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OjohmbonX

創作のブログです。

ロスト・テクノロジー

 ああ、君が今あわてて手に取ったスプレーのことで、少し昔話をさせてくれないだろうか。君の時間を一方的に止めて、奪って、まったく何様なのだろう、暴力的なやり方だとわかっているけれど、ぜひ話をさせてくれないだろうか。



 佐々木兵衛はすでに息子に家督を譲って余生を過ごすばかりの身であった。しかしその肝心の息子が奸計にかかって失脚させられた挙句、自死に至るに及び、暗い気持ちで刀を取って家を出た。
 剣にかけては藩内で比類なしと謳われた兵衛を前に、ただひたすら狼狽えるばかりの奸徒を目にして気が抜けた兵衛は、この男を切り殺すのは止めにした。もともとが復讐心というより帳尻を合わせるつもりで刀を取っただけなのだ。それで兵衛は相手の脇をすりぬけざまに一閃、相手のまげを切り落とした。体面を潰せばそれでよしとした。
 しかし二人が驚いたことに、地に落ちたまげは、ぐねぐねと芋虫の如く蠢いていた。二人は顔を見合わせて、まげを見下ろして、また顔を見合わせて、またまげを見た。
 気味悪さに耐え兼ねて兵衛が刀の切っ先でまげを突き刺すと、まげはびくんと一際大きく跳ね、そのままぐったりと動かなくなった。同時にまげの主も死んだ。「あ」とちょっと驚いたような顔をしてそのまま、膝から崩れて絶命した。この現象を目撃して兵衛は、「まげは武士の魂」というが、なるほどこういうことかと初めて合点のいく思いをした。この齢になってもまだまだ発見はあるのだなあと感激した。
 感激ついでに兵衛は、帰りの道すがらに侍を次々と襲ってまげを切り落としていった。どのまげも元気にうねうねしていた。奪ったまげを懐に仕舞えば髪の毛羽立ちが腹を不規則に撫ぜてこそばゆかった。それでつい笑いが漏れる。
「うっふふふ。うふふ」
 くすくす笑いながら幅広の刀を自在に振るう初老の大男に恐怖しながら、侍たちはまげを奪われていった。その日だけで八まげ得たものの、兵衛はそれに飽き足らずその後、毎日平均二、三まげ奪っていった。


 兵衛のまげ収集を藩が黙認した訳ではもちろんなかった。しかし差し向けられた幾人もの刺客はことごとく、まげを奪われては追い返される始末だった。刀を易々と叩き折ってはまげを奪い、鋭い矢を避けもせず素手ではたき落としてはまげを奪う。兵衛は刺客のことを、藩からの公式なまげの供給と誤解している節さえ見受けられた。ますます生き生きとして収集に取り組んだ。


 天気のいい日、縁側にまげを並べて競争させていたところ、兵衛はちょっといいことを思いついた。もともと競争をにこにこ眺めていたが、思い付きを得てその顔をくしゃくしゃに崩してさっそく出掛けた。破顔して雀が躍るように町を駆けていく兵衛を見かけた侍たちはとっさに恐怖を顔に張り付かせたが、兵衛の方は彼らをまるで気にもかけずに、いつものまげ収集も忘れて走り去っていった。
 墓地に到着した兵衛は息子の墓を暴いた。腐乱した遺骸の頭から躊躇いも見せずにまげを切り取った。まげは微動だにしない。それまで嬉しげだった兵衛の顔が曇る。手のひらに乗せた息子のまげを興味も無さそうに指でつつく。ふいにまげが、息を吹き返したように蠢き始めた。
「ほうーら、やっぱり!」
 まげの方を殺すと侍は死ぬ。しかるに死んだ侍のまげはまだ生きている。これぞまさしく、「まげは武士の魂」の証左ではないのか!
 兵衛はそのまま楽しそうに帰っていった。一部始終を陰で見ていた寺の住職は、悲しそうに兵衛の息子の墓を埋め戻した。


 兵衛は寺からの足でそのまま、数年振りに登城した。
 城勤めの侍たちは兵衛の姿を認めて一様に緊張を走らせたが、彼らが緊張を走らせようと恐怖を抱こうとたじろごうと諦念にまみれようと、兵衛にはかかわりのないことで、いずれにせよ彼らはまげを次々に切り落とされるばかりで兵衛の歩みを止めるどころか、徐々に加速させる始末なのだった。
 そうして兵衛は主君の前に一対一で座っている。
「この通り、私の息子は生きております」
 畳の上でうねうねと蠢くまげを、二人は見つめている。黙ったまま二人して見つめ続けた挙句、沈黙に耐え兼ねて殿が訊いた。
「それで?」
「息子を勤めに戻していただきたく」
「まげだけでか」
「然様で」
「駄目だ。まげひとつで役は勤まらぬ。まげだけで藩士と言えるか」
「恐れながらまげは武士の魂そのものでございます」
「黙れ。控えよ」
 兵衛による息子の復職願いを藩主は毅然と退けた。しかしかすかに手が震えていた。先代を若くして亡くし、たかだか数えで十六の藩主。恐怖に震えながらなお、毅然と振る舞おうと必死な少年を兵衛は哀れに思うと同時に、どうしても、そのつやつやしたまげに目が行ってしまうのを禁じ得ないのだった。黒々として豊かなまげ。君主にふさわしい見事なまげ。若さのあふれたまげ。
 兵衛自身も気づかぬうちに、小刀の口を切って藩主の脇をすり抜けていた。左手にはすでにまげが握られていた。藩主は一瞬、風が過ぎたかと思うばかりで、まげの消失に気づいたのは実に、兵衛が息子のまげをしまって退出した後、入れ違いに罷り通った家老に指摘されたときだった。


 息子のまげ、藩士二十弱のまげ、藩主の極上のまげ。両手に余りある収穫に浮かれていた兵衛の気分は、一瞬で地の底へ突き落とされた。
「あなたの大事なまげが、死んでいますよ」
 帰宅するなり妻がまるで関心も無さそうに告げた。今日の収穫も取り落として自室のまげ箱を慌ててのぞき込むと、たしかにまげが一つ、動かなくなっている。
「千代、千代べえ、しっかりせんか」
 それは兵衛が「千代」と名付けて、のみならずさらに「千代べえ」とあだ名まで付けてとりわけ可愛がってきたまげであった。収集開始のほどなく手に入れた付き合いの長いまげだった。徒競走で一等をとったまげ、手のひらにのせれば、しっとりとした感触をつたえたまげ。最初は反抗的だったのに少しずつ自分に心を開いていったまげ。
 たしかに少しずつ弱っている気はしたものの、死んでしまうとは思ってもいなかった。怒りが沸いた。怒りは千代の製造者へ及んだ。弓削彦四郎という。
「弓削ェッ!」
 怒りに満ちて家を飛び出した兵衛は、ちょうど町を歩く弓削を目にして、地鳴りのような声で呼び止めると、弓削はそのままくにゃくにゃと地面にへたり込んだ。
「うん? 生えておる」
 そう思うのと同時に兵衛はすでに弓削のまげを切り取っていた。弓削の新しいまげは生き生きとうねうねしていた。兵衛の手のひらのうちから逃れようと必死なようだった。この反抗する性質はまさに出会ったばかりの千代と同じものだった。
 兵衛はなるほどと思った。新しいものが生えると古いものは死ぬ。またひとつ、世界の神秘を説き明かしてうれしくなって、それから、この新しい千代と信頼の絆を深めていくことを楽しみに思いつつ、帰路についた。
 残されたまげなしの弓削は「また、また、」とうわ言のように繰返しつぶやきながら、平たい頭を無益に撫で続けていた。


 しかるに帰宅した兵衛はせっかくの新千代べえを省みぬまま、鏡の前に座って少女のように腰をくねくねさせていた。取り返しのつかぬことと思ってこれまで躊躇われた、自分のまげを収集品の一つに加えるという欲望を充足させようと決意したのだ。人のまげを切るいつもの呆気無さをどこかへ置き忘れて、兵衛は散々半刻も鏡の前でくねくねしてからようやく、切り落とした。
 手に取ると人のものとさほど変わらぬように見えながら、どこか違和感を覚えた。ためつすがめつ眺めるうちに、この違和感が自身の身体に覚えているものだと知れた。まげに触れるたび全身の肌の、ほんの薄皮一枚がざわついて、表面のうぶ毛がふるえるような感覚を覚えた。命が連動する程のものであれば、さもありなんと独り納得しつつ兵衛は、何を思ったか何気なくまげをぎゅうと握った。
「おっほぉおおおおっ!」
 骨という骨が内側に向かって裂け飛んだかと思われるほどの衝撃に襲われて、兵衛は畳の上に崩れた。白く飛んだ思考を徐々に取り戻すうちに、冷静に今のは、絶望的な快楽だったのだと判じた。このような、死の痛みにすら等しいほどの快楽を、この齢にして知るとは、あまりの世の深さに、感動していた。
 持ち前の知的好奇心(好色さではない)を存分に発揮し、兵衛はまげいじりに勤しんだ。
 それを本当に興味も無さそうに襖の陰から見ていた奥方はただ、
「これだから男は」
とだけ言って放置した。


 兵衛はそれから表に出なくなった。集めたまげが次々に死んでいくのさえ省みず、まげいじりに没頭していた。快楽をただ貪っているように見えた。
「これだから男は」
 人々は平穏の到来と口では言い交わして慶色を無理に浮かべ合いながら、心の底の底に湧いた不穏な予感を抑え込んでいた。
 数カ月に及んだまげいじりを経、新千代べえと自分のまげを残して他のまげが全て死んだ時、兵衛は、ずいぶん弱ってしまった自らのまげを置き、ほぼ完全に近く復した髪を整え、髭を剃り落とし、真新しい装束に身を包み、ついに、家を出た。
「すべてが満ちた。すべてが完全に訪れたのだ。なんと晴れ渡った空であろうか」
 玄関を出たところで、見送りの妻にでも、自分にでもなく、ほとんど世界に対して兵衛は言っているようだったが、いずれにしても奥方にとって本当に興味のないことだったため、彼女は終始無表情であった。


 城に再び現れた兵衛を目にしても今度は藩士達は何の抵抗も示さず、また兵衛も当たり前のように入っていった。ただ、今度は兵衛が誰のまげも気に留めぬことを意外に思うばかりだった。兵衛は、重大事であると藩主への目通りを願った。
 家老を筆頭に藩の重臣連中が居並ぶ奥に藩主が座っていた。重臣たちは一様にどこかぼんやりしていた。兵衛の顛末にいずれも疲れきっていたのだ。藩主のみが脇息に肘すら預けず背をしゃんと伸ばし、見開いた目で兵衛を凝視していた。
「よくおめおめと……貴様どの面を下げて……腹を切れ、腹を……切れ、腹を切れ、腹を切れ、腹を」
 しかし兵衛はその視線を無視して、藩主の復活したまげをひたと見つめていた。
「腹より、まげのことでございます」
 藩主はまげと聞いて反射的に頭へ手をやったが、それより早く、すでに兵衛はお上のまげを手中に収めていた。


 自分よりいずれもはるかに年上の男達が一言も発せず見守る静かな空間で、少年の黄色い絶叫だけが響いていた。兵衛は殿のまげの先端を指先で、触れるか触れないかの距離をもって、こそぐるように撫でた。皆より一段高い畳の上で身もだえする藩主を、藩の重鎮たちは放心して見つめていた。
 やわやわと揉んでいたかと思ったら突然、強くはたいた。
「はうう!」
 息も絶え絶えに藩主は脇息にぐったり崩れかかる。
「はばかりながらこの佐々木、術を極めましてございます。……これまでは序の口。術の全てを、不肖この佐々木、命を賭してお上にご伝授申し上げる」
「え?」
 藩主にとって明けぬかと思われるほど長い夜が始まった。


 術の全てを藩主の身に叩き込み尽くし、翌朝帰宅した兵衛であったが、その顔は全ての感情を失っていた。その両手に新千代べえと自らのまげの屍骸を載せていた。
「済まぬ。済まなんだ。お前達を犠牲にした。だが、俺は天命を全うした」
 夜を徹した後の老体は疲労にまみれていたが、今まで死んでいった全てのまげをその手で庭へ埋葬した。軽く土を流して着替え、再び家を出た。
 突然の来訪にさして驚きもせず、それどころかもはや三度目に慣れたらしく、弓削は意味不明の笑顔まで見せて兵衛を迎え入れた。のみならずまげを自主的に切り落とし、兵衛に差し出す始末だった。
「元気でござる! 元気でござる!」
 兵衛の手の中であの懐かしい反抗を示してうごめく三代目千代べえを指さして、誇らしそうにはしゃぐ弓削の一方で、兵衛に表情はなく、もはや地上に立っている者か疑わしめるほどに、力はいささかも感じられなかった。
 それでその手が動いたことに本人も弓削も気づかぬうちに、兵衛の脇差は弓削の腹を貫いていた。笑顔を固着させたまま弓削は崩れ落ちた。
「許されよ、とは申さぬ。済まぬ」
 製造者を絶命させて永遠の命を得た千代べえを手に、兵衛は去った。


 兵衛は森にいた。自分のまげを落とし、千代べえと並べて地に置いた。
「次を生きろ」
 兵衛は腹を切って果てた。二つのまげは森の奥へ消えた。
 遺骸は迷いない足取りの妻によって翌朝には回収された。森の木々を抜けた朝日が注ぐ兵衛の遺骸に、いささかの興味もない顔のまま。
「これだから、男は。」


 術を一方的に、身をもって背負わされた藩主はしかし、まげ術を葬ろうとした。ところがその決意を嘲笑して術はたちまち巷間にもたらされた。重臣連中から漏れたのだ。重臣の誰といわず、その全員から漏れたのだった。
 まずは下級藩士にまげの無い者が現れた。
「お主その頭、昨晩やったな?」
「ござるござるwww」
 巷は侍のみならず町人までまげのない者で溢れ返った。
 この醜悪な地獄を目の当たりにして藩主は、まげは民衆の阿片、と呼びただちにまげいじりを厳然と禁止した。まげを弄ぶ者は身分を問わず斬首とした。青すぎる春に術を犯した自らの嫡男さえ腹を詰めさせた徹底ぶりを、生涯貫き通した。
 その振舞いを藩主は誇りと信じて生き抜いたものの全く不幸なことに、最期の最期、老衰の床、死の境に足を踏み入れた瞬間に、途方も無いあこがれに襲われたのだった。あの死と紛うほどの快楽、この生あるうちにもう一度だけ味わいたいと哀れな老人は望んでしまったのだ。そうして取り返しのつかない後悔にまみれながら、名君と謳われたまま藩主は死んだ。死の時、その後悔は言葉にならず、ただ呻き声として処理された。その呻きが虚空に溶けると同時に術も消え入った。



 さて、昔話はこれで終わりさ。君に時間を返そう。
 君があわてて手に取ったそのスプレー、マゲジェットプロだけれど、それを君は目の前のまげに向けて吹きかけるだろう。どれほど噴射すればよいのかいまいち計りかねて、ややオーヴァーに、フローリングの床のあちこちに水滴が生まれるほどに吹きかける。いつの間にか君の視界に現れて、君をひどく不快な気分にさせたまげは、不可解で激しい動きをしばらく見せた後、硬直して死ぬ。君は素手でその黒光りした屍骸に直接触れる勇気もなく、ティッシュでそっと掴んでゴミ箱へ捨て、さらにその上に何枚かのティッシュを無造作に捨ててもちろん悼むこともなく、安心の生活を取り戻す。でも、一まげを見たら五十まげいると思えと言うしね、何度でもまげはふいに視界を汚して、日本の何千、何万人という君がそのたびに、丸めた新聞紙やマゲジェットプロで何度でも殺す。
 日本の全国(北海道を除く)に広く分布して忌み嫌われているこの黒光りする不快なものは、言うも愚かなことだけれど、森に消えた二つのまげをアダムとイブとして持つまげたちだ。なにせ森の湿った土は、彼らの繁殖にとって実に適したものだったからね。暗い森にひそやかに生きてきた彼らから住処を奪って無理に視界に映る範囲へ引きずり出した挙句、日常を揺らがせたというただそれだけの理由で君たちは容赦なく彼らにマゲジェットプロを噴射して、あるいはマゲサンを焚いて殺す、君たちの栄光ある先祖たち、侍の魂をかくも無残に殺しているというわけだ。
 別に非難しているわけではないよ。殺そうが殺すまいが勝手に増えてゆく彼らなのだしね。これからも好きなだけ殺したまえよ。