OjohmbonX

創作のブログです。

Wiiにまつわるハートウォーミングストーリー

 なんとかヤクザをトイレに閉じ込めることに成功した。ほんの少しでも口を開けば嬉しさのあまり声に出して叫びだしそうで、奥歯に力を込めて唇を固く結んでいたけれど、顔はどうしてもほころんでしまうのだった。頬が緩んでしまう。それに抗って力を入れているものだから、唇や頬が震えてしまう。ああ、もう、耐えるのはよそう。感情を素直に露にすれば一気に楽になる。
 と、あらん限りの大声で短く何度も絶叫しながら、前かがみに小さく、こぶしを強く握ってガッツポーズをしたり、体を大きく開いて天井に向かって叫びながらやっぱりガッツポーズをしたりして、跳んだり撥ねたり、高揚感を思う存分楽しんでいたら、トイレのドアが内側から思い切り蹴られた。その音と同時に僕の心臓も一回どんと撥ねてからそのまま激しい鼓動が続いた。体の動きもぴたりと止まって、顔はトイレのドアを向いたままだ。一切の音を立ててはならぬと禁じられたみたいに全く動けず頭が真っ白になった。それからお互い全く無言、無音だった。
 ヤクザが、怒った。
 そのまましばらく――どれくらいの時間だったか全く分からない――息をひそめてじっと相手の出方をうかがっていたけれど、何のアクションもなかった。静かなままだった。少しずつ心拍も落ち着きを取り戻し、頭に思考がよみがえってきた。しかし高揚感、あの喜びはいささかも甦りはせずに、現実的ないろいろで頭は埋め尽くされた。もうすぐお母さんが帰ってくるんだった。一気にうんざりして夏でも嘘みたいにひんやりしたフローリングの床に体を横たえた。
 一昨年の夏休みにおばあちゃんちの近くの林で捕まえたカブトムシさえ飼うことを許さなかったお母さんなんだから、ヤクザなんて、ああ、絶対無理だ。逃がしなさいと言われるならまだマシだけど、カブトムシのときは有無を言わせず素手で握り殺したんだ。もしかしたらヤクザも殺してしまうかもしれない。かわいそうなヤクザ。エサ代がかかるとカブトムシは許されなかった。小食なヤクザだったらもしかして、と一瞬思うものの、だめだ。いくら何でもカブトムシより小食なヤクザなんていない。だって、成人男性なんだもの。お母さんは貧乏性過ぎるから嫌だ。以前、家庭科の授業で、家でできるエコをみんなで発表し合った。僕はうちのお母さんが入浴時にはいつも陰毛で石鹸の泡を立てていると発言した。かかる工夫により石鹸の使用量を著しく減ずることが可能となり、従って環境負荷もまた減ぜしめる。のみならず、リッチな泡による体表の洗滌は肌の潤いときめ細かさを良好にせしめ云々。すこし離れたところに座っていた女子の一人がぼそっと、「泡立てネット使えばいいのに」と言うのを聞いた。そんなものがあるなんて知らなかった。恥ずかしかった。陰毛で泡立てるのは大人にだけ許されたリッチな入浴作法だと信じていたのに。
 お風呂のことを考えていたらトイレに行きたくなってきた。本屋に行くとおしっこしたくなると言う人がいるけれど僕には経験がない。代わりに、いつも風呂場に入ると尿意を認める。普段、入浴前にトイレへ行く習慣のせいかもしれない。考えただけで尿意に襲われた。でも困った。トイレには今ヤクザを閉じ込めている。困ったなあ。困った時はタウンページ。ということで電話帳を開く。「ヤクザ」。載ってない。もう、どうせお母さんには飼うことを許してもらえないに決まってるんだから、最悪、見つかる前に処分しちゃった方がダメージが少ない。「害虫駆除」。載ってない。やっぱり虫じゃないから載ってない。「害ヤクザ駆除」もない。「指定暴力団」。ない。餅は餅屋と思ったんだけど。困ったなあとパラパラめくっていると「トイレのトラブル8千円」という広告を見つけた。「何でも屋ガイア」。これだ!
 何でも屋のお兄さんはすぐにやって来た。あちこちに染みのあるグレーのスウェット上下に、肌は小麦色に焼けて、体の大きさとは明らかにアンバランスなものすごいボリュームの茶髪が頭に乗っかっていた。唇にはピアス。背は高く、腕は細い。胸板も薄い。ギャル男というのを初めて直に目にした。手ぶらだった。
「詰まりくらいは何とかするけどさぁ、ヤクザとか無理だし。つぅかよぉそれってトイレのトラブルじゃなくね?」
 玄関に立ったお兄さんの懐に素早く潜り込み、みぞおちに拳を叩き込む。お兄さんは腕で思わず腹を抱え込み、呻いて前かがみになる。これで身長差が解消された。お兄さんの髪をつかみ、家の中に引きずり込む。やめてくれよぉ、やめてくれよぉと情けなくわめいて頭を腕で抱え込みながら床で丸くなっているお兄さんの胴や頭を殴る蹴る。お兄さんの腕が頭を抱えれば腹を蹴り、腹をガードすれば顔を殴る作業をひたすら無心で続けていると、とうとうお兄さんはしくしく泣き出した。僕はお兄さんに名前を聞いた。
「はあ? ガイアに決まってるし」
 足を振りかぶると、お兄さんは小さな悲鳴を上げて「高橋!」と本名を名乗った。他にすることもなく暇だったのでガイアとWiiすることにした。やっぱり子供のパンチやキックはそれほど効いていないらしく、案外元気だった。
「小学生でも関係ねぇし。マジぶっ潰すし。もし負けたら煮るなり焼くなり好きにしていいしマジで」
 風呂のボイラーをがんがんに炊いてアザだらけのガイアを煮込んでいたところへ、たけしが遊びに来た。夏休み最後の忙しい日に遊びに来るなんて非常識だ! と思ったけれどたけしと一緒にいられる楽しさを思うと嬉しくなってどうでも良くなる。でもお母さんは僕がたけしと遊ぶと怒る。なぜなら、たけしがDQNの息子だからだ。確かにたけしは小学生なのに茶髪だしウルフカットで襟足だけが妙に長い。でもいい子なんだよ。だってこの間なんて、ヘビをいっぱいちぎってた。僕にはよく分からないけど、あれはたぶん、生態系のバランスを整えてたんだと思う。本人は、だってヘビちぎるの面白ぇじゃん、なんて照れ隠しに言っていたけれど、本当は徳の高い児童だと僕は知ってる。常に生態系を監視し、弱肉強食のピラミッドの形を正しく保つ調整者。
 で、たけしとWiiした。たけしは本当に上手くて、全然勝てなかったけど楽しかった。ちょっと飽きてきて一休みしていたら、たけしの耳にピアスが光っているのを見た。
「そうだ、お前にもやってやろうと思ってさ」
 たけしはポケットから小さなビニールの袋を引っ張り出し、中から銀色の針を抜き出した。見せてもらった針はすごく鋭く、青く輝いて、注射針よりも太かった。正座したたけしのひざの上に僕は頭を乗せて横たわった。顔をたけしの腹の方に向けていたから、動物なんだと当たり前のことを思い出させる匂いを嗅いだ。汗が蒸発して少し湿った空気を吸い込んだ。たけしは僕の耳たぶを揉み出した。
「こうするとさ、柔らかくなって穴をあけやすくなる」
 かわりに僕は、すぐそこにある脇腹と、奥まで腕をまわしてようやく届いた背中を揉んであげた。くすぐったそうに身をよじって、やめろよ、と弾んだ声で言う。ごく柔らかく薄い肉の奥に、体が動くのに合わせて固くなったり柔らかさを取り戻す筋肉、さらにその奥にある臓器たちを思わせる脇腹と、薄い肉のすぐ向こうにいくつもの節に分かれた背骨を示す背の感触。まさに動物だ、と思った。言葉を投げれば返ってくる機械ではなく、肉体から成り立っている動物。笑いながら逃れようとするたけしを捕まえるために、上に覆いかぶさり、腰にすがりつく形になった。僕の両肩を押して抜けようとするからより強く抱きついて腕を締めたり、背を撫でたり腹をつまんだりする腕を強く手でつかんで引き離そうとするのに抗ったりして、笑いはどちらのものとも知れずに高まってゆく。ほとんど喘息みたいに息を切らせても止まらずに攻防は続く。どちらが攻で防なのかも区別がつかない。哄笑が徐々に収まり含み笑いに移り、体の動きも静まって、たけしの腹の上に頭を横たえる。深い呼吸のたびに膨らみ、萎む腹に合わせて頭が上下する。十分に息が整ったところで再びたけしは正座し、その膝の上に頭を横向きに乗せ直す。
「今当たってるの、わかる?」
 耳たぶに針先が触れているのが見えはしなくともはっきりと分かる。指でしっかりと固定された耳たぶに針が通る瞬間に痛みを感じたような気もしたけれど、よく分からない。「あ」、とたけしが声を漏らしたのを聞いて、無意識のうちに耳たぶへ集中させていた意識が全身に回復し、自分も少し驚いて声を漏らす。おしっこを漏らしていた。まだ出ている途中だったけれど気づいたところでどうやって止めたらいいのか分からず、股のあたりが湿って温かくなってゆくのが感じられた。そうだ、ずっとおしっこを我慢していたんだった。顔をたけしの腹に埋めている形になっているから彼がどんな表情をしているのか知れないけれど、慌てて身を引き剥がすでもなくじっとしてくれている。
 おしっこが止まった後、たけしは僕のズボンとパンツを脱がせて浴室に連れて行った。浴室のドアを開けると真っ白の湯気が立ち込める向こうに、生まれてすぐに立ち上がった鹿みたいな具合にふるふる震えて浴槽のへりに四つん這いで立って煮込みをサボっている全裸のガイアがいたから、僕が腕を、たけしが脚を蹴り飛ばして浴槽に叩き落した。熱さに悲鳴を上げて暴れるガイアの頭をたけしが押さえている間に、浴槽の蓋をし、その上へ色々の物を載せて重しにした。
 服が濡れないように結局二人とも全裸になった。手に石鹸をつけたたけしが僕の体を洗ってくれた。皮膚への摩擦がこれほど心地よいということを、忘れていて久しぶりに思い出したような、そもそも知らなかったような不思議な感覚だった。太ももの内側を撫でられているときのかすかなこそばゆさに陶然としてしまう。目を開いて、一心に、ただしあくまで穏やかに優しく僕の体を洗うたけしを見て、自分にはまだない陰毛が彼に生えているのに気づいた。浴室は耐え難い熱さだったから一旦体を流して上がった。姿見の前で二人並んで立って、互いの発育振りを確認し合う。すでに体つきも発毛も声も僕より進んでいるたけしは多少決まり悪そうな様子で、発育具合から話題を遠ざけた。僕の耳たぶに触れた。赤い小さな石のピアスだった。
「今度はもう片方の耳だな」
 折角たけしに陰毛が生えているので、これを使って石鹸を泡立てることを思いついた。家庭科の発表を思い出して二人で大笑いする。お母さんほど豊かに生えておらず、毛も細く柔らかいからか、始めはなかなか泡立たなかったけれど急に泡立ち始める。液体のボディーソープを一本丸まる使い切ろうか、リビングの床が少しずつ泡で埋められて行く。たけしの前にひざまずいてせっせと泡を作っては床に捨てる。たけしが股間の泡を手で掬って僕の頭になすり付ける。笑いが漏れる。泡のかけ合いになって笑いが止まらなくなる。玄関が開く音がして、弾かれたように二人してそちらに目を向ける。一瞬で我に返る。お母さんだ。廊下を進む足音が聞こえる。このほんの30秒にも満たないうちに色々の対策が頭を掠めたけれど、結局何もできないうちに、リビングのドアが開いた。おばあちゃんだった。全裸の男子小学生が二人いる泡だらけのリビングにおばあちゃんは唖然としていたけれど、僕たちを責めたりはしなかった。おばあちゃんはいつだって僕の味方なんだ。お小遣いもくれるし、もし僕が望めば、たぶんおじいちゃんの命くらいはくれると思う。用事があって町に出てきたついでに寄ったらしい。
 ともかく、お母さんがもうすぐ帰ってくるんだってことをはっきり思い出した。少しでも時間を稼げるよう玄関にチェーンをかける。とりあえずたけしがここにいるのはマズイ。お母さんはDQNの息子を、可能であれば核の力を平和的に利用して殲滅すべきと考えているタイプの女だ。おばあちゃんも同様だ。この有様を見たら僕を責めるより先におばあちゃんを詰問するに決まっている。僕とお父さんの所有権を主張しあっているこの二人を対面させるわけにはいかない。リビングやトイレを何とかするより先にたけしとおばあちゃんを帰さなければならない、と方針が決まったところで玄関を乱暴に押し引きする音とヒステリックな声が上がった。お母さんだ。すぐにたけしとおばあちゃんを隠さなきゃ!
 トイレのドアを押さえるために積んであった椅子や何かを必要最小限だけどかす。こんな風にドアをふさいでいる理由をたけしが聞いたから、ここだけの話、ヤクザを中に閉じ込めてあるんだ、とちょっと誇らしげに言った。
「俺、ここに入るの?」
 真っ青になったすっぽんぽんのたけしを少しだけ開けたドアの隙間に滑り込ませ、再びすばやく椅子たちでドアをふさぐ。ドアを激しく叩きながら泣き叫ぶたけしの声が中から響く。静かにしててくれないと困るのに。あらやだ。おばあちゃんもトイレに入れるの忘れてた。もう一度ドアを開くのはしんどい。おばあちゃんには、幅の狭い廊下の壁に腕と脚をつっぱって上ってもらい、そのまま忍者みたいに天井近くで待機してもらうことにした。
 玄関のチェーンを外し、お母さんを招じ入れる。締め出されたことの怒りを忘れて裸の僕に驚いていた。暑くて、と言ったら服を着るよう注意を受けただけで済んだ。ピアスもバレてない。第1関門突破だ。お母さんの後ろについて廊下を進む。ここで見上げられたらおしまいだ。緊張する。おばあちゃんの腕や脚がぷるぷるしてた。気づかれずに過ぎた。第2関門突破だ。そしてトイレの前。家具バリケードを目にし、たけしの叫びを耳にする。第3関門アウトー。おしかった。仕方なくヤクザとたけしの顛末を説明する。
「お父さんに相談しましょ。お母さんじゃどうにもできない種類の問題だわ」
 後ろで物の落ちる音がした。振り返るとおばあちゃんが腹ばいに、踏みつけられたカエルの真似をしているみたいに床で潰れて痙攣していた。第2関門アウトー。
「これもお父さんに相談ね」
 お母さんはにやにや笑っていた。リビングに入ると真っ赤に茹で上がった仰向けのガイアが泡に囲まれて横たわる幻想的な光景が広がっていた。いつの間に逃げ出したんだろう。お母さんは特に何も言わなかった。セーフなのかもしれない。
 お父さんが帰ってくるまでお母さんとWiiした。親子の関係を良好に保つ最高の家庭用ゲーム機だと思う。たけしはさっきまで、聞いてるこちらが痛くなるような喉の使い方で来ない助けを求め続けていたのに、いつの間にか静かになっていた。お父さんが帰ってきた。
 土下座するお父さんを前に、トイレのドアが厳かに開かれた。闇の奥から恐怖で失神したたけしを抱きかかえたヤクザが姿を現す。お父さんが事情を説明する。
「息子は、夏休みの工作としてヤクザの生き標本を提出するつもりだったのです。ただ宿題を済ませるつもりだったのです。どうかお許し下さい。お気が済まないのでしたら、どうぞそのたけしをお好きにして下さい。そして、どうぞ息子の宿題に協力してやって下さい」
 ヤクザは快諾した。しかも、たけしをどうにもしなかった。宿題が大丈夫ならたけしがダメになってもいいかなと思ってたけど、両方オッケーならやっぱり嬉しい。僕はたけしのことが大好きだから。たけしとガイアとおばあちゃんは救急隊員の適切な処置によって一命を取り留め、病院へ搬送された。
 みんなで一緒に夕食をとって、みんなでWiiした。



 翌朝、僕はヤクザと連れ立ち、新学期に胸弾ませて登校した。けれども学校が近づくにつれて心が曇る。ヤクザを提出したら、みんなにからかわれるかもしれない。恥ずかしい。
「助けて! 人さらいだよ!」
 すぐに警察官のお兄さんが来てヤクザを未成年者略取の容疑で現行犯逮捕した。ヤクザは悲しそうな目で僕を見た。そんな目で見たってダメだよ。犯罪は犯罪なんだから……。
 担任の先生は言った。
「みなさんが元気に新学期を迎えることができて先生は嬉しいです。ただ、たけし君が心の病気でしばらく学校に来られません。PTSDという病気です。たけし君がまた学校に来られるようになったら、みなさんで支えてあげましょう」
 みんなで支える? そんなぬるいこと、僕は言わない。僕が、支えるんだ。なんと言っても僕はたけしの友達だから、絶対にたけしを立ち直らせてみせる。警察官のお兄さん、救急隊員のお兄さん、ガイアのお兄さん、ヤクザのお兄さん……たくさんのお兄さんたちに世界が支えられていると知った。僕はこの夏、ずっと成長した。蛹から抜け出たみたいに世界が様相をがらりと変えた。僕もきっと、何かのお兄さんになるだろう。できれば、ニートのお兄さんになりたい。そして、Wiiだけをして生きていきたい。最後には、Wiiのネット対戦を有効に利用してたけしを立ち直らせることができないだろうか。無理かもしれない。無理ならしょうがない。たけしは強い男だ。自力で立ち直るだろう。僕はたけしを信じている。信じる力は、強い。僕は耳たぶのピアスに触れた。信じる力は、強いんだ。