OjohmbonX

創作のブログです。

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「たかゆき、新しいお母さんだよ。24歳、いかがかね、この、ぼん、きゅっ、ぼん! は」
と父が連れてきたのは青いポリバケツだった。
 母を亡くして静かに気が触れたかと思ったが、周囲の人々に「新しいお母さん、やさしそうね。それに、とても、その……グラマラスで」などとたびたび言われるにつけ、狂っているのは自分の方かと疑われてくるのだった。バケツに見えている自分がおかしいのであって、本当は、人なのではないか。


 父の手前、朝食の席にいる母バケツに向けて愛想を振りまいたりもした。
「お母さんの作ってくれたごはん、おいしい」
 母バケツは身じろぎもせず椅子の上にあるままだった。父が血相を変えて俺をなじった。
「たかゆき! お母さんはこんな体だからご飯は作れないんだよ。作ったのは、お父さんだよ」
 「こんな体」っていうのはバケツっぽいってこと? と聞きかけたが、すんでのところで止した。本当にバケツだったとしたら父を傷つけるようで、本当は人だったとしたら俺が狂っていると悟られてしまう。
「だから、お父さんが食べさせてあげないといけないんだ……」
 父は母バケツの中にご飯や味噌汁を投入してまぜまぜした。食事を済ませて席を立ちかける際に、母バケツの中をさりげなく覗き込んだらまた叱責された。
「たかゆきっ! お母さんの中を覗き込むんじゃない、今ご飯食べたばかりでぐっちゃぐちゃなんだから、いくら親子だからって、相手の嫌がることをしてはいけない、お父さんはたかゆきが人の気持ちのわかる子であって欲しいんだよ、それとも何かね、たかゆきはぐちゃぐちゃのお母さんを見て興奮しているのかね、性的興奮を、覚えているのかね。あさましい! でもお父さんは、ぐちゃぐちゃのお母さんを見て興奮しているたかゆきを見ると実際問題、興奮する。そして興奮するお父さんを見てたかゆきは、もっと興奮する? しない? するよねー。だってお父さんの子だもん」
 母バケツのことはおくとしても、この父は滅びた方が良いであろうと思った。
 そうして父は裏声で、「たか君、中がぐっちゃぐちゃのお母さんだけど、嫌いにならないでね、ごめんね」と言った。
 父は疑いようもなく狂っているにしても、俺は、どうか。なにせこの父の子なのだ、と思えば絶望するほかなかった。


 級友が遊びに来ると、玄関先にいるバケツママに全員が挨拶をしてゆく。いささかの疑わしさも見せずに。
 居間でテレビゲームをして遊んでいると、いつの間にかドアのあたりにバケツママが移動していて驚駭させられたことがあった。父がいないのに、どうして移動した。やはり人なのか? 俺は努めて平静を保って「お母さん、友達きてるから向こう言ってて」と陰に移動させた。友人たちは俺のその行動を奇異にも思っていない風だった。
 探るように級友に
「うちの母親、優しいだろ」
と言うと迷いなく
「うん、優しそうな顔してるもんね」、「安心感があるよ」
と返ってきた。


 あまりに周囲が平然としているため、母がバケツに見えてしまう自分が狂っているものと見做しはじめたころ、ある級友とささいなことでいさかいになった。教室で言い合いをしているさなかに、相手が
「お前の母親、バケツのくせに」
と言い、しまったという顔をして押し黙った。
 俺は驚いていさかいのことなど忘れて詰め寄った。
「やっぱりあれ、バケツなのか? 妙齢の女性じゃなくてバケツなんだな? だってぼん、きゅっ、ぼんじゃないもんな! どっちかっていうとずん胴だもんな! ひゃっほい!」
 後から聞くと、そのとき俺は何かすがるような目をしていたらしい。
 彼から知らされたことには、母を亡くした俺はバケツを母と思い込むようになり、しかしそれ以外は普段と変わりなく、医者の言うにはしばらくすれば落ち着くから、周囲の人間は何事も無かったように接し、まして母親がバケツだと明かしてショックを与えるようなことをするなという指示が、親や教師から彼らに伝えられているのだという。それで家に遊びにきた級友達が平然としていたのか。やはり自分が狂っていたのではなかった。近所の住民も同じ理由によるのだろう。
 それにしてもこの誤解はともかく、そもそも一体どうしてバケツママのことがこれほど広まっているのか、だれが広めたのかが俺にとっての疑問だった。それを彼に確かめたく思ったが、チャイムが鳴って次の授業が始まってしまい、一旦棚上げにするほかなかった。
 次は理科の授業だった。
 水を張った容器へ縦に3つ、穴をあける。いずれの穴から最も勢いよく水が吹き出すか。圧力の問題である。しかし圧力が問題なのではない。容器が俺の母であることが問題なのだ。いや、そんなはずはない、こんなところにいるはずもない。ただ似ているだけだ。あんなバケツ、どこにでもある。しかも俺の母はバケツではない。しかし、出ているのだ。穴から、母の、汁が。違う。母の汁とはなんだ。ただの水だ。ただのバケツだ。それでも似ている。いや、似ていたとして、万が一にも母バケツと同一バケツではあり得まい。それでももし、あれが母バケツだとしたら? 放っておけばいい! たとえあれがあの、父が連れてきたバケツそのものだったとしても、もはや母でもなんでもないのだから。
 悟性の上で蹴りをつけたはずだった。それでも何かわだかまる。バケツが結局、母でも人でもなかったからと、見捨ててよいのか。もはや半年、寝食を共にしたのに。あるいは、母バケツとは別バケツであるからといって見捨ててよいのか。人面獣心の振る舞いではないか。衆人環視の中で、汁をだだ漏れに漏らす姿をさらけさせられる。バケツに対してといえど、これは蛮行ではないか。それを止めもせず見ること。見過ごすこと。通俗性への加担。
 そんなことは筋違いと解っている。けれども、どうしようもなかった。やり切れなさに涙が出た。
 同級生たちを掻き分け前に進み、気がついたときには、母の穴を指でふさぎ、ふさぎ切れずに漏れ出る汁を必死に口で受け止め、飲んでいた。
 理科室は騒然としていた。教師は、得体の知れない振る舞いを見せた者への対処の仕方もわからずただ、やめろやめろと遠巻きに言うばかりだった。
 飲み切れずに口からあふれ出た汁を、俺の実情を唯一知っている彼、ついさっきまで口論していた彼の口が、いつの間にか頬の下から受け止めていた。彼も号泣していた。道理の通らぬことが、通い合ったらしかった。狂うも何も無く、俺の全てが許されたと思った。彼と俺のどちらの涙か、鼻水か、唾液か、あるいは母の汁か、わからなかった。
 水が流れ切り、息たえだえの男子中学生が二人とバケツひとつが、理科室の前部の大机の上で濡れたまま折り重なりある。
 周りの同級生達は誰に指示された訳でもないのに、保健室へタオルと着替えを取りに行き、呆然としていた俺達を取り囲み、体を拭いて着替えさせ、床や机を掃除した。これ以上ない効率の良さですみやかに後始末を済ませた。いつの間にかバケツも消えていた。そうして揶揄も気遣いも徹底して誰も見せず、まるで最初から何もなかったかのように接された。何も弁解の機会を与えられないことは辛いことだったが、あれほど徹底されれば夢か想像の上のことかと思えて少しずつ忘れてゆく。


 母(バケツでない方)の七回忌に、父にたずねた。あの頃半年ほどバケツが母のような顔でいたけれど、あれは何だったのか。
「いや、冗談のつもりだったのに、たかゆきが何もツッコまずに受け入れたから、母親を亡くして静かに気が触れたのかと思った。こちらもじゃあしばらく付き合ってやらなくてはと、大変だった。近所の人や学校の先生、保護者への根回し……」
 それからあれ以来、バケツの母を見なくなったが、どこへ行ったのか。
「そういえば見ないね。どこへ行ったんだろう。でもいいじゃん、ホームセンターへ行けばいくらでもあるんだし。何なら今から買いに行く? お父さん、お母さんを2、3個買うくらいの経済力はあるよ」
「行かねえよ死ねよ糞親父」