OjohmbonX

創作のブログです。

ビフォー/アフター

 となりの家が、劇的ビフォーアフターされるのをテレビで見ながら、なんということでしょう、旦那さんが小さなお子さんを抱いて、脱衣場のない風呂へ、遠い居間から裸で向かう映像が流れたのだ。全国の視聴者にとってはある一人の、困った家に住む若い男性、夫、お父さんに過ぎないとしても、私にとっては他の誰でもない、毎朝挨拶をする隣の旦那さんなのだ。引き締まった体であるのに脇腹の下にかすかな肉の緩みを見てしまったら、もう、明日から、なんということでしょう。
 匠が自己満足のために客観視をかなぐり捨てて据え付けた、床の下から現れる木のテーブル。あの妙なギミックを利用して、隣の若夫婦はアクロバティックなセックスを楽しんでいるきっと。8ヶ月の大きな腹をかかえた奥さんを、あのテーブルに乗せて、旦那さんは、あの若々しさの中にかすかな衰えを含んだ肉体を惜し気もなくさらして生殖には供されないただの悦びを楽しんでいるに違いない。


 録画しておいてよかった。
 私は番組を一晩中くり返しくり返し、特に入浴の場面をくり返しくり返し、見て興奮を引きずったまま朝を迎えていつもの顔をして家を出れば、いつもの通り玄関先で隣の旦那さんと顔を合わせた。
「私は見ましたよ。うらやましいですね」
 言われて彼ははにかむばかりだ。このはにかみは私が随分前に自動的に捨て去った、若い男にだけ許されるものだ。ここから駅までの道のりは、私にとっても彼にとっても、家からも妻からも子供からも分離された、ただ私と彼だけの時間なのだ。


 私も彼もスーツを着てそれぞれ別の会社に向かう、その毎朝たかだか10分ほどの時間の共有に、隣り合って歩きながら彼の肉体をそこに私が見て、焦燥に似たむず痒さを楽しみ始めたとは誰も知らない。日常のあらゆる場所に官能が潜んでいるというのにそれを誰もが黙殺している。私はそれらを捨てずにささやかに拾い上げ、手のひらの上に転がして眺め、人生を豊かにしている。ささやかに、それ以上は望まず、ただ眺めて楽しむ、それだけのこと。
 当たり障りのない会話を交わしていつもと変わりのない歩みを歩んでいる。内側のことは誰もわからない。
「それにしても、君の体は、」
 ところがふいにコントロールを失って私はささやかな楽しみを漏らしてしまった。あり得ない失敗に私は一瞬で血の気を失った。
「僕の体が、何ですか」
 彼の問い掛けに私は黙ったまま進む。口の中が乾いて仕方がない。何か、何か、別の、日常にふさわしい、天気か、経済か、芸能か、噂話を、口にしようとするのに言葉は焦点を結ばない、足だけが変わらず道を進む。流してくれ、流れて忘れれば何事でもない一瞬の漏出、誤差の範囲なのだ、という私の祈りは彼にあっさり無視された。
「僕の体が、何ですか」
 彼は逃がしてくれない。ついに彼が足を止める。私も合わせて立ち止まる。彼は私を欲望そのもののような目で見ている。二人の足が止まってしまった。こんなところで足を止めればいつもの電車に乗り遅れる。乗り遅れればいつもの二人のいつもは私達を置いていくというのに。通勤する男達が道の只中で立ち止まっている私達二人を迷惑そうに追い抜いてゆく。
「俺は何も言っていないよ」
「いいえ、僕は聞きましたよ。あなたが僕を見たように、僕はあなたを聞きました」
 彼も私と同じように、誰もが黙殺する種類のきっかけを紛れもなく掴んで離さない男なのだ。そして引き寄せて、私を巻き込んで、どうするつもりなのだろう。
「今度は僕があなたを見てあなたが僕を聞くんですよ」
 この瞬間、日常が不可逆的に、私達を離れようとしている、何かが始まろうとしている、ああ、なんということでしょう!