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OjohmbonX

創作のブログです。

三つ子の魂、百までゴミ

 母は私の目を、視線が突き抜けるくらいに真っ直ぐ見つめて、
「子供は宝物だっていうね。でもあんたは、あたしがお腹を痛めて産んだゴミだよ」
と言った。私が5歳のときだった。そう言わしめた状況は茫漠としているが、母の言葉、その声と視線は呪いのように私の底にわだかまって私を規定した。私は底の底を窮めれば却ってその呪いを越えられるとでも思っていたのかどうか、ひたすら幼い時分より悪行を繰り返した。小学1年生のときは金魚にスクリューを取り付けて川に放ったこともあった。夏休みの工作であった。金魚はものすごい速さでどこかへ行ってしまい、提出できなかった。次の年の夏休みの工作は犬にジェットエンジンを取り付けたらものすごい速さでどこかへ飛んで行ってしまって提出できなかった。過ぎたるは及ばざるが如しとはよく言ったものである。2年連続で課題を提出し得ない私を担任教師が叱ったので腹いせに教師にジェットエンジンを取り付けたら2学期と3学期を残して教師はどこかへ飛んで行ってしまった。私はまだ、自分の蛮行と母の呪いを結び付けてはいなかったものの、底にわだかまるものには感づいていた。母にあの言葉について尋ねると
「何言ってるの、お母さんがそんなこと言うわけないでしょ。いつだってお母さんはあんたを大事に思っているんだからね」
 こうして呪詛から免れる道は閉ざされたのだった。母が訂正しさえすればそれで事足りたというのに、これで私は再び底の底を窮めるというまるで不毛な道を歩み始めることとなった。それからは普通に人を殺したりした。人々にコンクリートを飲ませたり、熱く熔けたマグマを飲ませたり、美輪明宏の爪の垢を煎じて飲ませたり、した。(一般に知られていないが美輪明宏の爪の垢を煎じて飲ませると人は死ぬ。急速に黄色くなって死に至る。スピリチュアルなパワーの強烈さに耐えられないらしい。)あるいは山手線のキオスクをほぼ全部爆破したりもした。これは中学2年生のときのことだ。とんだ中二病である。
 しかしそんな私にも差し伸べられた手があったのである。授業中に私が同級生の歯を抜いていたときのことだった。まだ3本しか抜いていないというのに、熱血高校教師は私を張り倒して叫んだ。
「お前、高校生になっても分からんのか、授業中にクラスメイトの歯を抜くな!」
 狼狽したのは私ではなく、歯抜け同級生の方だった。涎と血と尿を垂れ流し、恍惚の表情で歯を抜かれていたというのに中途で止められてしまったのだから無理もない。目に涙を浮かべて椅子から転げ落ち、這い蹲り、私の脚にすがりついて懇願した。
「らめらよぉ、やめひゃらめらよぉ、ひゃんとみんなの見へるろこでろれの歯抜いへくれよぉ」
「しかし先生、ぼくは授業中に自分が何をすべきかわからないんです。同級生の歯を抜く以外に……」
「バカヤロウッ、早くエコに取り組むんだ!」
 そう言って熱血教師は嵐のように教室を去った。授業担当の教師は茫然自失の体で呟いた。
「あいつ、何なんだ……人の授業中に勝手に入ってきて……」
 そういうわけで私は見知らぬお婆さんの背中に太陽電池を、頭に風力発電を、股間に水力発電を取り付け、生み出された電力でお婆さんを高速で動作させることに成功した。空前絶後のエコに世間は驚嘆し、私は文部科学大臣賞を受賞した。大学生にして既に世界最高のエコの権化と化し、JR東日本に有無を言わせず就職した。彼らはエコの権化としての私に期待していたようだが私の目的は別にあった。中2のとき渋谷のキオスクを爆破し損ねていたのだ。私は再び渋谷へ向かった。
「来たわね。来ると思っていたわ。待っていたの」
 キオスクの中には母が働いていた。
「いい加減、馬鹿なことは止めなさい」
「JRの職員として命じます。そこをどきなさい」
「どかない。絶対にあんたを止めてみせる。お母さんはあんたを甘やかしてきた、あんたが人を殺したのも黙ってみてきた、でも、そんなのやっぱり間違ってたんだ。母親として、あんたがこれ以上悪行を重ねるのを見過ごせない。でももうあんたは真人間に戻れないかもしれない……あんたは、あたしがお腹を痛めて産んだゴミだよ」
「あ、また言った」
「え? 何を?」
「『お腹を痛めて産んだゴミ』って」
「お母さん今はじめて言ったよ」
「えー。うそうそ。俺が5歳のときにも言ったじゃん」
「言ってないよ。だって5歳のときはまだいい子だったでしょ」
「いやいや。言ったって」
「うるさいね。どっちでもいいでしょそんなこと。ぐちぐち面倒くさい子だね」
 どっちでもいい? 馬鹿なことを言わないでくれ! あんたのその言葉に捕らえられてどれだけ苦しんできたと思っているんだ! と頭が耐え難い熱を伴うが、実際にはあわあわと口がわななくばかりで何も言葉は出てこなかった。
「あんたを止めるためなら、お母さん、鬼にも悪魔にもなる」
 母はポケットから何かを取り出しそれを口に含んだ。母はうずくまり、喉を掻き毟り苦しみだした。自らの死を以って息子を更生させるなど余りに浅はかで月並みだなと冷ややかに母を見下ろしていたが、事態はそれほど甘いものではなかった。みるみるうちに母の髪は黄色く服は真っ青になり母は美輪明宏に変化した。「鬼にも悪魔にもなる」とは聞いていたが美輪明宏になるとは見上げた根性である。そして母は立ち上がり、キオスクの中から優美さを纏って出てきた。
「ヘイYO! おばさん、早くお釣りを出せYO!」
 キオスクで買い物の途中だった渋谷の若者が母に近づいたが、母は一切彼に視線を振り向けぬまま彼にデコピンを与えた。彼の頭部は粉砕された。尋常ならざるスピリチュアル・パワーだった。そして母はゆっくりと迫ってきた。私はジェイ・アール・ブレードを構えた。(一般に知られていないがジェイ・アール・ブレードはJR職員が標準で携帯し、やむを得ない場合に乗客の首を刎ねるための刀である。)その現場へ私の同僚が各々JRの斧、槍、弓矢を携えて応援に駆けつけた。そうして彼らと協力して母に攻撃を加えたり、加えられたりしている中でふとこれは何かに似ていると思った。混乱し逃げ惑う際に私にぶつかりダメージを与える煩わしい乗客を適宜切り捨てていたときに、ああ、と思い出したのはテレビゲームの「モンスターハンター」に似ているのだった。逃げたり追いかけたりして結局、新大久保で母を仕留めた。母の首は切断されたが、しばらく頭と胴がそれぞれ生きていた。恐るべき生命力、まさしくモンスターと呼ぶにふさわしい。仲間が母の死骸からアイテムを剥ぎ取る。同僚は「黄色い髪」や「青い服」、「エハラヒロユキ」を獲得する中、私は「爪の垢」を手に入れた。美輪に耐性のあった母の爪の垢であれば一般人でも美輪化の可能性があるのではないかと考え、培養した爪の垢を粉末にし、全国のJR全線のエアコンから噴出せしめたところ、人々はおもしろいように美輪化した。のみならず、美輪に噛み付かれた人々も次々に美輪化したため美輪は爆発的に増えた。私の妻も美輪化した。しかし変わらず家事と育児をこなしていた。ただ、便座が上がっていることが多くなったのが気掛かりだった。
 映画に見られるゾンビであれば太陽の光に弱く昼に活動しないのが相場だが、美輪は昼も夜もなく黄色かった。
 それにしてもいろいろな美輪がいるものだ。あるとき道端で一人の美輪が別の美輪の尻の双丘をリズミカルに叩いており、それを子供の美輪(神武以来の美少年)がじっと見ている、という光景に出くわしたことがあった。
「ヘイヘイ、ヘヘイヘイ!」 ペシペシペペシペシ。
「やめなさい、子供が見ているじゃないの」
「ヘイヘーイ!」 ペペシパァンッ!
「あなた何なの、誰なの? 美輪!? 私の尻を叩くのはやめなさい」
 やめろやめろヘイヘイのやり取りが散々続くうち、尻を叩かれている美輪も可笑しくなっておほほほほと笑い始めた。ヘイヘイ言う声とリズミカルな尻を叩く音、そして哄笑に満たされた。しかし飽きたのか全く突然尻を叩くのを止め、美輪は帰ってしまった。子供の美輪もいつの間にか消えていた。残された美輪は呆然と寂寥を漂わせて立ち尽くしていた。まだある。いつか、頭に風車、背に太陽電池、股間に水車を装備し、高速で動作する美輪を見かけたこともあった。フランスパン工房のCMに出演している美輪もいる。極めつけは歯抜けの美輪明宏であった。私に「歯ぁ抜いへくれぇ」とまとわりつき煩わしい美輪だと無視していた。薄汚れた乞食の如き美輪だった。しかしそれが、私が歯を抜いた高校の同級生だと気づいたとき、私は涙した。ここが私の窮めようとしていた底の底かと知った。絶望の寸前で、しかし意外なことに私の底からは怒りが湧いてきた。ああ、こんな日本に誰がした! 許せない……私の大切な同級生が、歯抜けの上、美輪の乞食になってしまって……絶対に許さない……鳩山政権…………
 すでに全国のJRの職員が美輪の討伐を実施していたが、焼け石に水の様相を呈していた。あまりに数が多すぎるのだ。かえって職員たちまで美輪になってしまう有様だった。そしてもはや日本だけの問題ではなかった。全世界で人々が美輪と化した。
 世界が真剣に核の力を検討したところで一人の女……男かな? が立ち上がった。美輪明宏だった。外観で美輪ゾンビとの違いを言い得ないとしても、誰もが彼(彼女?)を一瞥すれば本物と断じ得た。ゾンビとの区別はし得ても、彼か彼女かさえ弁別し得ないなどと非難するなかれ。美輪は既に性差を超越した存在なのだから。それは圧倒的な、あまりに圧倒的なオーラの泉だった。
「私にも責任の一端はありますものね」
 まったくだ。誰の所為でこんなことになったと思ってるんだ。ちゃんと責任をとれ!


 美輪は歌を歌った。それは歌詞の無い歌だった。旋律として捉えられるメロディーは無く、無調の、のみならず音階さえ無い、連続した空気の振動の連なり。美輪たちも一人、また一人とその歌に応えて歌った。世界が歌に震えた。その振動は合唱と呼ぶにはあまりに切実すぎた。美輪は南極大陸へと向かった。美輪に導かれ、世界中の美輪たちもそれに連なった。美輪でない人々も歌を歌った。道は美輪で埋め尽くされ、空間は歌に満たされた。
「私も行きますね」
「ああ」
 私は幼い息子を抱きながら妻の背を見送った。妻が靴に足を通すのを見て、全く思いがけず、ヨシコ、と妻の名を叫んでいた。緊迫した声に息子がおびえ、べそをかき出した。妻は穏やかに笑って振り返り
「私は、美輪明宏ですよ」
と答えた。全的に包んで許す穏やかな笑みだった。息子は安心したのか泣き止んだ。
 妻が靴を履き終え、ドアノブに手をかけたところで私は、ミカ、と浮気相手の名をちょっと試しに叫んでみた。
「誰よその女ぁぁぁあっ!!」
 妻は鬼の形相で振り返り、土足のまま部屋に上がり、私をしたたかに殴りつけた。
「もうどうでもいいわ! どうせあたしは出て行くんですからね、そのミカとかいう女とよろしくやってるがいいわ。あんたは、あたしが命を掛けて愛したゴミよ!」
 そのまま妻は私と息子を残して出て行き、部屋はしんと静まり返った。想像を超えたリアクションを返されて私の心臓はどきどきした。鼓動が静まるにつれて少しずつ意識の中に外の歌が入り込んできた。二階に上がり、通りを流れる美輪のむれを見下ろす。あの中に妻がいるのだろうが、見分けはつかない。


 男手一つで息子を育て上げ、JRを定年で退社した。出世も望まず、ひたすら現場で汗を流してきた。美輪事件も教科書で知られる話となった。今は息子夫婦と暮らしている。春の昼は遠くの車の音もなく静かだ。庭に設えたロッキングチェアーに身をもたせ掛けている。隣では嫁が洗濯物を干している。暖かく空は白く晴れている。
「おじいちゃーん」
 孫娘も元気に空を飛んでいる。今年小学校に上がったばかりのかわいい盛りだ。私は就学の祝いにジェットを買ってやったのだ。まったく、私が子供のころはジェットで犬や教師をあらぬ方向へ飛ばしていたというのに、今や年端も行かぬ子供ですら上手く飛びこなす。制御技術の発達はすばらしい。ガキが。調子に乗るなよ。私はひじ掛けの先にあるボタンを押した。庭からミサイルが発射され、孫娘は撃墜された。
「ヒャッハーッ!」
 空中で爆発し光が閃いた一瞬の後、ゆっくりと煙が広がり破片が舞い落ちた。季節外れの花火だった。嫁は呆れと悲しみのないまぜになった表情で私を見据えていた。
「お義父さん、いい加減にして下さい。もう5人目ですよ」
「ははは、すまんすまん」


 それから幾星霜。いまや地球は美輪の楽園である。人類が滅びた後に台頭するのはゴキブリかネズミかなどと言われてきたが実際には美輪。地球は青くない。黄色い。