OjohmbonX

創作のブログです。

バイオセーフティーレベル4

 妻は流されやすい女だ。
 『バイオハザード3』を観終えてショッピングモールの映画館を出るとさっそくゾンビ風になっているのだった。あぁ、とか、うぅ、とかうめきながら白目を剥いて、背を丸めて水でもかくように腕を振りながら足を引きずってゆっくり歩く妻は、日曜で人の多いショッピングモールで耳目をひくのだった。
「やめてよぅ、奥さんがゾンビっぽいなんて、みっともないよ、ぼく、恥ずかしいよ。みんな見てるよぅ」
 妻にささやきかけるが聞く耳をもたない。ゾンビっぽい女の夫と見られるのは恥ずかしく耐えがたかったから、私は見知らぬ振りで妻の先を歩いた。
 しばらく歩くと後ろから絹を裂くような叫びを聞いた。振り返ると、7、8歳くらいの男児の両肩をうしろから両手で鷲掴みに掴みつつ、妻はその児の首筋に噛み付いているのだった。かわいそうに男の児は恐怖に泣き喚いていた。私はそばに駆け寄ってやめるよう妻に言うが聞かず、力尽くで引き離そうとするがびくともしなかった。妻のいずれにそれほどの力のあるのか知れなかった。精神をゾンビとすれば身体においてもゾンビ・パワーを発揮できるのか。幸い精神の全てがゾンビではないらしく、妻は軽く歯を当てるのみで本当に噛み付いてはいなかった。
 ふと男児と妻越しに、男が駆け寄るのを見た。風体、身ごなし、明らかにヤクザであった。児の父であった。妻を突き飛ばして児を助けるかと思ったが、しなかった。得体の知れない妻が怖ろしいらしい。男は一歩分距離を置いて、何してるだの離せだのわめいていた。
「ごごごごごごめんなさいごめんなさい、妻はアマチュアのゾンビだから、ヤクザの子供に手を出しちゃダメだってわからないんです今後気をつけますから、今度からはちゃんとやりますから!」
「アマチュアのゾンビって何や! ええから、子供離させぇ」
 男は私ばかりを責めるのだった。確かに私は妻の夫であるが、私がこの児を苛んでいるわけではない。どうして私がヤクザに責められなければならない。はなから見知らぬふりを通すか、あるいは妻と同じにゾンビとして振舞えばよかったと悔いた。
 妻は首筋から口を離しざま何事かささやき、男児を解放した。私と男は思わず見合わせて、互いにともかく安堵したらしいのを顔から知った。しかしただちに男の顔は驚駭を示した。妻と男児が男に飛びかかり、噛み付いたのだった。
「な、な、何なんだよ、あんた、何なんだよ」
「体は人間、心はゾンビ! それが、名探偵ゾンビ!」
「奥さん、何言ってんだ、離れろーっ!」
「ぼくもゾンビだぞー。もぐもぐ」
「やめろタカユキ、離れろ、」
「ごめんね、ごめんね、ぼくが『バイオハザード』観たいなんていうから、ごめんね、みんなごめんね」


 私と妻はともに、今年で古稀を迎える。