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創作のブログです。

熊ノ原

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1

 ああ、蒸すわね。50の男にはちょっとつらいかも。植物の息がこの森の空気を満たして、ああ、蒸すわあ。今日もお目当ての原っぱは見つからなかった。だけどそれっていつものことだから私、気にしない。足場は良くないけれど、関係ないの。この45年の積み重ねの上では関係ないのよ。ソールを通してしっかり凹凸を足の裏がつかまえているのを感じる。そして完全にからだをコントロールできているっていう実感がある。からだのあらゆる要素がみんなきちんと組織されている、地面や重力と、私のからだがなめらかに調和している。からだだけじゃない、右手に握った小太刀の剣先、刃の面がわずかな狂いもなくあるべき角度と位置ですべり込んでいく。この感覚をいつでも得られるようになったのはほんの5年ほど前から。そんな感覚があるってことに気づいたのは20歳くらいのとき。ときどき一瞬、びっくりするほどしっくりくるって感じに気づいて、それが少しずつ持続するようになって、集中すればきちんと維持できるようになったのが45歳、そこまでくるのに25年かかったわけ。ようやく最近、意識を向けていなくてもからだがしっくりくる状態を保てるようになったわ。

2

 父が私に叩き込んだ20の型をまがりなりにも間違えずにできるようになったのが10歳だった。18の時にはもう父が指導をやめた。その頃には型のたいせつさみたいなこと私自身がすっかり得心していたから型の稽古をおろそかにすることなく続けてきた。それから25歳から30歳にかけてひとつひとつの型の意味がわかってきた。筋力を強化するための動作、肉体を操作する意識を高めるための動作、実戦での相手の動きを想定した動作、刀を効率的に運用するための動作、そんな様々な意味が組み合わさり、あるいは重ね合わさって、ひとつの型を形成している。それがだんだんはっきり見えてきて、そうしたら一気に景色が違って見えた。バラバラに存在してた型のひとつひとつが、きちんと自分の位置を見つけておさまっていった。もっと大きな流れというか目的が見えて、視界がすっきりした。それまで決まった型をより上手にできたらうれしいってことしかなかった。それはピアノの練習をしてる子が、先生に決められた曲をとにかく弾けるようになってうれしいっていうようなことに過ぎなかったのかも。けれど、もっと今自分が何をしているのかがしっくり腑に落ちて、それまでずっと「これでいい」と思っていた動きも全然違うことがわかったりした。身につけた型をひとつひとつ、まるっきり更新する作業に入った。
 32歳のときになにか衝動にかられてレポートを書いた。だれに報告するってわけでもないから、自分へのレポートね。会社員だからそれなりに書類を書くことはあったけど、もともとまとまった物を書くなんて習慣なかったのに不思議ね。あらためて書こうとすると頭のなかで考えていたよりずっと足りないってことがわかったよね。あと逆に、頭のなかではもっと色々考えてたのに、ずっと減っちゃうのね。そっか、書くってことは、ある形に嵌め込んじゃうってことなんだ。だから色々捨てたり、新しく入れ込んだりしなくちゃいけないんだってわかった。そうやって型のことがもっとよくわかるようになって、ふしぎなことが起こったの。
 型が溶けて混ざりあっていったのよ。いえ、やろうと思えばもちろん、ちゃんと型に忠実にできるのよ。でもそうじゃなくて、その時の動きのなかで、流れの積み重ねとその瞬間の状況や環境から、次に「そうすべき」動きがわかっちゃうの。そうするとその自然っていうのか、秩序っていうのか、そっちに従わなきゃいけないって気がどうしてもする。もともと型のあいだの「つなぎ」の動きというものはあったけど、それじゃない。型にふくまれる細かな動作ひとつひとつが、もっと分子みたいにばらばらになって、その瞬間、瞬間で再構成されていくって感じ。そのときにはもう、私自身は型のことを意識してない。どうするのが一番いいんだろうってことだけを感じてる。圧倒的な自由がこのからだを満たしてきた。型を徹底的に叩き込むことで、むしろ自由に到達するんだわって思った。組み合わせ爆発っていうのかしら。ひょっとしたらジャズの即興ってこういうのかもしれないのね。
 こういうことだったの、って思った。この名前もない、父から受け継いだ剣法って、こういうことだったんだって。父は私が29のときに65で死んだ。あなたが見てた剣技も、こういうものだったのってこと、聞きそびれちゃった。

3

 木漏れ日を刃が反射させてきらきら光る。小太刀を遣うということは、必然的に体術も含むことを意味するわけ。取り回しがきく分、間合いが短いから四肢を使った攻撃と防御も小太刀の間合いの範疇に入ってくるのよ。もちろん20の型も体術の要素をたくさん含んでる。
 それで間合いが短いと言っても、たぶん一般に人が体得的にイメージする間合いよりも20%ほど伸びるのよね。この距離離れていれば安全、って思ってももうそこは私の間合いだってこと。それは一般の人が普段感じている「一つの動作でこれくらい届く」っていう距離は、からだの使い方を最大限まで効率化していない距離だから。関節がどこまで動いて、筋肉がどう縮んだり伸びたりして、重力がどこにどれくらい働いて、っていう細かな一つ一つを知らない、そうした一つ一つをまとめ上げることを知らない。からだの効率を本当に高めていけば20%くらい有効径が広くなる。実は私自身はもう、ずっとこのからだの感覚に慣れてしまっているから、みんながどう感じているのか感覚的に想像するのが難しい。だけど日常のなにかのタイミング、駅のコンコースで斜めにやってくる人を避けたりするようなときに相手がびっくりした顔をして、そっか、こんな風に動いちゃうと相手の想像の外側なんだなって思うときがあるのよ。だから普段はあえて一番いいような動き方はしないようにしてる。
 子供がまだ中学生だったときに、お父さんを捕まえられる? って遊んだことがあった。小学生みたいにキャッキャしなくなっちゃったかなって思ってたけど、まだスイッチが入ればはしゃぐくらいには子供だったんだよ。それで最大限効率的な動き方で逃げていたら、はじめは不思議な顔をして、だんだん表情に恐怖が混じり始めていった。たぶん祐太から見たら私、急に視界から消えたり、現れたり、いつの間にか後ろに回っていたり突然からだを掴まれたりして、わけがわからずに怖かったのかもしれない。この一人息子には剣法を教えていない。だって平成だよ? 強制して引き継がせるような時代じゃないもん。

4

 小一時間ほど動いて午後1時、車まで戻る、きた道をそのまま帰るだけ。いつも違う道を行っている。それで森の中の道のないところを通ってくるから、小太刀が鉈がわりにもなって便利ってわけ。峰を肩に乗せて、時折枝や草を払っていく。刃渡り55センチメートルで柄は木造り。父から20歳で受け継いだときに柄を拵え直した。私の手のかたちに合わせてやわらかな凹凸があり、表面にはローレットに似た綾目の細かな溝が刻まれたその柄は、私の手によく馴染んでる。
 気楽な散策だよ。ときどき立ち止まって木を見上げたり地面を見下ろしてる。もともと植物にも昆虫にも詳しくなかったけれど、気になって少しずつ調べたりしてるうちに詳しくなっちゃった。日曜日になると毎週来てる。みっちゃんや祐太を連れてきたことはなかった。みっちゃんは結婚する前からアウトドアとかは嫌いだったし。でもそういうことじゃなくて、何となく私が妻や子供を連れてきたくなかったってことかも。それはたぶん、私が祐太にこの剣を伝えないって決めたことと同じところからくる気持ち。
 この森は祖母から父へ、そして私へ引き継がれてきた。この小太刀や技と同じだ。ここはずっと昔から森だったわけじゃない。もとは採石場でハゲ山だったって聞いてる。古い写真も見たことがあるけれど、本当に木なんてまるで生えていなかった。それを祖母が植林をしてここまでの森に育てたらしい。どういう経緯で採石場が祖母の私有地になったのかはわからない。そもそもここは祖母の生まれ故郷でも何でもない土地だった。父も知らなかったようだ。ただ祖母はなにか手広くお商売をしていたそうだ。私が4歳のときに死んだから直接の記憶はほとんどない。けれど一度だけ祖母が、歩き始めたばかりの私を連れて木の苗を植えたと聞いた。
 今ほど環境問題への意識もほとんどなかった時代に、一体どういうつもりで植林を始めたのかもわからない。何もわからない。けれど本当に森を作ったのだ。

5

 祖母は植林の労働力を確保するため、町へ出て行った村の若者たちを金の力で呼び戻した。それに飽き足らず、どこの者とも知れない、ちょうど今の私と同じくらいの、50代あたりの男たちも大量に集めてきた。さながら昼は採石場を再開したような人出だった。夜になると若者たちは村の自家へ帰り、50代の男たちは作業場の近くに建てられた巨大な倉庫に寝泊まりしていた。時折何台ものリヤカーが食料を積んでやってきた。年取った男たちは誰も彼も痩せて生気が感じられなかった。いつも緩慢に動き、顔の区別がつかなかった。そのうち若者と年寄りの間でいさかいが起こるようになった。理由は実に些末なことだった。苗木の置き場のルールを守らなかったとか、作業の連携が上手くいかないとか、一つ一つは単に対策を取って解決すれば済むだけの話だった。ただ若者たちにとって年寄りどもは得体が知れなかったから攻撃的になっているだけだった。自分達の村、テリトリーに闖入して、その上馴染もうともせず来歴も語らない。相手への安心感を持ち得ないでいれば、相手のやることなすことに敵意をあえて見出だしてしまう。しかし年寄りは若者に責められてもはっきりしない言い訳を何か口の中でもぐもぐ言うばかりで、若者たちをますます苛立たせた。
 理由にならないような理由でついに若者たちの怒りが閾値を越えてあふれ出し、暴力となって表出した。年寄りたちは一方的に殴られるばかりだったが、一人の年寄りが最初から決められた作業を遂行したというような動きで、一人の若者をスコップでスムーズに殴り殺した。若者たちははじめ呆気にとられて仲間の死体を見つめたが、ようやく殺されたのだと理解してますます猛り狂った。おびえた年寄りたちは倉庫に逃げ込んだ。若者たちはあの年寄りを出せと倉庫を壊す勢いで詰め寄った。
 そんな光景をどこかからずっと見ていたはずの祖母がすぐとなりにいることに、若者がふいに気づいて度肝を抜かれた。当時28歳の祖母は私の父を身ごもっていた。身重の雇い主が、いつの間にかとなりで、何気なく抜き身の刀を手に提げて立っているのに気づいて若者たちは、文句を言うのも忘れて息を呑んだ。木の柄の小太刀だった。激情に駆られてわけもわからず祖母につかみかかろうとした若者もあったが、つかむより前に、当人も周囲の者も気づかないうちに祖母の脇をすり抜けて転倒していた。若い女の監督者は、妊娠8ヶ月の腹を苦にもせずさっさと倉庫の中へ入っていった。倉庫の内も外も静まり返っていた。しかし中から少しずつ悲鳴が近づいてきた。祖母は一人の年寄りの男の耳をつかんで引きずって、表に出てきた。
「この男かい?」
 若者たちは誰も何も答えられなかった。年寄りたちの顔の区別がつかなかったからだ。けれど祖母は答えを待たなかった。いきなり小太刀が閃いたかと思うと男の耳はもう切断されていた。
 男の絶叫だけが、岩をむき出しにしたままの山肌に反射して二度聞こえた。声帯を持たないウサギの鳴き声に似た、キャーッという音だった。
 若者たちは無言のままお互いに隣の乱れた呼吸と喉の動く音を聞きあった。倉庫の暗い入り口の奥には諦めに似た年寄りたちの生ぬるい息がひっそりとこもる気配があった。男は耳の切り口を押さえてしくしく泣いていた。祖母は耳をその男の手に握らせて、刀身を手拭いでぬぐっていた。
 とまれかくまれ、その騒動はそれで終いだった。死んだ若者のことは金で片付けられたようだった。

6

 その一件から一月ほどが経つと、年寄りのうちの何人かが日が暮れると倉庫へ戻らず若者と一緒に村へ降りてくるようになった。それで若者の家に泊まり、家族と歓談することもなく、若者と性交した。専ら若者が年寄りを道具のように扱って口や肛門で一方的に欲望を満たした。若者の中にはもう妻帯している者もいたが、どういうわけか年寄りを使うのをやめなかった。妻をはじめ若者の家族は文句も言えずに耐えていた。休日にはそのまま若者の家で過ごす年寄りも現れた。年寄りはどこまでも図々しく飯や酒を静かにせびるようになった。そして年寄りたちは、植林の仕事が終わったあともその家に居ついた。本人たちは「森を守っているのだ」とうそぶいた。
 そうした事態は自然に発生したわけではない。祖母の差し金だったという。年寄りを養う費用を削減する経営者としての目的からか、無益な好奇心を満たす個人としての目的からか、全く不明だった。けれどその差し金はトップダウンでなかったのは確かだった。若者・年寄り双方のリーダー格に話をつけたというようなことではなく、下の者、従属的で消極的で仲間外れにされたような者たちへわずかな言葉をおりおりかけて、いつの間にか若者と年寄りの無惨な性交を多重に引き起こしていった。
 そんな若者の子供だった人たちが今も何人か村に残っているそうだ。私は会ったことがない。父が会って話を聞いたことがあったといつか話した。家の中に他人がいる。時々意味もなくふらりと、まだ若い木が生えているだけの山へ行くばかりで働きもしない老人が家庭にのさばっている。自分の母親がその老人を憎々しげに見つめながら黙って食事を出している。父親が土間でその老人を犯している。子供だった彼は何をしているのかわからなかった。わからないままイメージだけを生々しく抱え込んで、少年になって知識として得た性交の存在が、あのイメージと突然結び付いたとき、彼は嘔吐した。嘔吐の生理的な苦しみの中にあって彼に訪れたのは、幼いころ風邪で吐く彼の背をさすってくれた母親のあの手の感触ではなく、老人と父親を憎々しげに見つめていた母親のあの目の鈍い光だった。彼は高校に上がるため家を出て、高校を出るとそのまま町で就職した。どうしようもなく女性と性交することができなかった。所帯を持つことなく、母親の介護を機に村へ戻った。父親は既に死んでいたが、老人はまだ生きていたという。かつて寝室として使われていた奥の間の柱に、枯れ木のようなからだをもたせかけて、ひねもす座っていた。
「そろそろ森を見たい」
と老人が空の頭蓋骨にひびいたような声で希望したのを聞いて彼は、それを担いで森を訪れた。彼はそのときが森を訪ねたはじめてだと思っていたが、森に入った瞬間、まだ幼児だった彼が、今かついでいるものにおぶわれてこの森に来たことがあると思った。「良い森だ」と一言だけ言ってそれは納得した様子で、彼はそれを適当な木の幹にもたせかけて置いてきた。
「あれはもう死んだか?」
「死んだ」
と母親に問われた彼が答えると、寝たきりの母親は二、三度深くうなずいて翌朝に死んだ。それで彼は一人でその家に暮らしていた。彼はどこも同じだと言う。この村はどこの家も同じなのだと父に言った。
 父は自身の母のつくった森がどういうものか、今の私と同じくらい、50歳になったころふと思いをめぐらせた。それで一人で村を訪ねたという。その村の男が一通り話し終えると父と男のあいだに無言の時間が横たわって、ただお茶を飲んでいた。
「あの森を作った女こそ、元凶です」
 そう男は言った。父はそれには何も答えなかった。湯飲みが空になったから、男が台所に立ってつぎに行った。戻ってくると盆の上に長い刺身包丁が乗っていた。男は父の前に茶を置き、自分の側に置き、それから刺身包丁を手にして父の喉をめがけてまっすぐに突いた。父は単純に避けた。興奮した様子もないまま、極めて自然にそうした事態が推移した。男は乗っている茶をこぼさないように気をつけながら、机を部屋のすみによけ、部屋の真ん中を広くしてから、あらためて父の前で刺身包丁を構えた。父は鞄から白鞘の小太刀を出して抜いた。
「あなたのお母上が持っていたというのが、それですか」
「その通りです」
「例えばその刀で私を殺して、森に捨ててくるというのは、どうでしょうか」
「お断りします」
 男は落胆したようにも見えたが、ほとんど表情も様子も変わりなかった。低い天井の、仏間を兼ねた応接間の畳の上で二人は足を素早く運び、引いては詰め、寄っては退く、けれどどちらも打ち込むには至らないまま間合いをはかり合っていたのが、距離の正確に合う位置にはまって静止した。実に美しい構えだったと父は評した。名のある流派で学んだとも思われない、しかし無駄な力の入るところのない構えを男は見せた。安易に攻め入れば十分に守って、生じた隙をつかれそうに思われた。そうは言ったところで、所詮素人が刺身包丁を構えただけのこと、男が長い静止に耐えかねて動いた瞬間に構えが崩れ、父はやすやすと男の懐へ侵入ししたたかに柄尻でみぞおちを打った。畳の上で痛みにもだえ苦しむ男を尻目に父は退去した。
 自分が女を抱くこともできず村に閉じ込められたのは、老人のせいだ、森のせいだ、森を作った女、お前の母親のせいだと言うが、
「だったらお前も使えばいいだろうと思った」
と父が言った。使うというのは、その老人の尻を性欲の捌け口にしろという意味だった。私にはどういうつもりで父がそんなことを言ったのかわからなかった。

7

 急に私ぴんときちゃった。行きは気づかなかったのに同じ道でも帰りは景色が違うから脇に道があるのに気づいた。ほとんど道だってわかんないかも。草も生い茂ってる。でもそこだけ植物の生え方が違ってそれが細く長く続いてる。むかし道だったところなんだ。いつもならこのままもう帰る時間だけど、今を逃したら二度と見つからないかもってその道に入って進んだらふっと森が開けて、やだ、ここ、あの原っぱじゃない、って……
 父から聞いて再構成された記憶なの。3歳でようやく歩き始めた私の手をひいて祖母がここへ連れてきた。この原っぱをずっと探してた。でも真剣に探してたわけじゃない。本気で信じてたわけじゃない。そんな原っぱなんてもう森に埋もれてると思ってた。でも毎週通いながらいつか会えるといいなって漠然と思って毎回べつの道を歩いた。そうしたら、やだ、あるじゃない? 今でも歩けばそれなりに大変なこんなところ、どうやっておばあさんと子供で来たのかしら。この原っぱの真ん中に私たちはクスノキを植えた。50年弱でもう根本からお空へふぁーって伸びてこんなに緑みどりして。かなしいくらいにきれい。私根本まで寄って見上げて緑の隙間から白い空の光が強く差し込んでる、うろこみたいな木肌にふれて、手のひらをぎゅっと押し付けたらいきなりおばあちゃんのこと脳がぎゅーって思い出したの! 洋平、この森はね、もうあんたの森なんだから、お願いね、ってふるえる声で私に話しかけた祖母は、その次の年に死んでしまった。私ぜんぜん覚えてたじゃん。
 どれくらいだろ。10分くらい? ただ立ち尽くして木に触れていたら人の視線をとつぜん感じて鋭く振り返った。
 あら。熊ちゃん。
 聡明さをたたえた目で穏やかに立っていた。こんなところにいるはずがない。でもそこに熊ちゃんがいるのは現実だった。飼いきれなくなってペットを放したのかしら。熊のペットなんて法律で禁止されてないのかしら? 助走もなしにいきなりトップスピードに乗せて駆け寄り鋭い爪で私に襲いかかった。私はかろうじて小太刀で受けつつ身をかわした。横に飛びしさったけれど熊ちゃんは第二撃を放ちもはや避けきれずに左の二の腕の肉をわずかに抉られた。なお間合いを開け、それでも体勢を整えて構え直すと、三たび襲いかかろうとしていた熊ちゃんは攻撃を途中でやめ、いつでも駆け出せる姿勢で止まった。それは私の間合いのぎりぎり外だった。なんなのこの熊! 一体これは熊なのだろうか。人としか思われない。たしかに知性を宿していると思った。
 そうしてからだのあちこちの肉を削られながら、なんとか致命傷を負わずに済んでるのはこの剣術の特徴にあるのかもしれない。小回りのきく小太刀と四肢による防御の中で活路を見出だす性格によってどうにか防いでいる。対人稽古を積まず、型を主体に体得してきたこともあるいは救いになっているのかもしれない。かえって人の動きを覚えて予測していれば、人よりはるかに早く広い熊の動きを見誤っていたかもしれない。人の動作を基にした予測に頼るところが少なく、現にあるこの熊の動きを見て今、動けている。防戦一方だったのが次第にその早さと軌道に慣れていった。しょせんは熊って感じ。動きが単純なのよ。攻撃を防いだら、その後の一瞬の隙を、熊の小手を狙うことへひたすら費やした。一度あたりの手傷は浅くても、同じ箇所に加え続けていけばいい。点滴石をも穿つ、浅い連撃熊ちゃん倒すってわけ。やだ、私、見いだしちゃったじゃん活路? と思った瞬間、腕の傷がひどくなった熊がいきなり噛みついてきた。忘れてた。熊って爪だけじゃなくて牙もすごいんだね。私もうこれ死ぬかもしれないねと思った。いくらなんでも熊と戦って勝つなんて、変じゃん。とっさに左腕を口に差し入れて、同時に喉元を刀で浅く突いた。驚いた熊は口を離して腕をなんとか噛みちぎられずに済んだ。前方に飛び抜けざまに熊の首の側面を斬った。私は体勢を崩して着地を失敗した。着地のことなど考慮して飛ぶ余裕などなかった。地面を転がりながら熊が倒れる姿をきれぎれに見た。跳ね起きて刀を構えたが左腕は上がらなかった。ちぎれてはいないというだけで二度と使い物にはならないようだったが、それを目視で確認する隙を見せることもできず熊に視線を注いで構えを維持した。
 熊ちゃんは、死んだ、っていうことを確信するまで結局10分か30分かそのまま小太刀を構えて、ようやく力を抜こうとしたけれど、からだがうまく動かなかった。血がめぐりはじめて、からだがほぐれていくのを感じると同時に、全身が猛烈な痛みと疲労に襲われた。だけどこんなところで倒れて私が死んだらなんのために熊ちゃんは死んだのよ? ここで私がちゃんと生き延びなきゃ、熊ちゃんに申し訳ないって思ってよちよち帰り始めた。

8

 もう夕方だった。木漏れ日もよわよわしくて森のなかは薄暗かった。沢があった。水を見たらもういてもたってもいられないくらい喉が渇いてしゃがもうとしたら膝がちゃんと曲がらなくって、足元も滑って前のめりに倒れた。とっさに左腕に力を入れようとして、でももう機能してなくて、顔から倒れそうになったからあわてて右手をつこうとしたときに、小太刀が落ちて、その切っ先がちょうど胸元にあるのに気づいたけどもうどうしようもなく、そのまま刀が、柄尻を岩で支えて胸に深く刺さっていくのを見てた。しょうがないわねえと思った。せっかく熊ちゃんを倒したっていうのに、こんなとこで私ったら意味もなく死ぬんだって。
 あの原っぱのことを私、「熊ノ原」って名付けるわ。安直だって笑うかしら? でもこだわってる時間がさ、もうないのよね。笑うっていったい誰が? あの原っぱがそう名付けられたことなんて誰も知らないのに。誰にも知られないまま、誰かの胸の中だけで名付けられてその誰かが死んでいくとき、その名前というものはどうなるのかしら。ただ消えて何もなかったことになるのかしらね。でも確かに今私がここで名付けたのよ。そういう事実がまぎれもなくある、あったってこと、私だけが知っているのだけれど。