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OjohmbonX

創作のブログです。

娘枕

「私は木の分野でムツゴロウさんやさかなクンになろう」
 そう理性的に考えた時点でミャンコパワーの負け戦は始まっていた。
 いや、負け戦はとっくに11年前からもう始まっていたのだ。栃木から初めて友達と原宿に繰り出した高校一年の夏には、もう。栃木の自然に育まれて鈴木理紗は美しい16の娘だった。それを本人も知っていたからスカウトに声をかけられて驚きながらも納得したのだ。高校を中退して小さな芸能事務所に入った。タレントは理紗一人でスカウトは社長だった。
「鈴木理紗なんて名前はダメだ。芸能界はインパクトが勝負だからな。お前は今日からミャンコパワーだ」
 理紗は栃木の自然に育まれていたから東京とはそういうものかと納得してミャンコパワーになった。テレビ、雑誌、舞台、ファッションショー、映画、そんなものをぼんやり夢想していたが現実はそう甘くない。まずは研修。講師はエスパー伊東。ボストンバッグへ体を入れ込む方法を徹底的に学んだ。ミャンコパワーは飲み込みが早かった。そして社長に呼び出された。
「お前みたいなどこにでもいるちょっときれいな娘程度に仕事が転がってる訳ねえだろうが。枕営業、行ってこい」
 噂には聞いていたが本当にあるのかと驚いた。力のある男の枕の中に忍び込み、男が眠ったところで枕の中から耳許へ自分の名前をささやき続ける。深層心理に働きかけるのだ。男はきっと覚えず知らず女に仕事を与えるだろう。
 もはや現代の妖怪である。
 一晩中、あるいはもっと長く身動きできぬ枕の中にいるのは辛く苦しい。しかしミャンコパワーは毎夜やり遂げた。枕としての寝心地も磨いていった。背中に肉をつけ柔らかみを与えたり、相手の睡眠に合わせて小刻みに振動を発生させたり、ささやく声にアルファ波を織り混ぜたり、マイナスイオンを発生させたりプラズマクラスターで菌を消滅させたりした。
 気づくと27。あの美しい肢体は見る影も無く醜く成り果てていた。仕事はますます来ない。(来たとしても昼夜が逆転しており受けられない。)
「てめぇみてえなドブス、芸がなきゃダメだ。考えてこい」
 それで木の肌をなでなでした後、おもむろに皮をはがし、むさぼり食っていたのだ。一人アパートで練習する。ムツゴロウさんやさかなクンのように元来好きなわけではない。ひたすら不味い木の皮を食らいながら、ふいにぽろぽろと涙がこぼれる。
「帰りたい、栃木に帰りたいよ、うう、お母さん……」
と思わずつぶやいた。
 このつぶやきを聞き漏らさなかったのがダイソンの社員であった。(ミャンコパワー(@myancopower)を、あるダイソン社員(@i_love_sanyo)がツイッターでフォローしていたため。)すみやかにプロジェクトが発足した。1ヶ月足らずで人がくぐれる程度にサイズアップした、あのダイソンの羽根の無い扇風機が完成した。プロジェクトの映像はリアルタイムで世界中に配信され誰もが注目した。後を追いかけテレビも報じた。扇風機はスカイツリーの展望台の上へ設置され、ついにミャンコパワーがその後ろに姿を現し、世界中の人々はどきどきした。そしてミャンコパワーが横のカメラに向かって笑顔で手を振り、扇風機の輪へ頭を入れた瞬間、残りの首以下が一瞬にして吸い込まれ、逆側からミャンコパワーは射出された。世界が一斉に歓声を上げた。ミャンコパワーが本当にアイドルになった瞬間だった。発射時点で音速を超え、東京の空へ飛んでいった。スーパースローの映像で今の瞬間をもう一度。一瞬、ミャンコパワーの顔と体がにょおんと伸びているのがわかる。これはカメラが速さに追いつかなかったわけではなく本当に引き伸ばされたのだ。恐るべしダイソン。
 さあ帰ろうミャンコパワー。栃木へ!
 埼玉を過ぎ、栃木上空に入っても速度は一向に落ちなかった。それどころか徐々にスピードアップしているようだった。次第にミャンコパワーも世界も不安になる。
 ああ、きっと私は栃木に帰れない。福島の女になるんだわ。あるいは山形、いいえ、日本海のもくずと化すのよ。それとも、それとも……おお、ロシア! ロシアの女はおそろしあ!
 ほとんど誰もが絶望しかけていた。どんどんスピードは増す。かすかに、ぞおぉとどこからか音が聞こえる。どんどん速くなる。音も大きくなる。耳を塞いでも耐えられないほどの音。爆音。もうすぐ栃木を通り過ぎてしまう。ミャンコパワーが細く目を開けて前を見ると大きな黒い影が目前に迫っていた。
 ずぽっ
 ミャンコパワーは巨大な掃除機に吸い込まれた。そこはギリギリ栃木だった。それを見てダイソンの外国人社員がハイタッチし合う。「イェーイ」「ヒューッ」プロジェクトは大成功。世界中が歓喜した。


 ダイソン、吸引力の変わらない、ただひとつの掃除機。

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