OjohmbonX

創作のブログです。

きっと,ときが解決してくれる

 仕事を終えてくたくたになって家に帰るといつものようにドアのかぎを開けて出迎えてくれた妻を見て,びっくりした.
「オカエリナサイ.メシ,デキテル」
 真っ赤なパンツと真っ赤なブーツとフリルのついた真っ白のエプロン以外何も身に着けていないのだった.
「家の中でブーツを履くのはやめなさい」
「オカエリナサイ.メシ,デキテル」
 そして何より,短く整えられたモヒカン,口周りからもみ上げまで続くひげ,エプロンの隙間からはっきりと見える胸毛,ブーツからあふれ出るすね毛,2メートルを越す背丈,硬そうで太い筋肉,体中の傷あと……ザンギエフそっくり,というよりそのものだった.困ったことになったなあと思った.ちかごろ仕事が忙しくていらいらして会話もセックスも拒んだりしていたのに愛想がつきて妻はザンギエフになってしまったのだろうか.ああ,あんなに小柄でかわいらしかった妻がザンギエフになってしまった.これからは心を入れ替えてやさしく接しよう.家に帰ってもつかれた顔を見せないようにして話もきいてあげてセックスにも応じるだけじゃなくて自分から迫ってみよう,そうすればきっとザンギエフはもとの妻にもどってくれるはずだ.早く許してもらわなければ.
「メシ,デキテル」
「ありがとう,すぐに食べるよ」
 ザンギエフの作る料理なのだからきっとボルシチとかピロシキとかビーフストロガノフとかかと思ったらガリだった.ガリごはん.翌朝もガリごはんだった.すし屋でたまに少し食べるだけだったガリを大量に食べるのは苦痛だったけれど,ここで文句を言ったら妻はますますザンギエフになってしまうからがまんして夕食を食べて
「オハヨウ.メシ,デキテル」
と朝になって起こされたときには少し許してくれたのかもしれないと思ったのに食卓のガリごはんを見て悲しくなった.
 何とか反省していることを伝えようといろいろ話しかけてみたけれどもザンギエフは黙ったまま悲しい顔をするか,
「ヤァ ニ マグー ハラショー ガヴァリーチ パイポンスキー」
と意味不明のことを言って悲しい顔をするばかりだった.私は逃げるように仕事に出かけた.


 仕事中もザンギエフのことで頭がいっぱいで上の空の私に上司が「どうかしたのか」と気づかってくれたのだけれど「妻がザンギエフになりました」なんて恥ずかしくてとても言えないから体調が悪いと言って早退した.
 帰る途中でザンギエフを見かけて思わず電柱の陰にかくれた.ひとけのあまり無い路地で近所の奥さんと話していた.あいかわらずフリルのついた真っ白のエプロンを着けているのは着られるサイズの服がないからかもしれない.私には気づいていないらしい.何を話しているのかはわからない.ザンギエフはあっという間に奥さんの足首をつかんで宙吊りにしたまま飛び上がってコマみたいに回転しながら奥さんを頭からアスファルトの地面にたたきつけた.昼下がりのスクリューパイルドライバーだった.奥さんはピヨったままどこかへ歩き去っていった.
 私はあわててザンギエフに走りよって腕をつかんで走り出した.さいわい誰にも見られていない.ガリごはんは私が我慢すればいいけれどスクリューパイルドライバーはよくない.スクリューパイルドライバーをしないタイプのザンギエフになってもらうのは不可能なのだからもとの妻に戻ってもらうしかない.私はイソップ物語の「金の斧」を思い出してザンギエフを公園につれてきた.公園には他に誰もいなかった.私は噴水のついた池を指さして,入るよう言った.正直にいえば女神がもとの妻を返してくれるかもしれない.ももの真ん中あたりまでが水につかりながら「気をつけ」の姿勢で池の中から私を見つめていた.
「体も水につけて」
 ゆっくり腰を下ろし,水面から頭だけを出して私を見つめていた.
「頭も」
と言う私を,ただじっと見つめていた.これじゃあ女神がこない,困ったなあと思っていると突然,何かにひきずりこまれるみたいに水しぶきをあげてザンギエフは水中に消えた.しばらく波立っていた水面がおだやかになって,本当にザンギエフがいたんだろうかとふしぎな疑いが浮かび始めたところで,池の中からこの世のものとは思えないほど美しいザンギエフが現れて,言った.
「あなたの落としたのはこの金のザンギエフですか,それとも銀のザンギエフですか」
「いいえ,そのような立派なザンギエフではありません」
 美しいザンギエフは金のザンギエフと銀のザンギエフを残して池に沈んでいった.しばらくすると脇にザンギエフを抱えてふたたび現れた.
「ではこの普通のザンギエフですか」
「そうです」
「あなたは大変正直な人です.この普通のザンギエフはもとより金のザンギエフ,銀のザンギエフもさしあげましょう.そして私ももれなくついてきます」
と言って4人のザンギエフが池からざぶざぶ出てきたのでいっしょに家に帰った.その晩もガリごはんだった.