OjohmbonX

創作のブログです。

人間ポンプ

 彼は現代に生きる貴族であった。
 性同一性障害という概念が存在する。これは肉体的に構成される性と、精神が確信する性とが一致しない状態である。彼の場合、時代同一性障害と言い得る状態であった。幼年より漠然と時代に違和感を覚え、高貴な発言が散見されていたが、思春期を迎えて時代との断絶は決定的となった。彼は平安貴族であった。高校には一人、制服でなく狩衣を着用して登校し続けた。登下校時に衣服のあちこちの美しい紐は小学生に引っ張られ放題であった。授業中、彼の烏帽子は後ろの席の同級生達から忌み嫌われた。意地悪な古文の教師には貴族としての言葉遣いの誤りを執拗に指摘された。(彼の言葉は主にテレビや漫画から得られたものであった。)彼は世間から冷遇された。
 しかし彼が高校を卒業し、就職した地元の中小企業で事情は一変した。彼は快く迎えられた。そして忘年会。彼はこの日のために隠し芸を磨いてきた。金魚を飲み込む。そして事務の女の子の前に立つ。周りが囃し立てる。彼女と彼とは恋人同士だ。彼女はとても優しく、いつも静かに微笑みを絶やさない。彼は腹をぽんぽんと叩く。そして口から手の上に吐き出す。彼の手のひらにはダイヤの指輪があった。舌の裏に隠していたのだ。彼女は顔を曇らせる。
「人間ポンプじゃ、ないの……」
「ほほほ。驚きてのう愉快じゃのう。そうれ受け取るがよろし。プロポーズぞよ」
「ねえ、金魚は……?」
「おほ?」
「早く金魚を、出しなさいよ」
 彼は金魚を飲み込む練習はしてきたが、吐き出す練習はしていない。なにせ、人間ポンプをやるつもりは端からなかったのであるから。
「ま、まろは、まろは、ただ、そなたのよろこぶ顔を……」
「マロマロうるせえ! 金魚だせやぁぁあ!!」
 彼女は彼の口に素早く手を突き込み、吐かせた。宴会料理にまみれた金魚の死骸が畳の上で臭気を発した。彼女は生物のいのちを大切にするタイプの女だった。死なせた以上、そのいのちをいただかなくてはならぬ。無益な殺生は許されぬ。
「食べなさいよ、金魚」
『そーれ、食ーえ、食ーえ』
「まろ無理おじゃる……」
「じゃあ私が食わせてやるわよ」
『いっき、いっき』
 彼女が吐瀉物を彼に食わせ、たまらず彼が吐き、それをまた食わせる、会社の人達は合いの手を入れる……。地獄絵図(店の人にとって)は夜通し続いた。そうして彼と彼女は結婚に至った。結局は金魚(の面影は最早ないただの吐瀉物)を彼が明け方近くにようやく飲み下して、彼女は再び静かな微笑みをたたえた。以来、穏やかな結婚生活が続いていたが、結婚生活10年目にして異常が生じた。愛妻弁当の半分が飯、もう半分が生の金魚で埋め尽くされていたのである。彼は慄然とした。妻は、許したわけではなかったぞよ? しかし妻は唖然として言った。
「あなた、今さら何をおっしゃるの。今までだって金魚、出してきたではありませんか」
 そう言われてみると、新婚から、そうめんの中を金魚が泳いでいたりした。エビフライの横に金魚っぽいシルエットをした謎のフライが、いた。よくわからない刺身も出てきたりしていた。
「まろは金魚好きじゃないよ」
「あら。そうだったんですか」
『ほほほほ』
 それはそうと彼らの娘は、父親は貴族だし、母親は弁当に金魚を入れるしで学校でいじめられかけていたが、逆に両親をネタにして小学校のスターダムにのし上がった。