OjohmbonX

創作のブログです。

埼玉県とスーザン

 やけにうきうきしながら,是非に,と言われて断る理由もなかったから放課後について行ったワンルーム型マンションの佐治の部屋の扉が開かれて,台所兼廊下の先の部屋のベッドの上で胡坐をかいた,長い金髪が体を沿って先はマットレスの表面へ四方に流れている色の白い女性が目に入る.家庭用スーザンだ.


「いや,これは,上質な埼玉県ですね,素晴らしい」
 暗い部屋でちかちか光るテレビに映った,最近ドラマに出ているのを見たことがない俳優が言うのを,寝転びながら眺めて,ふん,誰が埼玉県なんて買うんだよ,と悪態を吐いてみる.目が悪くなるとは知っていても,寝る前にテレビショッピングを見るのは習慣になっているし,既に目は悪くなっているので,やめるつもりはない.
「さすがお目が高い! 今回ご用意させていただきました埼玉県は,全て日本製なんです」
「ええ,ええ,最近は外国製のイミテーションも多いんですよね」
シリアルナンバー入りで,保証書もお付けいたしますから,絶対に安心です!」
 俳優と中年女性歌手と販売員と観客の歓声の掛合い.そろそろ眠くなってきた.
「しかも,今回はこちらの家庭用スーザンもお付けいたします!」
「家庭用ならいいですねー.もう,私は買いますよ!」
 微笑の貼り付いた金髪の女が手を振ると,壁の光もゆらゆらゆら……
「特別価格198万円! 100回払いもご利用いただけます」


奨学金で払おうと思って」
 スーザンがベッドの上にいて,佐治と僕は床の上に座っている.
「もちろんバイトはするよ.それに,これからは節約もするし……」
 そんな言い訳みたいなことを,何だか嬉しそうに言う佐治の肩越しに見える胡坐のスーザンは,右足を両手で持ち上げ,鼻に近づけた.
「クッサー」
 僕の目線を追ってか,スーザンの声を聞いてか,佐治が振り返る.
 左手で支えた右足の裏を右手の人差し指の爪で,くっくっくっくっ,とリズミカルに数回引っ掻いて,その部分の何かを親指と人差し指でつまんだ.何かをつまんだまま,左手でゆっくりと右足を下ろしていき,マットレスの表面に右足がつくのと同時に,一瞬,脚や腰に力が漲り,すっと立ち上がった.見上げる視界に圧倒的に存在しながら,全く圧迫感のないのは,スーザンが僕らを見下ろしてはいず,まっすぐ正面のどこかを見ているためかもしれない.
 右の爪先から踵へと滑らかに足の裏とフロアリングの床が接する.左の爪先から踵までが床に触れていき,すぐに踵から爪先へと離れていく.既に右足はずっと前にあって,踵から爪先へと床に触れたかと思うと踵が離れ,指の付け根が徐々に反っていき,終には右足の全てが床と別れる.ずっと前にある左足は既に床から離れ始めている……
 細く長い5本の指の先が台所のガスコンロの上に置かれた鍋の蓋のくびれを挟み込んだ.開かれた鍋の上で,ずっと何かをつまんだままだったらしい右手の親指と人差し指が離れ,何かが鍋へと入っていった.いや,何も鍋には入っていかなかったかもしれない.そもそも鍋には何も入っておらず,今も何も入っていないのかもしれない.僕にはわからない.とにかく,スーザンの動作は,鍋に何かを,例えば塩ひとつまみを,人が入れるときのものだった.
「あの,今夜何か用事,ある?」
「いや……」
 声をかけられても僕は振り返らなかったし,佐治も僕に目を向けてはいなかった.いや,後ろにいる佐治がどうだか,僕にはわかるはずがないけれど,そんな気がした.
「夕飯,一緒に,どう?」
 ようやく振り向くと,佐治は僕を見ていた.佐治は僕の「いや……」の続きを,ない,と解釈したらしい.僕は「いや……」の続きを特に持っていなかったけれども,ない,と勝手に意識的にか無意識的にか解釈した佐治を,ほとんど無意識に怪しんだ.
「今夜は見たいテレビがあって」
「ここで一緒に見ながら,味噌汁をね,飲めばいいだろ」
「集金の人が来るんだ,ガスの,」
「その人もここに呼んで,飲めばいいじゃないか.味噌汁を作り過ぎてしまって」
「あ,さっき,家が全焼したって,連絡が,入ってたのを忘れてたんだ」
 荷物を手にして立ち上がった僕の腰に佐治が組み付いた.
「大丈夫だから! 全然,味噌汁は大丈夫だから!」
「違うんだよ,僕も,自分の味噌汁を作り過ぎてしまってて,家に帰らないと」
「お前の味噌汁よりも,俺の味噌汁のほうが,全部大丈夫だって」
 スーザンはまた鼻を自分の足に近づけて,言った.
「癖になる臭さ」
「臭いけど大丈夫だから,あの鍋の味噌汁は,俺だけじゃ飲めないだろ,な,な,な,」


 次の日の1時間目が終わると佐治はそわーっと近づいてきて他愛のない話を始めて,それからずっと佐治も僕もあの日を話題にはしなかったので,忘れたわけではなかったけれど,日が経つにつれて想起しなくなっていったのに,「スーザン キトク スグカエレ チチ」なんて電報が届いて,2時間車を走らせて実家に戻るとスーザンがリビングルームで危篤状態だった.つまり,スーザンはがに股で超高速の駆け足をしながら天に向かって超高速のつっぱりをする動きしていた,言い換えると,スーザンは超高速で「はっぱ隊」の踊りを踊っていた.その顔は喜びに満ちてい(るように見え)た.
「どうしてぬいぐるみ付き電報なんか送るんだ.インターネットで調べたら2千円もするらしいじゃないか」
「フジテレビで平日の正午から午後1時まで放送されているテレビ番組『森田一義アワー 笑っていいとも!』中の『テレフォンショッキング』で当日のゲストに対しゲストの知人が『キャラクターDENPO』を贈るというのを見て,お前も喜ぶだろうと」
「大学生の僕が,ディズニーのプーなんて……ミルンのプーならともかく.どうして,アンパンマンのにしなかったの?」
アンパンマンのは『配達ご希望日の3日前までにお願い』しなければならず,さすがに私も,3日前まではこの状態を予見できなかったのだ」
 心成しか,動きがより速くなったよう.
「『すーざん』は片仮名かと訊かれて,全部片仮名だと答えたら,『スーザン』を含めて全文が片仮名にされてしまった.嫌がらせか?」
「何にせよ父さんは時代遅れだよ.僕だってもうポケベル持ってるんだから……」
「うるっさいんだよ! ひっきりなしにどかどかどかどか,好い加減に,してほしいよ! まあぁったくぅぅぅ」
 と下の階の住んでいる(らしい)男がチャイムも鳴らさずドアを勝手に開けて怒鳴り込むのと同時に,スーザンの右腕がぽろりと落ちた.
「あんたが怒鳴ったから,腕取れちゃったじゃないか,責任とってよ! 持って帰ってよ!」
 僕は,僕のあまりの狡猾に驚いた.
 下の階に住んでいる(らしい)男は超高速で動き続けるスーザンを難渋しながら抱えて出て行き,父も僕も満足した.
「無理矢理しようとしたら危篤状態に陥った.家庭用スーザンだとはわかっていたが,多少ならばと……やはり業務用スーザンを購入しようかと思う」
「父さんはテレビショッピングとの距離を僕のように上手くとらなきゃ,駄目だよ」


 その後全国各地で埼玉県が大量に廃棄されたことが問題となり,埼玉県を販売したエスクリアマーケティング社は処分を受け,商品を紹介したテレビ番組「ショッピングランド」は打切りとなった.僕の就寝前の習慣は自然と消え,翌日の日中に眠気を感ずることがなくなったので,良かったと思います.