OjohmbonX

創作のブログです。

金の髪と銀の髪と、女神

 排水溝の口に溜まる毛を見て絶望的な気になる。日々、容赦なく禿げ進む。清廉に生きようが摂生に努めようが、情け無く抜けさらばえる。まだ30だというのに、あまりの仕打ち。今日も洗髪を終え、ひとしきり排水溝を見つめて嘆息した後、顔を上げて思わず叫びを上げそうになった。しかし驚きもあまればかえって声は出ぬものらしい。見知らぬ女が浴槽の中に立っていたのだ。豊かなウェーブのかかった金髪に、白い肌は空気に溶けているようだった。純白の翼が背に輝いていた。圧倒的な美がそこに存していた。女は女神と名乗った。
「お前が流したのはこの金髪か、あるいはこちらの銀髪か」
「え」
「ではこの黒髪か」
「はあ」
「正直なお前には金髪と銀髪を植えてやろう」
「え」
 女神は私の肩口を一方の手で押さえ、他方の手でなけなしの私の髪をむしり始めた。女神は喜悦の表情を浮かべていた。こいつ、やべぇ。私は女神の腕を振り払い、泣きながら浴室を飛び出した。陰茎が固定されず揺れるためにひどく走りづらい。廊下をいくらか進んだところでちらりと振り返ると、四つん這いで手足をばらばらに動かし、白目を剥きながら恐るべき速さですぐ後ろに女神が迫っていた。羽があるなら飛べよ。女神は追い抜きざまに私の髪を掴み、そのまま居間まで引きずっていった。
 居間で、全裸に水をしたたらせしくしく泣きながら髪をむしられる私を見て、妻は激怒した。
「何よその女。どういうプレイなのよ」
「ははは。見ての通りだ」
 女神は余計なことを言うんじゃない。妻は戦闘的な目つきになった。
「私はね、熊本の女なのよ。火の国の女を、舐めるんじゃないわよ」
 妻が女神に飛び掛る。女神は私の髪をむしり終えて金や銀の髪を植毛している手を止めた。
「愚かな女。よく見ておれ」
 女神は微笑を浮かべた。時間がひどく緩慢に流れ始めた。ゆっくりと迫る妻とその拳から無駄の認められない動きで軸をずらし、女神は妻の頬に拳をめり込ませた。妻の顔が変形し、崩れて行くのがわかる。時間が元通りの早さに戻り、妻が吹き飛んで居間の壁に叩きつけられる。しばらく呻いていたがやがて立ち上がり、鼻や歯茎から血を滴らせながらも戦闘的な視線を止めない。妻の視線を女神は微笑で受け流した。
「お前は骨のある女だが、相手をしている暇はない。神の子を召喚しよう」
 居間が眩い光に包まれ、目を強く閉じてもまぶたを透かして強い光が射すため、手で目を覆う。しばらくしてゆっくり手を除け、目を開くと、そこにはK-1ファイター・山本"KID"徳郁が立っていた。彼はひどく驚いた様子でいた。
「山本よ。お前を呼んだのは私だ。お前は『神の子』を僭称しておるようだな。よろしい。私の子であるなら、この女を倒せ」
「ちょっと、ここは私の家なのよ、誰だか知らないけどまた新しい男を引っ張り込んで、あなた、ちょっと綺麗めな顔してるからって、許せない、キーッ」
 妻は山本選手を殴り始めた。山本選手は無抵抗だ。
「ニセ神の子よ、戦え。都合のよいときだけ神の子を名乗るなど許さぬぞ」
 女神も山本選手を殴り始めた。私は涙が出た。山本選手は真の格闘家だった。妻にも女神にも殴らせ蹴らせるままにし、一切反撃しないのだ。女子供には手を出さぬ。イエスは、右の頬を打たれたなら左の頬も差し出せと言ったという。山本選手はまさに実践している。真の神の子である。(もっとも、殴っているのは神だが。)私は感涙をひたすら流しながら女神や妻の足にすがりつき、乱暴を止めるよう懇願したが、私は足蹴にされるばかりだった。


 私と妻、女神、山本選手の4人は暗い食卓に押し黙って座っていた。私の植毛は完遂されていた。全体が銀髪、肖像画のバッハそっくりの髪形であったが、後頭部の一部は長方形に短く刈られ、金の毛で「元ハゲ」と文字が明確に書かれてあった。
「かつて、私は欧州の、ある森の中の泉を拠点として活動していた。昔はきこり達が泉に落とした斧を拾ってやり、金や銀の斧とセットで返品するサービスで事足りた。しかしもはやきこり達はいない。そこで東洋まで遠征した訳だが……まさか日本のサラリーマンどもが金髪、銀髪を望んでおらぬとは」
 金髪や銀髪もさることながら、この髪形には悪意のほかを感じないが、それについて女神は何も言わなかった。代わりに妻がとりなした。
「まあ、明日会社に行くまでに髪を切って染めれば」
「ははは。無駄だ。私の植えた毛は切れぬ、染まらぬ、抜けぬ、伸びぬ。神の毛であるわ」
 長い沈黙が重く漂う中、とうとう山本選手が口を開いた。
「俺、帰ってもいいですか……」
「あ、すみません何もお構いできませんで」
 山本選手は帰宅した。
 我々3人は皆、今後の山本選手の活躍を大いに願っているものである。