OjohmbonX

創作のブログです。

日本さいごのユートピアをもとめて

 私は妻に話しかけることにした。
「ねえ、妻」
 私の声はぜったいに聞こえたはずなのに、妻は聞こえないふりをした。なぜなら妻は低血圧だからだ。朝起きたばかりの低血圧の人は不機嫌なのだと現代日本では決まっているから、妻はさっき聞こえないふりをした。しかも妻はとても低血圧の人なので、朝だけじゃなく聞こえないふりをするし、とても低血圧だから、私の声だけ聞こえないふりをするのだ。
「ねえ、妻、きいてよ。ぼくの話を、きいてよ」
 妻はほとんど聞こえないような声で、それでもたしかに「うぜぇ」と言った。私は何もかもを理解した。私の声が聞こえているのに、とても低血圧だから、聞こえないふりをし続けなくてはならないため、つらいのだ。かわいそうな妻。私は、声のかわりに、右手の中指で妻のひたいにモールス信号を打った。ツー、ツー、トン、ツー、トン、ツー、トン、トン……
「それが、うざいのよ」
 私の中指は非常識な方向に曲げられたため、バキャッってゆった。医学用語で骨折という。私だって、人間だもの、右手の中指は折れて欲しくないし、いまはとても悲しい気持ちでいっぱいだけれど、いつか、あのとき折れて良かったなあ、と思えるようになるかもしれない。そう考えると、プラプラしてる中指も、今日のラッキーアイテムみたいな気がして、やっぱり、すごく、痛くて、たまらないけれど、私は、成人男性だから比較的がまんづよい。
「それでね、ぼくが言いたかったのは、妻が、さっき寝言で『しめじ畑』ってゆってたってこと!」
「言ってない」
 私はとっさに、両手を体のうしろに隠した。両手の全指が非常識な方向に曲げられるのは、とてもつらいからだ。妻は、私のまゆ毛をむしり始めた。私は両手を守らなければならないから、なすすべなく、私のまゆ毛はむしり取られた。グッバイ、まゆ毛。
 でも、まゆ毛がむしり取られてよかったと、私はおもっている。
 もちろん、私がわるいのだ。本人が言ってない、というのだから、言っていないに決まっている。私は寝言をコントロールできないけれど、妻は日本のりっぱな成人女性なので言ってないのだ。私があやまちを犯したら、それに対する罰が私にくだるのだ。妻が、私を裁判所のかわりに罰してくれた。日本の警察はたいへん優秀なため、私のあやまちはすぐバレて、裁判所でさばかれることになる。そうしたら裁判所は、私に私のすべての指を非常識な方向に曲げさせるはずで、妻がすみやかに裁判所のかわりにさばいてくれたおかげで、私は妻の夫だから、まゆ毛割引(まゆ割)がきいてとても良かった。なぜなら、まゆ毛はまた生えてくるけれど、骨折は病院に行かなければならないからだ。
「まゆ毛、すごくよかったです。でも、ぼくの中指はプラプラしてるから、病院にいきたいです」
「会社は?」
 病院としめじ畑で頭がいっぱいで、すっかり会社のことを忘れていた。三択問題だ。
「会社にいきます」
「いってらっしゃい」
 そんなわけで今日は朝から晩まで私の右手の中指はプラプラしっぱなしだったのだけれど、妻を喜ばせようと思って寝ているうちに妻の頭をしめじカットに仕立て上げたために、翌朝からは全指がプラプラしてしまった。