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OjohmbonX

創作のブログです。

そのころ日本のお父さんたちは、

 登校すると同級生の男が下駄箱の前で立ちすくんでいた。
「これ、」
と彼が指差す下駄箱の中には、恵方巻きが1本、ぬたーっと横たわっていた。
「俺、こんなこと初めてなんだよ……どうしよう」
「食べればいいんじゃない?」
 彼はその場で、恵方を向いて恵方巻きを嬉しそうにもぐもぐ頬張り始めた。


 教室に入ると女子生徒から渡されたらしい恵方巻きをもくもくと食べる男子生徒たちが散見された。今年、2014年の恵方は東南東のさらにやや東寄り、教室では後ろを向くことになる。多いと一人で4、5本食べる者もいる。朝食を抜かなければその量は食べられない。
 俺にとって前日の夜に交わす母親との会話は煩わしく、つらい。
「ねえ……明日の朝ごはんは?」
「いる」
 そう答えたにもかかわらず、茶碗に盛られた飯の量は普段より少なくおかずの品数も少ない。これでは昼までに腹がすく。しかし茶碗に飯を足すこともせず、黙って食べ終え、家を出る。
 馬鹿じゃないのかと思う。こんなのは、業界が売り上げを伸ばすために喧伝してできたイベントじゃないか。そんなのに易々と乗せられて……
 後ろから背をつつかれて振り向くと、後ろの席の奥田が俺に恵方巻きを差し出してきた。周りの同級生たちがぎょっとして俺たちに目を向けたのがわかる。
「なんて顔してんだよ。義理巻きに決まってんだろー。せっかくだから今食べろ」
 俺は急いで食べ始めたが間に合わず、ホームルームが始まってしまった。
「平野、なんでお前後ろ向いてんだ。前向け、前」
 担任教師にそう言われたところで、恵方巻きを食べ終えるまで言葉を発してはならないというルールがあるせいで、弁明のしようもなかった。
「おい、前向けよ。おい、」
 教師の気が荒立ってゆくのがわかる。とにかく早く食べきろうと急いで口に詰め込む。食べ終わったと安堵して振り向こうとしたと同時に、いつの間にかそばに来ていた教師にいきなり強く肩を引かれ、驚いた拍子に口の中のものを思い切り噴き出してしまった。その先には奥田の顔面があった。
 奥田は机の上や床に散らばったものは片付けたくせに、自分の顔についた飯粒や海苔は落とそうとせずそのまま過ごしていた。


 改めて謝るほうがいいのだろうが、奥田とはほとんど付き合いがなく話しかけづらいように思われて放課後、そのまま向こうが先に帰ってくれるなり向こうから話しかけてくれればと、しいてのろのろと鞄に荷物を片付けたりしていると、とうとう俺と奥田以外に誰もいなくなってしまった。話しかける様子も帰る様子も奥田になさそうで、ますます話しかけづらくもなったし、これまでと諦めて自分も帰ろうとしたところだった。ふいに声をかけられた。
「なあ、オメーがこんな風にしたんだろー。どうにかしろよ」
「ごめん」
 ポケットからハンカチを取り出して、机越しに前に乗り出して顔の飯粒を摘み取ろうとすると、奥田はそれを遮った。
「食べ物粗末にするなよなー。舐め取ってよ」
 座ったままの奥田の両肩を軽くつかみ、上から顔を寄せ、ついばむように唇と舌で奥田の顔についた飯粒や海苔を取ってゆく。頬、ひたい、鼻、まぶた……。奥田は目を閉じ穏やかで心地良さげな表情でされるがままだった。俺は一方で困惑しつつ、他方でその作業に惑溺していた。
 俺は、どうしてこんなことをしてるんだろう。どうとも思っていなかった、今朝までほとんど付き合いもなかった、まして男の同級生に、こんなことを、どうしてしてるんだろう。