OjohmbonX

創作のブログです。

一方そのころ海原雄山は「俺の左手、超ウマいんですけど」と言った。

「食人賞」応募作その2
http://neo.g.hatena.ne.jp/keyword/%E9%A3%9F%E4%BA%BA%E8%B3%9E?kid=85



 両親から幼いころより日本はサムライの国であるから人が人を食ったりしていると聞かされていたため社用で渡日するよう上司に言われた際には文字通り命をかけて拒絶したけれど社命を断れば解雇すると告げられ東京に着いて愕然とした。人が多すぎる。俺はあとかたもなくなる。


 とにかく俺は飛行機の中で頭に叩き込んだ両親直筆の日本マニュアルの内容を思い出してここで何よりまず心掛けるべきことは人とぶつからないように歩くことでありもしも人とぶつかった場合は互いの肉を適度に切り取り合って食肉業者に出荷しなければならない。これを「喧嘩両成敗」という。ただしこれはパンピー(一般人のことを日本ではそう呼ぶ。サムライと対になる存在)が相手のときであって運悪くぶつかったのがサムライであれば問答無用で一方的に肉を切り取られて食肉業者に出荷されてしまう。これを「切捨て御免」と呼ぶ。そして日本の医療体制は大変高度であるため多少肉をそぎ落とされたところで救急車によってすみやかに病院へ運ばれ治療を受けるか、回復の見込みの無い者はすみやかに焼肉屋さかいに運ばれるシステムとなっていると書かれてある。
 戦々恐々として街に歩み出してみたものの誰も彼もあれほど密に進んでゆくにもかかわらず肩さえぶつけず器用に避ける様を知って拍子抜けしたのだけれども考えてみれば食肉業者への出荷作業なり救急車を呼ぶなりするにも手間と暇とがかかるのだから誰もが忌避して当然なのだ。日本の人々は肉に構ってなどいられないとみえる。その文化にもかかわらず彼らの多くが肉ストックをあまり身につけていない――もちろん例外として肉ストック過剰の日本人も散見されるが――のは避けて歩む自身の能力に対する確信の表明に外ならない。いさぎよさ。「大和魂」。ほとほと感心しつつ歩む私はあり得ない・あってはならない場面を目にして驚駭した。若い女が流れを妨げるように通行人へポケットティッシュを配っているのだ。日本マニュアルのいずれのページにも記載されていない実在してはならない光景。しかし実在している。女は、人とぶつかりそうになりながら、ティッシュを配っている!
 女がティッシュを通行人の胸の前につきだす。通行人がティッシュを受け取るか否かにかかわらず女は巧妙に通行人の体とぶつかるすんでのところで腕を引き込める……しかしそう見えて実は女は自発的に腕を引き込めているわけではないとしたら? 通行人の技量によって女は不本意ながら腕を引き込めさせられて衝突が回避されているとしたら? すると女は実のところ通行人と衝突しようとしているということになる……なぜか。女はパンピーで肉を切り取られることを悦ぶから。あるいは女はサムライで切り取ることを悦ぶから。違う。エコノミックアニマル・日本人は個人の楽しみの時間を商売に捧げる。何かの商売に違いない……商売! 焼肉屋さかい! 女は焼肉屋さかいに雇われたサムライなのかもしれない。通行人の肉を調達しているのかもしれない。
 流れに逆らって踵を返せば他の通行人にぶつかるかもしれない。進むよりほかにない。ところでティッシュを配る目的は? 考える余裕などもはやない。女との距離が縮まり続ける。ともかく俺は避けねばならない。俺は女の腕を引きこめさせられるか。女を回避できるか。その技量が俺にあるか。無い。なぜなら俺は日本人でないから。ああ、俺の肉は調達されてしまうのか。もう、すぐそこに、女が! しかし女がさかいのサムライであるかどうかもわからないのだ。ティッシュの理由だって明らかになっていないのだから。希望は、ある。とにかくコミュニケーションだ! 何とかぶつからないよう懇願するのだ。まずはフレンドリーにコンタクトを取ることだ。
「ハーイ、コンニチハ。私はボブです。あなたは日本のダレ?」
「はあ? ええと、坂井ですけど……」
 ひいぃっ! やはり、やはりこの女、さかい系サムライなのだ。俺は発狂しそうになるのを必死にこらえて思案した。はたしてこの女はなぜ自らさかい系サムライであると明かしたのか。それはサムライの礼節なのだ。それはここにおいては宣戦布告なのだ、と断定して再び発狂しかけた。俺は食われる。日本のみなさまに、食われてしまう。そんなのは、絶対に、嫌だ!
「こんなとこで、死んでたまるかアァァァァアッ!」
 俺は女に飛びかかる。
「俺の肉は、俺の肉! お前の肉も、俺の肉ゥッ!」
 先手必勝。無我夢中で女を組み敷いて往来をさえぎり女の肉をつまみにつまんでいた俺を、駆けつけた日本の警官たちは女から引き離し交番に連れてゆき事情を訊き両親直筆の日本マニュアルを見せられたところでそれらが全て虚偽と誤解であると俺に教えた。


 そんな私も今ではボブ・サカイ。世界各地で日本の人食主義思想についての講演を開いていますが案外みんな騙されます。