OjohmbonX

創作のブログです。

旭屋書店の性悪女と良識ある大人の私

「本のカバーはどうなさいますか?」
「要りません」
「恐れ入ります」
 バスの待ち時間を潰すために入った旭屋書店の,緑色の手提げ袋に鹿島田真希の『ナンバーワン・コンストラクション』を入れる手元を見ながら無表情に,機械的にそう言ったこのレジ係の女性店員は一体何に恐れ入ったのだろう,とちょっと考え込んでしまった.これまでのやりとりと無関係・独立にひとり言として「恐れ入ります」と彼女が言ったとはさすがに考えにくく,私の「(ブックカバーは)要りません」に対して彼女は「恐れ入ります」と言ったのに違いないのだけれども,わからないのは私がブックカバーを断ることが彼女にとって「恐れ入ること」になる理由とか論理とか.
 ブックカバーをつけることによる私たちの利益の減少を慮ってブックカバーを謝絶したあなたの寛大なお心に恐れ入りました.私はこれまでただ漫然と慣習としてブックカバーをつけて参りましたがあなたはブックカバーを拒絶なさって私にそれが資源の浪費であるということをお教えくださいました.私への愛溢れる啓蒙,資源の浪費に対するあなたの峻厳たる態度,偉大なエコ心に恐れ入りましてございます.彼女は,頭がおかしいか嫌味を言っているかのどちらかである.たかだか数円の紙きれ断ったくらいでその恩人面善人面エコ面まあったく恐れ入谷の鬼子母神.なんて嫌味.嫌な女.そもそも私はブックカバーを必要としないために断ったのであってそのような非難は不当であり口惜しいことこの上なくエコ心エコ面って何?
 しかし彼女はそこまで考えていたのか.私が「要りません」と言ってから彼女は即座に,機械的に「恐れ入ります」と答えたのであって,そこまで考える余裕があったとは思えない.とすると彼女はあらかじめあの理由・論理を考えており客がブックカバーを断った場合にはあの理由・論理に基づいて「恐れ入ります」と言うように決めていた,つまり彼女はブックカバーを断った客に対して機械的に不当な嫌味を言い続けてきたのである.何たら嫌な女.
 ただ,ここの私に生じているのは怒りではなく憐憫の心であり,良識ある大人であれば考え付いても嫌味など言わずまして客に言うなどもっての外であり更にその嫌味が全く謂れないときている.しかしこの女はそれが分からぬのである.可哀想な女.私がこの可哀想な女を啓蒙してやらねばならぬ.
 しかるに,良識ある大人は他人の欠点をみだりに指摘せず残酷に冷笑しながら放っておくのであってここで思い出されるのはテレビ番組「ダウンタウンDX」の一コーナー「視聴者は見た!」でのゲストメンバー武田鉄矢のこと.

  • 視聴者からの投稿 : かつて私が母と近所の公園内で自転車に乗る練習をしていたところ突然武田鉄矢が近づいてきて私に向かって「下手糞!」と罵った後武田鉄矢はどこかへ去っていった.死ねばいいのに.
  • 武田鉄矢の辯解 : 娘は客観的な事実として自転車の運転が下手であったのに母親は「上手い上手い」と娘を煽てていた.このままでは娘が自分の運転が下手であることを自覚できない恐れがあるため,私はあえて娘に「下手糞!」と指摘したのであった.

 ときに人は,良識ある大人をかなぐり捨てて人を愛さねばならぬのである.
 武田鉄矢の敗因は説明が不足していたこと.「下手糞!」とだけしか言わなかったために愛を勘違いされてしまったこと.私は,先人の轍を踏まない.
「635円のお返しになります」
「僕はあなたたちのことなんて全然考てないしエコ心だってちゃんと持ってないのに,どうして,あなたは,そういうことを,僕は何もしてないのに,ただ要らないから,要らないって,言っただけなのに,勝手に勘違い,そんなことを,言われる覚えはないんです! やめて! この性悪女! ビッチ!」
 バスの到着時刻が迫っているのを思い出したので商品とつり銭を受け取ってすみやかに店を出て急いでバス停に向かったらバスに間に合ったのでよかったです.