などと言ったりするのです.さらに近頃は冥界に若者が少なくなりました.昨今は医療技術が大変に発達しているため死ぬのはじじいばばあばかりです.若者が死んだとしてもやはりその「冥界」という名前がいけないのか,みんな「冥界」を選んではくれず平成14年の「死後の世界ランキング」では過去最低の29位となってしまいました.実際には荒涼とした大地の広がる恐ろしげな世界などではなく,山や川のある(というか山や川しかない)美しいところで,魔王自身が率先していろいろパンフレットやポスター「おいでませ冥界 心休まる黄泉の国」を作ったりもしましたがあまり成果は上がっていません.最近スローライフが流行しているせいかまれに若者が来ることもあるのですが,何だか朴訥として魔王に相応しい感じではありません.それでも贅沢は言っていられませんから見合いを申し込むのですが,娘の「勘違い」のせいで上手くいきません.自ら進んで田舎暮らしをするような青年には媚びるタイプの女を好まない傾向があるようです.
 このまま待っていても婿は現れない.そう見切りをつけた魔王は562回目の見合いが失敗してすぐに現世に降り立ちました.自ら婿を選び,最も良いと思われる婿を無理やりにでも冥界につれてくることにしたのです.さすがに都会に住む若者では冥界生活に耐えられないかもしれないので,比較的冥界に似ている北海道に行きました.婿探しを始めて4日目に牧場で働く若者を見つけました.なかなか精悍な面構えでこれなら魔王に似つかわしいようにも思えます.さらに3日ほどその若者を観察してみましたがますます気に入りました.慈愛に満ち溢れ,北海道の大地のとてもよく似合う好青年です.ぜひ娘婿に! 魔王は決心しました.あのう,そう言いながら馬の世話をする若者に近づくと,聡明な若者はそれが魔王であることを瞬時に見抜き(北海道の小学校では4年の社会で「冥界」を教え魔王の写真も教科書に掲載されているのですが,そこではかなり歪曲された冥界が紹介されていて,それをこの若者は残念ながら覚えていたのです),若者はすばやく近くの馬に飛び乗り逃げていきました.
 しばらく呆気に取られていた魔王でしたがはたと我に返り,このまま逃げられてはいけない娘婿になってもらわなければいけないのだ,と追いかけました.年老いているとはいえ腐っても魔王,馬にはすぐに追いつきました.
「お父さん,魔王がいます!」
 魔王が馬を見上げると,牧場主である若者の父親も馬に乗っているではありませんか! しかし,そんな瑣末なことはどうでもよろしいと,魔王はとにかく若者の説得を始めます.
「『冥界』に来て頂けないでしょうか.楽しい遊び(年に1度の冥界祭り)もあるんです.春になると川岸には花がたくさん咲いて大変美しい土地柄です.それに綺麗な服もたくさんあります(冥界は繊維工業が盛ん)」
 若者は魔王の話を聞こうともせず馬をどんどん走らせます.
「どうか一緒に来て下さい.すでに生活の用意はできています.娘との婚姻の際には,歌,踊り,など楽しい遊びも用意しています.冥界では日没にはみんなもう眠りますから,たっぷりとした睡眠時間を確保できます.とにかく冥界は良い所なんです」
 いかに魔王といえども,全力疾走する馬と並走しながら話をするのは大変につらく,酸素が脳にいきわたらず意識も朦朧として,だんだん冥界アッピールもおかしなことになってきました.これ以上は上手く話せないし,どのみちこの若者は話をまともに聞いてはくれない.魔王は説得するのをあきらめてしまいました.
「あなたは大変素晴らしい青年です.一般にこれを『さらう』と言うのかもしれませんが,とにかく,冥界に来て頂きます」
 馬と牧場主である父親が馬小屋に戻ってきたときには,若者は死んでおりました.父親は大変に悲しみましたが,近所の医者に「心臓発作」だという死亡診断書も書いてもらい葬式などの一連の儀式を済ませた後は,また元の生活を続け,74歳で生涯を終えて後,牧場は次男の秀行が継いだので何の問題もありません.