OjohmbonX

創作のブログです。

 大相撲名古屋場所をほぼ毎日見ているが,僕が見ている日は必ず(もしかすると毎日)若の里を激しく応援する男性がおり,彼は若の里の姿が見えると「わっかのっさとーわっかのっさとー」と叫ぶのだが,ただ「叫ぶ」と書いただけではあの応援を表現し得ず,ではどう書けば伝わるのかというと,近隣の住民に対して身勝手な怒りを抱き10年近く連日大音量で音楽を流したり布団を叩きながら「引越ーし引越ーしさっさと引越ーししばくぞ!」と妙な(案外上手い)節回しで叫び続けるなどし2,3ヶ月前に傷害罪で逮捕されたという主婦に感じた狂気と同質のものをあの応援は感じさせる.狂気は笑いを引き起こすことがままあり,「引越ーし引越ーし引越ーしさっさと引越ーししばくぞ」にも笑いを誘われたが,「わっかのっさとーわっかのっさとー」には笑い転げてしまう.
 実況のアナウンサーと解説者が前の相撲を振り返って話をしている間も「わっかのっさとーわっかのっさとー」途切れたかと思いしばらくすると「わっかのっさとー」ときどき「がんばれー」とひどく急いた,逼迫したような応援に続いて「わっかのっさとーわっかのっさとー」あの叫びを聞くと,本気のつもりの声援にも通常は無意識にリミッターがかけられているのだ,というようなことを考えさせられる,つまり,あの叫びはリミッターが外れてしまい,通常の声援の境界を越えたところに存在しているように思われる.
 それにしても「わっかのっさとー」と文字で表すと何だか間延びして,のんびりしたように見えて全くあの叫びの狂気を感じさせないのが悲しい.
 ちなみに昨日は若の里が勝利し,歓声の中でよく聴くと彼が「つよいぞーすばらしいー」と叫んでいるのに気づいてお前は若の里の一体何なんだ,と全て揃ったドラゴンボールが目の前にあればシェンロンに訊きにいって貰うところ,いや,さすがにそんなことは頼まず,アフリカなんかのひどい貧困をどうにかしてよシェンロン,とか,戦争が起こらないようにしてよシェンロン,あなたはここから生まれてきたのよシェンロンここをお舐めシェンロンさあ突いて突いて思い切り突き破るのよシェンロ
 さすがにドラゴンボールを使うほどではないが,目の前に笹があれば「あいつは若の里の一体何なんだ」と短冊に書いて吊るすくらいのことはするかもしれない程度.

 若の里朝青龍琴欧州と(これを書いている時点では)2敗で並んでいる.もしも若の里が優勝したら彼は一体どうなるのだろうか.土俵上の若の里に躍り懸り「わっかのっさとーわっかのっさとー強いぞすごいぞわっかのっさとーわっかのっさとーさっさとわっかのっさとーしばくぞ!」