OjohmbonX

創作のブログです。

 駆け込み乗車をした乗客に「それがもとで怪我をした場合そちらの責任」と放送で言った車掌がいた,というニュースを見たときに,3年ほど前バスの扉に挟まれたことを思い出した.別に駆け込み乗車ではなくて,列の最後尾に並び,自分より前の客が乗り込むときに生み出される「リズム」のようなものを崩さぬよう粛々と乗り込もうとしたら挟まれた.それなりの速さで閉まったが扉が重くなかったのと,慌てたようにすぐ開いたため痛くはなかった.が,他の乗客にくすくす笑われ恥ずかしいし運転手からは何の謝罪もなくて悔しいしで,この恥ずかしさ悔しさを身体から排出するには右手で左の二の腕を,左手で右の二の腕をつかみ自分で自分を抱くようにして足をぴたりと閉じ,膝,腰,肩,頭を適当に揺らす,つまり,くねくねする.このくねくねは恥ずかしさ悔しさを表現し,それらを体内から体外へ徐々に滲み出させる効果を持つが,誰も居ない自室ならともかくここは公共の場であって,くねくねした場合体外へ滲み出るより多く早くくねくねに対して理解のない周囲の客の嘲笑などにより新たな恥ずかしさ悔しさが体内に溜まる一方.というわけでくねくねによる排出ができないため他の方法を考えねばならず「挟まれたんですけどー」と運転手から謝罪を誘導できそうなことを言おうかと考えたが何だか恥ずかしい.これは言い方のせいではなくて「挟まれたじゃねえかこらー」とか「あなたの操作ミスにより私がドアーに挟まれたことに対して謝罪的な何かを」とどんな言い方をしても恥ずかしいと感ぜられるのは扉に挟まれたことでただでさえ目立っているのに謝罪を求めるという行動によりさらに目立ってしまうことを恥ずかしいと感じる目立つことを極度に厭う脆弱な,あまりに脆弱な精神! というわけで目立たない恥ずかしさ悔しさの体外への吐き出し方,地元の新聞への匿名投書「私はバスのドアーに挟まれました」を思い立ったところで降りるべき停留所へバスが到着したので黙々と然るべき手順により降車.帰宅した後ベッドに寝転がり家の人に気づかれぬ程度にくねくねしていたらその日の疲れが眠気となって襲ってきて襲われるままに仮睡し目覚めると何だか色々なことが面倒臭くなって投書はまた今度ねなんて考えていたら経年により恥ずかしさ悔しさが大分減少されて残った少しの恥ずかしさ悔しさを今ここで排出している次第.