OjohmbonX

創作のブログです。

他愛なく無用である (1)

 五十七分。あと三分。いまさら何かを始める時間ではない。しかし手を休めて放心するわけにはいかない。同僚達が見ていないようで見ている空間なのだ。というより正確には、同僚達が見ていないようで見ていると私が見ている空間なので実のところ、同僚達とは無関係に私の空間感によるとしても結局、私はマウスを操作しフォルダを開いたり閉じたりして手を動かし続けることになる。
 終業までのこの三分、私は激しくフォルダを開いたり閉じたりする。多忙なビジネスパーソンはそれに飽き足らず、今度は新規フォルダを作成したり削除したりする。ごみ箱にはフォルダの無益な遺骸が溜まってゆく。徐々に八ポイントの小さなフォントが一つ一つのドットに崩壊してゆく。画面の上で意味を失ったまま連続したり離散したりするこの四角い点の連なりがゆっくり迫ってくる。大きさの感覚も失われたまま手の動きはますます激しくなる。クリックのかちかちいう音とマウスパッドに底面が擦れる音とが耳に満ちて視覚も聴覚も思考も奪われた中を唐突に、強引に割って入ったのがチャイムの音だった。五時。
 アウトラインフォントに変えようかと考えた。あんなやり方でバラバラの微小な四角形が迫ってくるならせめて、アウトラインフォントに変更して私を騙してやらなければいけない。しかしそれは明日に回すべき仕事だと思い直した。明日の四時五十七分から始めればよい仕事なのだ。お疲れさまでした。お先に失礼します。


「ただもう、虚しいんだ。僕はフォルダをいっぱいつくるために生まれたんじゃない。もう仕事やめたい」
「別に何のためにも生まれてないでしょ。大袈裟。そんな泣き言で職を棒に振るのは愚か」
「つくるだけならいいけど、それを毎日捨ててるんだ。捨てて、ごみ箱を空にしたら、みんな、最初からいないみたいな顔していないんだ」
「分からないことを言うな。仕事を止めたら結婚は破談だよ」
 電話は切れた。通話時間三十秒。助けを求めて伸ばした手をせせら笑って摘んで捨てるような女と、いったい私は結婚するというのだろうか。あんな馬面の女と! 直後にメールが届いた。
「世の中のためになるお仕事。すごいと思う。お仕事がんばる奥平くんが大好きだよ」
 ハートの絵文字がたくさんちりばめられていて、馬面の女も悪くないかもしれないと思った。もともと鼻筋の通った女として出現したのだが、いつの間にか同じ顔のまま馬面になっていた。私の見方の話だとは分かっているが、もはやそうとしか見えない。彼女からメールが届くたび、電話が入るたび、登録してあるその馬面の写真が携帯電話の画面に表示されて――その上その写真は、携帯電話のカメラのレンズがつくる歪みのせいで実際以上に馬の雰囲気が強調されている――ますます馬のイメージが強化されてゆく。
 姓が蘇我だから、学生時代はずっと「馬子」と呼ばれていたし、日本史の授業で飛鳥時代は特につらいと彼女が言うのを、はじめは冗談と思って聞いていたのが何度となく繰り返し、真っ白な顔と生気のない目で言うのでどうやら本気らしいと知った。馬子と呼ばれ続けて馬面になったのか、馬面だったから馬子と呼ばれたのかは分からない。少なくとも私の中で彼女が馬面になったのは馬子と聞いてからだと思う。
 私の携帯電話の登録名も蘇我馬子になっている。私は彼女の本名を聞いたことがないからその通名を入れている。しかしそんなことがあり得るとも思えない。結婚する破目の女の名を知らないなどあり得ない。本当はどこかで聞いているのかもしれない。
 会社帰りのスーパーマーケットで立ち止まったり歩いたり商品を見る振りをしながら、あの女はどこから出てきたのか思い出そうとしていた。確かに保険屋だった。会社の中で営業していた。その女と偶然、会社からの帰り道に一緒になった。夏の、ひたすら蒸し暑い夕方を汗にまみれて歩いただけだった。たったそれだけのことで結婚に至るというのは嘘のようだが実際そうなのだ。その間を構成している細々したあれこれを思い出そうとしても、考えれば考えるほどまとまりを失って崩壊するから無駄だった。もともとそういう仕組みなのだ。ばらばらを遠くから曖昧に見て全体の意味を幻視しているのかもしれない。幸い、さっきの携帯電話はアウトラインフォントを使っているからメッセージもハートもばらばらの点にならずに済んだ。
「ゼリー」
 気が付くと白桃のゼリーを手に取ってそう呟いていた。ゼリーを棚に戻し(私にとって喫緊に必要な商品ではなかったので)買い物に集中する。しかし集中し過ぎるとばらばらになる。スーパーでは大丈夫だけれど、多くの商品を天井いっぱいまで詰め込んだような古書店とか雑貨屋にいると周囲の商品が突然遠近感を失って手を伸ばしても触れ得そうにないのにほとんど距離感無しで迫ってくる、その上、近い物と遠い物があべこべに、ちかちかと瞬いてうるさく鳴り始めることがある。念のため用心を忘れず、あまり考えないようにただひたすら、カレーライスの材料を調達するマシーンのつもりで店内を歩いた。(カレーにゼリーは必要ない。)


 街灯もなく道沿いのマンションの漏れた明かりだけがかすかに照らす坂道を、スーパーの袋を提げて登って行く途中で突然イカの動きをしたい気分に襲われた。両腕と両足を撓めてから一気に伸ばす、この繰り返しとひらひら揺蕩う動きの組み合わせ。これを近ごろ部屋に一人でいる際に楽しんでいる。運動は健康にも良い。早春の割には暑いこの夜に踊れば気持ち良いかもしれないと思い至って邪魔な買い物袋を放り捨てることにした。勢いをつけて腕を振ったが手は開かず袋は私に属したままだった。それで私はイカの運動をあきらめた。こんな買い物なんてたいしたことはないと知っていながら、誰も見ていないと知っていながら、捨てる、たったそれだけのことが、片付けるだの何だのといったその後のあれこれが向こう側から縛り付けてできない。
私を養い続けているものは、私が袋を捨てられずにいるのと同じものだと思った。全くがっかりな話だった。この暗闇の中で坂道の勾配が急にきつくなった。急激にきつくなっていく。ほとんど転げ落ちそうだ。立っていられず地面に手をついた。彩度もなく黒いアスファルトの凹凸が手に痛い。小学校にあった滑り台の上に私はいた。学校の敷地内のちょっとした丘から麓へかかる滑り台だった。高低差が十メートル弱はあってなかなか勾配もきつい。あのころはもっと体も軽くバネもよくきいた。滑り台を下り切る前に途中で側壁を乗り越え地面にジャンプした。本当に跳ねるように生きていたはずなのにどうしてこうからだが重いのだろうと、結論を求める気もなく声にも出さずに呟いていると勾配はますますきつく垂直に近くなってきた。
 しかし気まぐれに元の常識的な勾配に戻った。体を起こして再び歩き始めた直後に右から強い光が突然浴びせられた。瞼を反射的に閉じても間に合わない痛みの中で、気圧や重力が前触れもなく一瞬で害を持つほど強さを増したように感じた。


(つづく)