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OjohmbonX

創作のブログです。

ぜんぶサブプライムローンの影響

 親父に初めて連れられて行ったのが五つのときだった。以来もう六十八年になる。私は月に一度、すわ寿司で握りを食う愉しみを持つ。金持ちでないからたびたびは食えぬ。しかし欠かさず毎月行く。はじめの大将の孫が今は握っている。その息子も見習いで板場に立っている。都合四代みてきたわけだ。味は変わらない。
 妻に先立たれてからは行くのに誰に断る必要もない。ふと思い立ってふらりと入る。気楽なものだ。そうして今日、鮨を食おうと所用の帰りに立ち寄ったところ、店は開いているのに大将もその息子もいない。妙な客が一人いるだけだった。中年女だった。背が低い割りに太り過ぎのドラえもん体型の女。それが姿見の前でポオズをとって腰をくねらせている。姿見は店へ勝手に持ち込んだものか。
 女は自分の体に比してあまりに小さく、色のどぎつい虎柄のシャツを着ていた。シャツは伸縮性の高い素材からなるらしく、女の体にぴっちり張り付きその三段腹の段々を、あるいは乳首のとがりを生々しく見せていた。そしてへそ以下の腹を露出して、肉の谷間にはことごとくあせもと思しき湿疹がある。下は丈の短いホットパンツを履き、太もものたゆたゆを存分にアピールしていた。そして半ケツだった。歳は四十代後半とみえる。
 姿見の前で満足げに自分の姿を確認した後、腰をくねらせたり足を踏み鳴らしたり手をひらひら、体をくるくる、ぐふふ、あたしはビヨンセ……あたしはビヨンセ……ぐふ、と呟くのである。
 正気の沙汰とは思われぬ。戦時中にもこんな女など見たことなかった。ここに現代日本の病を見た。
 私は店を脱出しようとした。そこへ「あのォ」と素っ頓狂な声が響いた。「あたしのコードネームは『熟女』ですぅ」
 知るか。ぜひとも私に関わらないでくれ。
「おじいさんはお客さんですよねェ?」
 一呼吸おいて、大きく息を吸った後
「いいぃぃぃぃぃぃ……っしゃーぁせーぇぇぇぇぃ。ぃぃぃい、っちむぇさぁーあーああぉぉ、ごぉぁてぇーんぬ! むふぅぅぅ」
と熟女は獣のように歯をむき出しにして大音声で叫んで私の耳は潰れるかと思った。そして糞熟女はちまちま奥へ駆け、カウンターの中へ入ろうとした。私は驚駭した。この女、こともあろうに店員であるのか。すわ寿司の大将と息子は何をしているのか。糞熟女はカウンター席から板場へ入る幅の狭い入り口に肉が引っかかって立ち往生して、やぁん、と言ってこちらをちらりと見た。しばらくもぞもぞして、再び、やぁん、と言ってこちらをちらりと見た。もぞもぞ、やぁん、ちらり。もぞもぞ、やぁん、やぁん、あたしのミートくんが、やぁん、ちらり。ミートくんが……はさまって……やぁん!
 私は仕方なく糞熟女の背に立って、やぁんやぁんミートくんが、その尻を思い切り蹴飛ばしてあげた。すぽっと肉が外れて、やぁんんんぎぃやあぁぁぁ! と転がって板場のどこかに頭を打ち付けたらしく、割れた額から血を流しながらカウンターの上へにゅっと頭を出して「何にいたしますか」。
 なかなか見上げた糞熟女である。流血しながらもその職を全うせんとする意識の高さは立派である。プロフェッショナル糞熟女。
「じゃあ、マグロで」
「なんであんたが言うんだ。マグロがいいなんて言っとらんよ。私は赤身を好かんのだ。カンパチにしてくれ」
「でもあたし、マグロを握りたいんですよ。だってあたしの白い肌にはやっぱりマグロの赤が映えると思うんですよね」
 ど糞熟女は奥の冷蔵庫の中からタッパーを取り出し、そこからマグロの切り身をつまみ上げ、ひゃあー冷たーい、ひんやりして気持ちいいーと頬に当てながらこちらに戻ってきた。切り身をぺちゃんとまな板に放って握り拳ほどのシャリを一掴み、そのままぎゅーっと両手で握り締めてカウンターの上に置いた。そして再び切り身をつまみ上げ鼻をひくひくさせてくんかくんか嗅いでなんかクサいよぉ、とファブリーズでしゅっしゅした。それをシャリの上へちょこんと載せる。こんなものは鮨ではない。シャリは口の中でホロリと崩れる固さなど夢のまた夢。もはや飯粒は押しつぶされてぐちゃぐちゃ、形をとどめてなどいない上にでかすぎる。握りこぶし大のシャリなどもはやおむすびである。その上に飾りのごとくネタがちょーんと載っている。唖然としていると、ど糞熟女はそれをむしゃむしゃ食い尽くした。そうして自分で作って自分で食ったど糞熟女は満足げな顔でやぁん、あたしったら。食べちゃった。てへっ。と嘯くのである。私は怒りも呆れも通り越して恐怖した。生物の本源的な恐怖を感じた。ど糞熟女は再び刺身トッピングおむすびを再び作って(頬に切り身をぺたりと貼り付ける作業も忘れずにし、ファブリーズはタッパー全体にふりかけて、こうすれば一枚一枚しゅっしゅしなくても済むからあたし頭いい、と言った)、へいお待ち! と私の目前に置いた。何もせずに黙っていると糞は私の髪をぐいっと掴んで刺身トッピングおむすびを口にねじ込もうとした。遠慮しないでー。どんどん食べてー。さらに形を崩したおむすびを私の顔になすりつけた後、糞は櫃の中の酢飯もむしゃむしゃ食い始めた。だぁってあたしもお腹が空くんですもの。お腹が空いたらお鮨つくれなーい。両手でむしゃむしゃ、たちまち食い尽くし、マグロをぺたぺた額やら頬やらまぶたの上に次々貼り付け冷たーい、ひんやーり、しかも赤が映えるの、きれーい、んんん、もうかんっっぺきビヨンセ! あたしったらやだー。ビヨンセ! やったー、と激しくダンスし始めた。
 ぱちぱちぱち、とゆっくり拍手しながら奥から、クリスマスツリー用の電飾を体に巻きつけぴかぴかさせた大将の息子が現れた。
「すばらしいですよ、Miss JuKu-JYO。ビヨンセを超えている。大体ビヨンセの2倍くらいですよ」
「WAKA☆DAISHO!!! あたしのSU-SHIを食べてくれないの。めそめそ」
「おや、宮沢様。いかがなさいましたか」
「いかがも何も、何だこれは」
「今まで通りですよ。創業以来の変わらぬ味です」
「そうだっけ?」
「そうです」
 そう言われるとそうかな、って気がしてきた。
「そんなわけあるか糞どもが」と風のように駆けてきた真の大将が、手にしたカツオ一匹でMiss JuKu-JYOとWAKA☆DAISHOを滅多打ちにして成敗した。「宮沢さん、こんな有様ですんで今日のところはお引取り下さい。すんません」
「オッケー」
 そうして私は夕日に照らされてとぼとぼ家路についた。私はとても残念に思った。私もあのカツオで殴り倒してほしかったのに。ああ、恥も外聞も捨てて大将にお願いすればよかった。私をカツオでぶって! 何なら突き刺してもいいよ! でもだめ。もっとウニとかを有効に利用した多彩な攻撃パターンを身に着けなきゃ、私を満足させられないよ。ふふふ。