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OjohmbonX

創作のブログです。

ダメ。ゼッタイ。

「灯りをつけましょ、ぼんぼりに、って言うでしょ。私、ぼんぼりって何だかよく知らないのよ」
 桃の節句に私が何気なくつぶやくと、夫は
「これがぼんぼりだよ」
と次の日に本物を買ってきたのだった。
「ああ、すごいわ。これがぼんぼりなのね。さっそく灯りをつけましょ、ぼんぼりに」
 部屋の蛍光灯を消してぼんぼりに灯りをつければ、しみったれたこのアパートも一瞬でディスコに早変わりだ。ひなまつりのテーマソングをガンガンに響かせて二人で踊り明かせば大家から苦情が届くのだった。


「これがぼんぼりだよ」
 夫はその翌日もぼんぼりを買ってきた。
「知っているわよ」
「でも昨日のとは違うよ」
「そうね」


「これがぼんぼりだよ」
 夫はその翌日も、そのまた翌日も、毎日一つずつぼんぼりを買ってきた。
「意外とかさばるのよ」
と私が夫をなじると翌日は
「えへへ。これも、ぼんぼりだよ」
と言ってミニチュアのぼんぼりを持ってくるのである。


 部屋がぼんぼりだらけになった。蛍光灯よりぼんぼりの総量の方が明るい。もう9月だから200本弱のぼんぼりがあることになるが正確な数はわからない。少しずつ家財が減っている。売ってその金で買っているようだ。
 ぼんぼりが増えるにつれて夫の性欲は強まって行くようだった。カーテンが締め切られて外の光が入らない部屋をぼんぼりでギラギラに照らして、色とりどりの光の中で私は抱かれるのだ。めまいがする。いったい今が夜なのか昼なのかもわからない。獣みたいに腰を打ち付けられて私は痛みに耐える。まるで乾いている。私は夫の穏やかさをかつて愛していた。夫は固く目を閉じ、眉間に皺を寄せて苦しそうに行為を続けている。あまりに哀れで私は手のひらで夫の頬を撫でてみるが何も反応はない。哀れと思うのは夫にか私にかわからず私は夫の肩越しに天井を見つめている。ぼんぼりが私達を無視して光を踊らせている。


 冬になった。足の踏み場も無い。食べるものも満足に無い。部屋は寒い。夫はうつろな目で細々と歌っている。あかりをつけましょ、ぼんぼりに、お花をあげましょ、ぼんぼりに、五人ぼんぼり笛ぼんぼり、今日は楽しいぼぼんぼり、と呟くように歌っている。ぼぼんぼりって何、と思うと私は涙が溢れてきた。
 私は泣きながら夫に訴える。やり直しましょう、みんな捨てて、引っ越して、もう一度やり直しましょう、私達まだ、若いんだから、と。夫は死人のような目でぐるりと私を振り返って言った。
「お前もぼんぼりみたいに灯りをつけられたいのかい」 
 私を見ているような見ていないような目で乾いた声で言った。私は後退りする。ぼんぼりがいくつか倒れる。
「お前に灯りをつけてやろうね。きっと、とてもきれいだよ」
 ゆっくり夫は立ち上がって、腰の抜けて尻餅をついたまま後ずさる私に近づいてくる。私は声も出せずに後退してゆく。
 そのときアパートのドアが激しく叩かれた。出てこい、開けろとヤクザの声がする。借金取りだ。もう玄関口まで退いていた私はなんとか腕を伸ばしてカギを開けた。ヤクザは勢い込んで踏み込もうとするが私につまずいて部屋へ倒れた。体を起こせば目の前一杯のぼんぼりをヤクザは見つめる。
「何だ、これは」
「ぼんぼりですよ」
「見ればわかる。何でこんなにあるんだ」
「何を言ってるんですか! まだこれだけしか無いのに。それで、今ね。妻をぼんぼりにするところだったんです。こんなに近くにいたのに、今まで気づかなかったなあ。もっと早くぼんぼりにすれば良かったなあ」
「お願い、助けて、私、灯りをつけられちゃう、早く、お願い……助けて」
 上等のスーツをぐしゃぐしゃに握って足元に縋り付く骸骨みたいに痩せ細った私を気味悪い物を見る目で見つめてからヤクザは、夫を思いきり殴り付けた。夫は昏倒した。ついでに私も夫を殴った。するとヤクザは私を殴った。それで私はヤクザを殴った。ヤクザは
「何で俺が殴られなければならない?」
と言った。
「あんたが私の夫に金を貸したからこんなことになったのよ」
「そうか?」
「そうよ。責任取りなさいよ」
 ヤクザは業者を手配して全てのぼんぼりを引き取らせた。夫の目は案外確かだったらしく、元より高値をつけた物も多く借金を返済し通し家財も元通り揃えられた。元通りの生活。
 そして夫はぼんぼり職人になった。
「キャンドルアーティストのキャンドル・ジュンがいるくらいだから、俺もぼんぼり・じゅんと名乗ろうかな。ちょうど純一郎だし」
「いやあだ、あなたったら。オホホ」
「ハハハ。旦那、いいから手を動かして下さいよ」
 ヤクザもいっしょに住んでいる。夫の作ったぼんぼりはヤクザを通じて闇ルートで流している。ヤクザはこういう事に目敏い。若者や主婦にはじめは安く売る。次第に彼らがぼんぼりに狂い出して、無しには生きられない身体になれば値段を吊り上げる。彼らは金を無理にでも工面して買う。一般の市民をぼんぼり漬けにして人生を壊すのだ。その壊れた人生の上に私たちの生活がある。恐ろしいことだが、現実だ。
 次第に表面化し社会問題になったころには、ヤクザはとうに日本を捨てていた。
 ぼんぼりは今、新たな市場を求めて東南アジアへ流れている。