OjohmbonX

創作のブログです。

ポーラー・ロゥ (1)

 この白い壁、私は思うのだけれど、まるで滑らかな、ざらつきを触れも見えもしないほど滑らかで鏡のように光る表面よりかえって、かすかな凹凸をその表面に持つ壁の方がそのかすかな凹凸どもが作りだすほとんど認知できないくらいにささやかな陰影や、指が表面に乗ったときに実際に触れる面積の小ささのおかげでずっと滑らかであり得るのは、視覚と触覚の柔らかさを滑らかさと混同しているせいかもしれない。
 私はさっきから犬をこの壁に突き刺して遊んでいる。
 この白い壁には確かに目が存在しているのだ。腕を伸ばすと一体どこで指先がこの白い壁に到達するのか、光が乱反射する白、そのままいつまでもたどり着かないような白さは教えてくれない。けれども左手の人差し指の先は確かにこの壁に触れ得る。横に滑らせると指先に壁の感触が色を変えてゆく。その中で一瞬、引っ掛かりを感じる。そこが壁の目だ。目を見付ければすかさず犬を右手でつかんで鼻先から壁に突き刺す。目を外せば犬は上手く壁に刺さらない。
 犬はミニチュアダックスフントかウェルシュコーギーのような足の短い小型犬が向いている。それを右手で掬うように脇の下へ手を入れ持ち上げる。犬の軽い重みが手のひらにかかる。鼻先を左手の指す壁の目へ合わせる。ほとんど力を加えなくても犬は鼻から吸い込まれるように壁に刺さる。このまま私もろとも吸い込むように壁は犬を吸い込むが、ふいに裏切って途中で動きを止めてしまう。それで私はさらに押し込むために両手で犬の腹をつかむ。骨のちょうどない、肋骨がない腹に手がかかると、あの柔らかい毛並みと温かさ、重さ、とにかく毛、皮、その奥の熱、肉の柔らかさ骨の硬さ、呼吸のおだやかな動き、かすかに上下する、ほんのかすかに膨らんでは縮む運動、そういったものが寄ってたかって、今私が獣に触れている事実を突き付けてくるだろう。
 犬に触れれば触れた瞬間、ほかに何もなくただ、一切を遮断するレベルの率直さと声量で獣に接している事実を言葉にならないままに主張される。一瞬で、何も聞かせず、考えさせる間も与えぬあつかましさで、あの柔らかさと温かさと滑らかさは全てを奪って支配する。それにうろたえて混乱に流されてはならない。一瞬の惑乱にじっと耐えなければならない。待てばすぐに過ぎ去るのだ。慣れというあの仕組みを利用すれば済むだけなのだ。もしも乱れに流されて目を指す左手の指先がずれたり、その後に控える突き刺す動きが鈍れば悲惨な事態が訪れる。少しでも躊躇えば犬は壁に刺さらない。そのまま犬は鼻先を壁に打ち付け、顔はぐちゃぐちゃになる。死にはしないが、顔がぐちゃぐちゃになるのは良くないことだと思う。犬をそんな風にするのはひどい。
寺の鐘をつくのと同じ要領だ。鐘は雑念を捨てて打たなければ真の響きを響かせない。ためらってはならない。ただ無心で鐘を打たなければ正しく鳴りはしない。私は寺の鐘をこれまでの人生でついたことがないから本当のところはよく知らないけれど、絶対に良い音は鳴らないと思う。そういう躊躇いの精神の働きは確実に肉体へフィードバックされるはずだ。鐘に限らずそういう例はいくらでもある。ただ、今は他に何も思いつかない。それで鐘の話をしただけだ。鐘のつき方についてはYou Tubeで動画を見たことがあるから完全に理解している。大丈夫だ。
 壁にはすでに大量の犬が刺さっている。犬は、割とくさい。それで家が割とくさい。家のくささ以上に弟の口がくさいので私は怒っている。弟の口がくさいのである。臭気を知覚して、くさいと言葉が現れる権利をはなから無視して、いきなり口臭は私の視覚を強奪する。視界をホワイトアウトさせる全く暴力的なやり方でにおいは越境する。一方的にこんな仕打ちを受ける不公平さは私に怒りを呼んだ。この怒りを表現する手法について私は真剣に考えた。私の怒りを真摯に受け止めてもらえなければ弟は口臭を改善しないだろうと考えたからだ。まず私が怒っている事実を弟に効果的に知らせなければならない。
 それで犬を壁に突き刺すことにした。無言で犬を次々に壁へ刺していれば、かなり怒っているように見えるだろうと考えた。けれど実際に刺そうとするととても難しく、どうしたら上手く突き刺せるのか、インターネットで検索しても出てこなくて、日本人はこの分野で遅れているからかもしれない、それで英語版のグーグルで「dog」、「wall」と入れたところで「刺す」がわからなくてあきらめた。念のため「dog wall」で検索したら子犬のかわいらしい壁紙がたくさん表示された。仕方がないから私は独学で刺し始めた。それで到達したのがあの技術だ。人間やればできる。壁の目を読めるようになってからは面白いように犬が刺さるので楽しくなって、怒りを表現する当初の目的は達成できない上に、弟の口臭はすごいので嗅げば怒りは沸いてくるし、よく考えたら犬ってくさいので、私の家は前より複合的にくさくなって、私は本当に激怒した。
 それで結局、私は弟に直接、口がくさいんだけど、と言った。一瞬で弟は顔を真っ赤にして震え始めた。私を睨んでいる。まるで自分が一瞬で弟になったかと思うほど私も顔が熱くなって耐えられなかった。弟は自分の口がくさい事実を百も承知だったのだ。それを真正面から言われて耐え難い恥ずかしさとその反動の怒りで弟は顔を真っ赤にしている。私もバランスを取るために一層、恥辱と怒りを感じて顔を赤くしている。しかしすうーと弟は平常の顔色を取り戻した。内部で何か解決を見たのかもしれない。私も顔を赤くしている理由がないので白くなった。
「誰の?」
「あんたの口が」
「ウソだあ」
「ほんとだよ」
「そうかなあ」
「そうだよ」
「ウソだあ」
「そうだって言ってるじゃん」
「そうかなあ」
「そうだよ」
「そっかあ」
と言って弟は部屋に戻っていった。
 それからも弟の口は絶対に臭いので私は、口がくさいんだけど、と言った。
「でも犬もくさいよ」
「それが何」
「不公平だよ」
「あんたの口がくさくなくなったら犬もやめる」
「そっかあ。よーし」
と言って弟は部屋に戻っていった。
 けれど弟の口はその後も臭かった。何が「よーし」だ。私は、口がくさいんだけど、と改めて言った。
「姉さんの?」
 私は弟のシャツを捲り上げ、白く滑らかな腹に指をそわせた。くすぐったがって笑う弟に構わず指でなぞる。腹筋の作り出すかすかな溝。肋骨の溝。そういった凹凸を確かめながらなぞっていく。犬の腹とは違って毛がなく汗でかすかに湿っている。そして指は探って、探った末にへその一点で止まる。左手の人差し指でへそを指し、そして右手で犬を抱える。犬の鼻先をへそにあてがったところで、その意味するところに気づいた弟が青ざめた顔で後ずさりする。後ずさりして、そのまま後ろ向きにすうーと歯医者に通い始めた弟の口臭はただちに解消された。


(つづく)