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OjohmbonX

創作のブログです。

ペアレント-ティーチャー・アソシエーション

 4月になったら、早く4月になってくれたらもう、沢木さんとはただの他人になるんだってことがこんなに待ち遠しくて頭が、おかしくなりそうだ。こんなに会いたいって思うなら二度と、会うことはないって僕でも沢木さんでもない何かがいっそ勝手に決めてくれたらいい。早く楽にしてくれればいいのに。


 立ち止まらなければよかった。
「橋之上先生、今お帰りですか」
 4月なのにあんまり寒くてジャージの、ポケットに手をつっこんで教職員用の玄関を出て駐車場に向かうときにそう、名前を呼ばれたんだった。スーツの上に軽そうな起毛のコートをきれいに羽織ってその上の、大人っぽい顔がうれしそうに笑ってた。嫌いだったんだ。沢木くんのお父さんのことを、嫌いだった。


 みんなうつむいてたぶん全員僕より年上の、大人たちがいつもは子供たちが座ってる教室の席に座っていて時間が、僕だけを残して縮んでみんながそのまんま大人になったみたいだと思った。
「PTAの役員が決まらないと帰れません、どなたかお願いできませんか」
 死にそうなくらいゆっくり過ぎた1時間半の中でおなじことを言った8回目にあの、余裕っぽい顔がうれしそうな目がこっちを見てた。沢木くんの席に座っているからその人が沢木くんの、お父さんだってことはすぐにわかったけどこんなに、苦しい空気なのに笑ったりして僕は馬鹿にされてる気がした。


 もっちゃんは会ったこともない、沢木くんのお父さんの肩をいつも持つ。
「そのお父さんはたぶん、はっしーのこと助けてくれたんだと思うよ」
 会ったこともないくせに。
 もっちゃんは頭がいいし学生のころ、先輩だったって気持ちがまだそのまま残ってて僕らの、ふたりの関係性がかたまったままになってる。僕をどこかベースのところで見下してる。小柄でやわらかい表情でからだも、抱きしめればやわらかいのに僕が、彼氏として頼りないから彼女が、しっかりしちゃうんだろうか。ほんとは年下でも男なんだしもっと、僕に甘えたいとか思ってるんだろうか。


 23歳ですって答えたら視線を、ふっと外して沢木くんのお父さんは今思い出しているって顔で言った。
「23だった頃の自分と比べると、橋之上先生はずっとしっかりしててすごいですよ。自分の職場に先生みたいな人がいてくれたらいいだろうなあって」
 どこに住んでるのかとかそんな、当たりさわりのない話をして教職員用の駐車場までいっしょに歩いて別れた。
「あの、送りましょうか」
「いえ、うちはすぐそこですから。ありがとうございます」
 車に乗りこんでエンジンかけてハンドルを、両手で握ってぐっと腕を突っ張って顔がいっきに熱くなるのを感じた。大人になってから誰かにそんな風にほめられたことなんて、なかった。


 制服の、詰め襟のホックをいつもしめてるほど真面目じゃないし第一ボタンをいつも開けているほど不真面目じゃない、テストの点数は5教科で400点を下らなくて運動もふつうにできる、怒っているところを見たことがないし誰とでもそれなりに話を合わせて楽しそうに笑ってる、目立たないふつうの生徒。そういう沢木くんが西山さんのななめ後ろでおだやかな顔して立ってた。
「先生、校外学習の予定表です」
 西山さんが手書きの予定表を渡してくれて沢木くんは、あくまで自分は副委員だからというような控えめな態度で黙っていた。
 いちど決まりかけた校外学習の行き先を寺内くんたち3人が急に反対してほかの子が、わがままじゃないかって苛立って学活の雰囲気が悪くなりかけたのに、次の回であっさり寺内くんたちは元の行先で納得してすんなり決まった。
 荒れるのがこわかったから本当にほっとした。


 でも、と今までずっと黙ってた一番うしろの席の香坂さんのお母さんが口を開いてみんなが振り向いた。
「でも先生は先生なんですから、受験もあることですし、しっかりしてもらわないと困りますけど」
と言った。お母さんたちはうんうんうなずいて僕は、たまらないくらい怒りで顔が熱くなった。
 そんなこと僕がいちばんわかってる。
 クラス委員にさっき選ばれたばかりの沢木くんのお父さんが僕が、新卒2年目ではじめての学級担任だってことをわざわざ言ってみんなが、笑ってそれで香坂さんのお母さんが釘を刺してきた。なんなんだよこの人わざわざ、自分からPTAの役員になるとかたぶん、めんどくさい人なんだろうなと思ったけれど本当に、嫌な感じしかしなかった。
「ええ、うちの子もまだ高校受験のこと全然考えてないみたいだし、私もよく分からないからすごく不安です。学年主任の先生や学校全体でサポートする体制になってるのか、チェックしないといけないですね」


 あかりの、いちばん小さいオレンジ色の電気だけをつけた部屋のベッドの中でもっちゃんのきめの、こまかい肌に口をつけて体を背中から抱きしめて動物の熱をはっきり、感じながら急にはじめてのときを思い出して先輩で、いつも自分より上だと思ってた人がただの、女の人になって僕をただの、男の人って扱って立場が逆転したみたいなへんな感じがしてうれしかったってことを思い出してた。小柄でやわらかい表情でからだも、抱きしめればやわらかくて声が、ほとんど息だけになって熱かった。
 もっちゃんが僕にぜんぶ預けて甘えてくれるみたいに僕が、誰かにぜんぶ預けて甘えられたらどんな気分なんだろう僕を、ぜんぶ肯定してくれたらどんな、満たされ方になるんだろうと思ったときに沢木さんの顔を思い出してた。


 ソファなんてないからベッドの端にあさく腰かけてた沢木さんと目が、台所でインスタントコーヒーをいれながら部屋の方に振りかえった瞬間にあって沢木さんはすかさず、にっこり笑った。その笑顔が沢木くんとそっくりだったのが親子だから当たり前なのになんか、びっくりした。
「橋之上くんとこ、部屋ちゃんと片付けててすごいな」
と沢木さんは言ったけれど沢木さんが来るから片付けて掃除しただけだ。
「橋之上くんの部屋にいると自分が大学生だった頃、友だちの家に遊びにいってた気分を思い出して、急に時間が巻き戻ったような変な感じがするな」
と笑ってほんとにくつろいでくれてるみたいだった。
 沢木さんは自分の老いについて話をしていて見た目が、わりと若い気がするからあんまり考えたことがなかったけれど41歳で僕より、20歳ちかく年上なんだなってことをぼんやり考えてた。


 はじめての保護者会の翌朝に目が覚めると全身びっしょり汗かいててそっか、僕あれすごく緊張してたんだなと思った。自分より全員年上の保護者の前に立って、でも自分は先生なんだからって気を張ってたんだ。結局クラス委員になった沢木くんのお父さんとこれから1年も付き合っていくのかと思うとしんどいと思った。自分から仕切りたがるタイプの人、しかも人を平気で人前で馬鹿にしてくるような人。
 学年主任や他の先生は僕を助けてくれない。なんでも相談してねって言っても何をどう相談してもいいかわかんないしみんなすごく忙しそうにしてる。もっちゃんはアドバイスをくれるけれどなんか自分がバカみたいに思えてくるのが気が重くてあまり仕事の話はしない。親はすぐ、だから学校の先生なんてやめとけって言ったのにと非難してくるからぜんぜん、仕事の話なんてできない。
 なる前から僕だって何も知らなかったわけじゃない。
 学校の先生になる、それも中学校の先生になるってことが大変だなんて、ネットでもさんざん書き尽くされてる、親にも友人にも言われ尽くされてる。そんなことわかってたけど、それでも僕は、どうしてもなりたかったんだよ。学校の、中学校の先生になりたかったんだ。でも、辛かった。


 「橋之上先生」って声をかけられて顔を上げたらすぐそこの、職員室のドアからひょいっと沢木くんのお父さんが顔をのぞかせてた。今気づきましたみたいな態度を僕はとって、でもその日の朝からずっと放課後に今日はPTAの日だって意識しつづけててもう、授業が終わって職員室でなにも手につかない。
 隔週の、PTAの会の終わりにいつも絶対に沢木くんのお父さんはわざわざ職員室に寄ってきてくれる。近くの教室で30分くらいおしゃべりするだけ。ほとんど毎回僕が一方的にしゃべってるなって終わるたびに思うんだけど沢木くんのお父さんは、楽しそうに聞いてくれる。学校の話でも普段の生活の話でも彼女の話でもなんでも、いろいろ質問してきて僕のことをほんとに知りたいって感じで。
 そうやって特定の保護者と話しこんでるってことを3年の、ほかのクラスの先生や学年主任の先生は何にも言ってこないけど別の、学年の先生でよく思ってない人がいるらしいって人づてに聞いた。


 正直、女子生徒との距離の取り方がよくわからなくなる時があってみょうに、距離をつめてくるときがあって困る、そんな話をほんとに赤裸々に言えて、あとで家に帰って自分でびっくりした。前はぜんぶ自分でなんとかするのが当たり前と思ってたのに。それで実際、話してみたらおばちゃん先生が前の学校であった男先生と女生徒との関係の話をしてくれてすごく参考になったし気持ちが楽になった。
 夏休みに入るちょっと前に学年主任の大野先生が、3年の担任全員で毎週会議をしようって言い始めた。生徒同士の関係や状況や受験のこともあるし、お互い情報を共有してやっていこうってことだった。チームでやれば一人でやるよりずっと大きな力が出せるって。
 学年イベントの仕事もほかの先生が手伝ってくれたり、逆に自分に余裕があれば手伝ったり、いらない仕事は省略したりしてすごく楽になった。


「えっと、今度飲みに行きませんか」
「おっ、いいですね。……でも、先生と保護者で個人的に食事というのはやはり、まずくないですか」
「そう、ですよね……」
「じゃあ、先生と保護者じゃなくて、ただの友人ってことにしましょっか」
「えっ」
「なので……『橋之上先生』じゃなくて『橋之上くん』だね」
「あ、えーと……『沢木くんのお父さん』じゃなくて、沢木さん」
「そうそう!」
 そう言って沢木さんがいたずらっぽく笑って僕は、その日から二人のときは『橋之上くん』って呼ばれるようになって食事は、ちゃんと割り勘にした。


 久しぶりに外でご飯を食べたっていうのにもっちゃんは、何かすごく疲れてるみたいな顔をしていて嫌な感じだった。
 この前LINEで長々と文句を言ってきた。週末に来ないなら早く連絡しろ、こっちの予定をぎりぎりまであけてなきゃいけないじゃない、週末はうちに来るのが既定路線みたいになってるのに急にやめられるとしんどいと言われても、別にもともとそういう約束をしてたわけじゃないし、どうしてそんなことで怒るのか正直よくわかんないけど謝って、久しぶりに外でご飯を食べたっていうのにもっちゃんは、何かすごく疲れてるみたいな顔をしていて嫌な感じだった。
 夜遅くのファミレスはすいてた。
「そういえば『沢木くんのお父さん』じゃなくて、『沢木さん』って呼ぶようになったんだね」
ともっちゃんはすごくしんどそうに言った。
 生理って自分で体験したことがないからよくわからないけどホルモンバランスが、崩れるっていうし感情が落ち着かないのかもしれない。


 いちど決まりかけた秋の文化大会にやる合唱曲を三輪さんたち3人が急に反対してほかの子が、わがままじゃないかって苛立って学活の雰囲気が悪くなりかけたのに、次の回であっさり三輪さんたちは元の曲で納得してすんなり決まった。
 後期も学級委員になった西山さんと、副委員の野崎さん、音楽係の佐々木さんの女子3人が決まった曲の、楽譜をコピーしに放課後の職員室にやってきてそのまま、僕もいっしょに教室でコピーを綴じる作業を手伝った。
「曲、無事に決まってよかったね」
 僕がそう言ったら西山さんが「沢木くんがね」って意外な名前を出したから僕はやましいことを、親にでも隠してる子供みたいにびくっとしてしまった。
 沢木くんが三輪さんたち一人ずつに声をかけて、ちゃんと不満もなく納得してもらったんだって校外学習のときも、寺内くんたち一人ずつに声をかけてくれたんだって教えてくれて西山さんは、なんか、自分の犬の頭がいいことを自慢するみたいな顔をしてた。


 学年主任の大野先生は50手前のベテランでこの前管理職の試験も受かったっていうからそのうち教頭先生になるんだろうな。
 定例とかで学年のサポートしてくれたり管理職って、こういうことなのかなと初めてイメージが持てた気がしたけど大野先生は「沢木くんのお父さんね」って意外な名前を出したから僕はやましいことを、親にでも隠してる子供みたいにびくっとしてしまった。
 自分より年下なんだけどやっぱり、大企業で若くして課長になる人って違うんだなと思った、PTA活動でもほとんど反感も買わずにどんどんいらない仕事をやめて負担を軽くしていってるしこの定例だって、保護者のみんなが経験の浅い橋之上先生のこと心配してるし橋之上先生のがんばりをサポートしてあげてほしいって沢木くんのお父さんに、それとなく言われて始めたんだよね。


 がんばりを先生はちゃんと見てるよってこと、伝えてあげることが生徒のモチベーションになるって定例でとなりの、おばちゃん先生に言われて沢木くんに、校外学習や文化大会のこと見えないところですごく色々してくれて成功したし西山さんも感謝してたし先生も、とても助かってるんだって伝えた。
 沢木くんはいつもの、はにかんだみたいな笑顔じゃなくて友達に、見せるみたいなぴかぴかの笑顔でほんとにうれしそうにしてやっぱり言って、よかったなと思った瞬間に
「僕まえ父に、言われたんです」
って沢木さんの話が急に出て僕の、顔に驚いた様子が出てないか不安になったけれど沢木くんは、うれしそうなまま話をつづけた。
 父が橋之上先生は初めての学級担任で絶対大変だけど僕は、中学校3年目でもうプロの生徒(?)なんだから先生の、仕事が楽になるように工夫したりするチャレンジだって、してみていいと思うよって言われて、学校の話を父がよく聞きたがるから色々話してたらアドバイス色々くれてやってみたんですけどそれで、ほんとに先生が助かってるんだって聞いてうれしいっていうかえっと、父のことは尊敬は、してるって言えばしてますけどなんか、なんでも熱心なところがうっとうしいときはたまにあります(笑)


 急に沢木くんの席のお父さんが手を挙げてほかの、保護者たちがぎょっとして注目した。
「PTAの仕事の内容が具体的によくわからないので、教えてもらえると助かるのですが」
 うまく答えられなかった。保護者になめられたらいけない時期なのに恥をかかされたと思った。結局役員経験のあったお母さんがかわりに答えた。
「隔週水曜夜に集まるのがメインなんですね……それなら……私、やってみようかと思います」
 でしゃばりなだけじゃないか。最初からやりたいならそう言えばいいのに。クラス委員が決まって一気に他の役員も決まっていった。
「初めての学級担任ということですし、私たちでサポートできるところはしていきたいですね。……だって。ね。こんなかわいい顔した先生が、困ってたらみんな、助けたくなるじゃないですか?」
 お母さんたちが嬉しそうに声を上げて笑った。ものすごく腹が立って顔が熱くなった。
「でも先生は先生なんだから、受験もあることですし、しっかりしてもらわないと困りますけど」と香坂さんのお母さんが言った。
「ええ、うちの子もまだ高校受験のこと全然考えてないみたいだし、私もよく分からないからすごく不安です。学年主任の先生や学校全体でサポートする体制になってるのか、チェックしないといけないですね」
 もっちゃんは会ったこともない、沢木くんのお父さんの肩をいつも持つ。
「そのお父さんはたぶん、はっしーのこと助けてくれたんだと思うよ」
 会ったばかりの相手にそんなの変じゃんか。
「わかんないけど、もともと人の満足を考えるタイプなんじゃないかな」


 隙間に入り込まれちゃったんだ。僕の何もかもを沢木さんがあっという間に支えていった。
 ちがうちがう僕は、沢木さんの特別なんかじゃない自分の、子供の環境を良くしたくてあの人は僕を支えてくれただけなんだとかさいしょから、そういう風に人を管理するのが好きな人なだけなんだとかどれだけ否定したって、うちに遊びにきて笑ってくれたのが、一緒に飲みにいって「橋之上くん」って呼んでうれしそうに僕の肩に置いたあの手のことが、何回だって思い出されてそうだよ僕は、沢木さんの特別なんだよってどこまでも矛盾していく。
 また会ったらきっと証拠を、沢木さんのうえにいくつも発見して安心したり不安になったりをくり返す。そんなの意味ないってわかっていてただ苦しい。
 4月になったら、早く4月になってくれたらもう、沢木さんとはただの他人になるんだってことがこんなに待ち遠しくて頭が、おかしくなりそうだ。こんなに会いたいって思うなら二度と、会うことはないって僕でも沢木さんでもない何かがいっそ、勝手に決めてくれたらいい。早く楽にしてくれればいいのに。