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OjohmbonX

創作のブログです。

世界有数の鉄道都市・東京

 新人のひょう太は、ぴっかぴかの制服に着られて、駅のホームにきりっとした顔で立っていた。昔から電車が大好きな子で、とうとう鉄道会社に就職したのだ。よかったね。
 うそだよー。ぜんぜんよくない。サラリーマンのおじさん(30歳くらい)が怒ってきてるのだ。
「俺は係長なんだぞ! なのに電車が遅れて、どうするんだ! 土下座して謝れ!」
「げひひ。しぃーましぇーん」
「なんだその謝り方は!」
 打たれ弱いひょう太はびっくりして体液を流せるだけ流してしまった。汗、涙、鼻水、涎、尿。ひょう太は、こんなとき寺脇さんがいてくれれば、と思った。寺脇さんは鉄道マンの鏡みたいな人で、本当にかっこいい、あこがれの先輩だった。NHKが取材にきてもおかしくないレベルの先輩だった。
 T急Dン園T市線の渋YEAH前は、平日の朝なら遅れることになってる。今日に限っておじさんが怒り出したのは、むしゃくしゃしていたからだ。(おじさんは毎朝、寝てる奥さんにデコピンしてから家を出る習慣があった。でも今朝、中指がヒットする直前、奥さんがカッと目を見開き、おじさんの中指をつかみ取り、あらぬ方向に思い切り曲げた。ぜったい骨折してる、だって指がぷらぷらしてるんですもの、おじさんは病院に行こうとしたけれど、奥さんは許してくれなかった。)それで最初はちょっとだけ駅員に文句を言うつもりだったのに、怒ってる自分にだんだん興奮してきてとうとう怒鳴り散らすに至った。典型的なキレる大人。
 そんな二人へ、細身の男の人が近づいてくる。オールバックに額は広く、眉間には軽く皺が寄り、眉と唇は薄く、眼光はめっぽう鋭い。ゆったり体を揺すって歩いてくる。人が避ける。怖い。要するに、ヤクザだ。
「げぇー。ヤクザじゃん」
 でも、よく見たら寺脇さんだった。駅員の制服を着ていた。そうそう、寺脇さんってこんな感じ。(ぜんぜんヤクザじゃないよ。)
「どうしたんだ」
「あの、お客様が、」
「おい、電車遅れて、どうしてくれるんだ! しかもなんだこの駅員は」
「……うちの教育にケチつけてるのか、お前」
「は? 電車が遅れてどうしてくれるんだって言ってるんだよ」
「うちの駅員にケチつけてるのか」
「いや、まあ、言ったけど、だから、何だよ」
「散々うちの若いのをコケにした上、教育にまでケチつけるのか?……おい、見世物じゃねえよ。退いてろ」
 ホームにいた人たちが急行電車の通過待ちのため停車していた電車にさっと乗り込んだ。明らかに乗るつもりじゃなかった人たちもみんな乗り込んだ。
「だから、電車が遅れたから、」
「何で電車が遅れるんだ」
「え?」
「電車が遅れるのはお前みたいな客がちんたら乗り降りしてるからだろうが。その責任を俺らに押し付けるのか? その上、うちの若いのをいたぶって、挙句、うちの教育が悪いと抜かす」
「そんな……」
「どう落とし前つける気だ」
「え?」
 寺脇さんはおじさんの髪を乱暴につかんで、そのまま顔を、猛スピードで通過中の急行列車の側面に押し当てた。
「出たーっ! 大根おろしだーっ!!」
 ひょう太は、もう、気が狂いそうだった。うれしすぎるんだ。だって、こんなところで寺脇さんの「大根おろし」が見られるなんて!


 彼は、疲れた顔で朝の満員の急行電車のいつもの場所で立っていた。ぼんやり窓外を見ていたら、駅を通過中に列車の走行音とはまるで異なる、尋常でない音がして、一瞬、窓のすぐ傍を何かが横切るのを見た。駅を過ぎたところで改めて窓を注視すると、ガラスに何かが付着しているのを認めた。何かの汁が、てのひら大の幅で線上に窓を横断しており、ところどころ、汁にまみれた肉片のようなものが付着しているのに気づいた。
 うわあ……落とし前、ついちゃったね。


 寺脇さんはその後も一流の鉄道マンとして乗客を恐怖のどんぞこに叩き落とすなどして、他の職員の模範となるような活躍をした。(もっとも、寺脇さんに限らずもともとT急の社風はそんな感じ。)けれどある日、寺脇さんはJRの職員に射殺された。列車のドアが開き、仁王立ちで拳銃をまっすぐに構えたJRが現れ、引き金を引いた。寺脇さんの額を弾丸が貫通し、ホームに寺脇さんは倒れ、血が流れ、死んだ。一つの時代が終わった。私鉄各社とJRは熾烈な抗争に発展しかねない一触即発の緊張状態に陥ったが、結局、経営判断により抗争は回避された。もはや任侠の時代ではないのだ。ただし、常務取締役・岩下志麻はひっそり会社を去り、一人落とし前をつけにいったという……
 こうして今日も、電車は走る。まあ、ぼくは、下りの中央林間ゆきに乗るから関係ないですけどね。