OjohmbonX

創作のブログです。

ポーラー・ロゥ (7)

 それは町民を二分した。私は何も書き込まずにただ見ていただけだったけれど、女に加担して私を無根拠に非難する者と、女の発言には証拠がないと言って中立を保つ者とに瞬く間に分かれていった。黙っているという選択肢は町民に与えられていない。掲示板で話し合われている問題に参加しなければ非町民として扱われる。すると外を歩けば指をさされる。ゴミを出せば玄関先に戻される。郵便受けはガムテープで塞がれ、新聞は毎朝一、二枚抜かれている。嫌気が差したら町を出て行くだけなのだ。ついこの間もこの町に越してきたばかりの大学生が出て行ってしまった。掲示板で引っ越しの挨拶を忘れた、たったそれだけのことで彼の自転車のサドルは川に捨てられた。サドルのあった場所には、代わりに一輪のタンポポが挿してあった。私は自転車の前に立ち尽くしてタンポポを見つめながら無言で泣く大学生を見た。住民は誰もが知らないふりをした。私はじーっと見ていた。そして彼は引っ越していった。
 私はどうせ当事者だし発言してもしなくても嫌がらせを受けるに決まっているのだから黙っていた。けれど黙っていると反証が出ないのでヴァンダーの発言が正当化されていくらしく、中立派は次第に減っていった。私が弟に対してストーカー行為をはたらいているだの、弁当屋の店員を割り箸でめった刺しにしただの、犬を大量に飼っていて臭いのどうのと、あること無いこと書き立てられた。果ては不景気まで私のせいにされた。資本主義のダイナミズムと私の市民生活は関係ない。弟はどうせ身内なので私を擁護しても叩かれるに決まっているし、そもそも全く興味がないらしく私とヴァンダーにまつわるあれこれを無視していた。ひたすら歯科医が与える口の喜びについて聞いてもいないのに私に報告するばかりだった。私に報告するばかりではなく掲示板に書き込んでいた。
『スケーラーと呼ばれる銀色の鉤爪のような器具で歯間や歯周ポケットを掃除してもらうわけですが、やはりメインの先生以外では物足りないですね。歯科衛生士の女性たちは痛くないよう優しくしてくれますから初心者はそれでいいと思います。しかし私ほどになるとそれではとても満足できません。歯が取れるんじゃないかと恐怖するほど激しく、軽い痛みすらも伴いつつやってくれなければいけない。歯石の除去もさることながら、もはや何の必要もないままにもっと強く、激しく! もっとしてー。もっとしてー。と言葉にならぬ叫びを上げていると、終わることも無さそうに思われた作業が急に終わります。私は子犬のように脅えと甘えを浮かべた瞳で、もう終わりなの、と先生を見つめるわけですが、先生は顔の半分を覆ったマスクで表情はいまいちわからないままに、終わりです、とこうです。どうぞ口をゆすいで下さい。こっちは一週間これだけの為に生きてきたというのにそんな感情とは無関係に掃除が終わったので終わり、これが医療のクールさです。ぞくぞくするでしょう? そうして私はまた通うことになるんですね。一週間を生きていけるわけです。』
『初心者は医療行為に対して治療費を支払っていると考えているかも知れませんがそれは大きな間違いです。先生との一瞬の会話や先生との空間を共有する時間への対価です。』
『親知らずを抜いたんですね。上側の左の親知らずです。舌を伸ばせば親知らずの頭に触れて、あるなとは思っていたんですが特に痛みがあったわけではありません。何も不都合はなかったんですが、先生が抜くというので抜きました。気軽なものですよ。まるで、今日は天気がいいから散歩でもしようか、という調子で、親知らずを抜きましょうかと言うんです。先生って! けれども抜く作業は全く気軽ではあり得ません。麻酔で痛みはありませんが、ぐいーっ、ぐいーっと無理やり抜く。やっぱり歯を抜くというのは自然な行為ではあり得ないのだということを嫌でも知らされます。繊細さの欠片もない。野蛮な振る舞い。それを白衣を身に着けて、マスクで顔の半分を隠して、清潔な格好をした先生がするんです。こんな真似をしておいて、フィナーレは呆気ないんです。正直、いつ抜けたのかよく分からないうちに、抜けましたよ、と先生に言われて気づきます。抜かれた親知らずを盗み見ると、妙な角度でせせこましく生えてきたせいでいびつな形をしています。ついさっきまで自分の身体の一部だった、この奇形。愛しさと憎悪がいっぺんに来ます。どうぞ口をゆすいで下さい。ところで、あの抜いた歯はどうしているんでしょうか。上の歯ですから、きちんと縁の下に投げてくれているんでしょうか。診療所は縁の下があるような造りには見えませんが、床下収納にびっしり患者の歯が収納されていたりするんでしょうか。私は信じていますよ。』
『今日は歯医者で楽しむコツを一つお教えしましょうか。ここだけの話です。そしてとっておきの話です。予約時間の三十分くらい前に行って下さい。そして待合室で待ちます。待合室には雑誌がいろいろ置いてあるかとは思いますが、それに手を伸ばすのは典型的な初心者です。まして自分で本を持っていくなんて論外です。では三十分間何をするか。想像するんです。これから行われる治療について、じっくり想像する。(私の過去の連載記事を参考にして具体的な治療について想像する力をつけておいて下さい。)そうすると少しずつ期待が高まっていきますね。どんどん期待は高まって心は羽根が生えて空へ飛んでいってしまいそうになりますね。これで十五分くらいです。残り十五分で何をするか。やはり想像する。今度は一転して最悪な事態を想像するんです。例えば、歯医者の手違いで歯が全部取れちゃうとか。期待が最高に高まったところで急に、最悪のことを考えます。歯茎が一枚一枚ゆっくり剥がされていって、歯の根元を剥き出しにされた挙句、ポキッ、ポキッとリズミカルに歯を折られていく。そんな想像です。他には前歯を他人のと交換されるとか、とにかくいろいろ想像して下さい。なるべく背筋が寒くなるような想像がいいと思います。歯を延々とハンマーで叩かれ続ける、という想像でもいいかと思います。歯を叩かれると痺れますからね。そうしてだんだん不安感に苛まれていく、この感じが大切です。すると想像を急に遮って、〇〇さんお入り下さいと声を掛けられます。ソファから腰を上げて歩き始めるあなたはぎこちない。上手く歩けない。処刑台に進んで行かなければいけないのですから、当然です。子供でもないのに、あなたは涙を零すかもしれません。どうしてお金を払って、歯無しにならないといけないの、どうしてこんな理不尽な目に合わないといけないの、どうして僕ばっかりが。絶望の末に途中でもうどうでもいい、投げやりな気持ちになってきますね。もうどうでもいいや、どうでもいいや、そう思っていたのに、終わってみると、歯も歯茎も前より良くなっている。嘘でしょ。奇跡ですよ。もう先生が神様みたいに思えてくるんですね。毎週、神様に会えるんです。やめられないですよ。歯医者って本当にいいものですね。』
 弟の書き込みの全ては本当に退屈で案の定町民に叩かれまくっていたが、弟は何も見えていないらしくまるで無視して書き込み続けていった。


(つづく)