OjohmbonX

創作のブログです。

鋏は髪を切らなかった

 自分の後ろに立った者を容赦なく殴りつけるというゴルゴ13の習性は周知の事実であるから、床屋に来店した彼が理容師をすみやかに殴り殺す事態は驚くに値しない。何せ理容師は鋭利な鋏や、あまつさえ剃刀さえ手にしている存在なのだ。そして彼はすまないと顔色も変えずに言い置き、理容師に掛けられていた生命保険の額を2桁超えるキャッシュを無造作に置く律儀さを見せて髪も切らずに店から消えるだろう。
 そうして私は一人息子を殺された。私の小さな店の跡取りだったが未来は潰された。そして数ヵ月後、彼は再び来店した。彼の頭髪は明らかに自分で散髪して無残な状態になっていた。私は別の客を相手にしていたから、私の妻が彼を担当することになった。彼の後ろに立った妻は即座に頚椎を手刀でやられ、首から下が麻痺してしまった。彼が息子と妻に宛てて残した金で妻の首から下はASIMOに改造された。ありがとうホンダ……。でもどうせなら全身ASIMOでも良かったのだが。(私は妻の顔が嫌いなので。)妻は店に立つことはできるようになったが、鋏はもう持てなかった。
 さらに数ヶ月が経って彼が三度姿を現した。彼の頭は見るに耐えない状態になっていた。遂に私の番かと、黙って諦めるほど私は潔くない。ただで死ぬと思うなよ。
「カリスマーッ! カリスマーーッッ!!」
 私が店の奥へ叫ぶとカリスマ理容師が現れた。2m強の身長と鋼の肉体を誇るカリスマだ。彼はアメリカの特殊部隊出身という異色の経歴を持っていた。
「私、かりすま。今日、担当サセテ、ウィタタキマース」
 ほんの一瞬の猶予も彼に与えてはならない。カリスマはアーミーナイフを椅子に深く座った彼の首筋に突き立てようとしたが、やや余裕を持って彼はそれをかわし、振り返り様に手刀をカリスマの首に叩き込み椅子から跳ね起きた。しかし首周りの筋肉の壁がいささかのダメージもカリスマに与えなかった。二人は椅子を挟んで構えをとって対峙した。
「軍用ナイフを使うのは……おまえの散髪スタイルなのか…………?」
 んなわけねえだろ。私は彼が皮肉かジョークを言っているのかと思った。
"Yes. That's a very traditionally American style."(はい。これはとても伝統的なアメリカのスタイルです。)
 私は頭がくらくらした。プロどもの考えることはようわからん。プロフェッショナル・ジョークだと信じたいが二人とも大真面目な顔をしている。おもむろにカリスマはナイフを捨てた。拳と拳で語り合うことでお客様にご満足いただいております、という意味のことをカリスマは言い、椅子を回り込んで突きを彼に叩き込んだ。それを受けつつ彼は懐からリボルバーを抜いてカリスマの胸を打ち抜いた。
「おまえのお遊びにつきあってやれなくて悪いが…………おれは、こっちの方が専門なんでな…………」
 カリスマの巨躯が崩れ落ち、その向こうから突き刺すような彼の視線が私を射抜いた。居竦みながらも私はさらに店の奥へ呼びかける。奥から普通の日本の床屋さんが続々と現れ、彼を取り囲んで店を満たした。全国理容生活衛生同業組合連合会(全理連)に加盟する理容師たちだ。
「理容師1人を見たら…………50人はいると思え、と言うが……」
 言わねえよ。ゴギブリじゃねえんだから。もうゴルゴさっきからなに言ってんの。
 彼に最も近い位置にいた理容師が彼に襲い掛かる。あっさり殺される。その横から別の理容師が襲い掛かる。殺される。彼を襲っては殺されていく。殺されても殺されても次々に奥から理容師が現れ襲い掛かる。最強のスズメバチであっても大量のミツバチには敗れ去るものだ。我々の数が尽きるか、彼の体力が尽きるか、勝負はそこに掛かっている。我々の数が尽きた。200人ではちょっと足りなかった。私は混乱していた。
「どうして、どうして、私はあなたの全巻を店に揃えてさえいるのですよ。それを、あだで返そうというのですか。あれは、あなたが半年前に殺した青年はこの店の跡取り、私の息子だったのです。どうして、どうして私の店ばかりに来るのですか、あなたは世界を股にかけているのなら、何も日本の、こんな小さな店を襲わなくてもいいじゃないですか」
「…………お前たち一家は、世界でも最高の腕を持っていると聞いた……」
 私は思わず絶句して彼の顔を見つめてしまった。そしてその後ろに一気に私の人生が紐解かれたような気がした。この小さな町に妻と開業して以来、研鑽を怠ったことは無かった。鋏遣い、スピード、リズム、客とのコミュニケーション、望みを的確に把握する能力、シェービングフォームの泡立て方……考え得る点は全て一切の妥協を認めなかった。私の家族も同様に、現状に安住する怠惰を自分に許さなかった。その研鑽は派手な効果を生み得ず誰かに評価されたことはなかった。ただ客が気づかぬうちに満足を得るのみだった。それでいいと思っていた。この小さな町の小さな店でひっそり生きて死ぬ。一生をかけて人知れず客の満足を追求する。私のひとりよがりの倫理。それが、どうして、この世界最高のプロフェッショナルに認められるなんて。
 そしてこの二人の男の皮肉を嗤わずにいられなかった。一方はそのプロフェッショナルのために自分の髪を刈れずにいる。他方はそのプロフェッショナルを最後に認められながら気づかなかった。男の悲哀を見た。
 彼はリボルバーの銃口を静かに私へ向けた。
「おれのルールは、わかっているはずだ…………」
 全巻揃えている私が知らぬはずがない。彼に殺意を向けた者は例え合衆国の大統領であろうとバチカン教皇であろうと許されはしない。それは一つの例外も無く、絶対だ。私はゆっくりと目を閉じた。遠くで撃鉄の起こる音を聞いた。


 諦めの奥から衝動が、まったく突然に突き破って私は目を見開き、彼の足元に飛びついた。
「抱いてっ、今すぐあたしを抱いて、あたしの跡取り息子、股間の跡取り息子をいじめ抜いてーッ! アオォーッ!!」
 遠くで絶望的な顔をする妻の顔があった。フン、ASIMOなんかに用はない。勝手に充電でもしてればいいわ。最後の最後にわかった。男の中の男、あたしが本当に求めていたのはこの肉体、鋭利な筋肉の塊。しかし彼は眉一つ動かさずに静かに宣告した。
「…………男と寝る趣味は無い」
「趣味じゃない、趣味の問題じゃないの、これは、魂の問題なのよ!」
ズキューン
「抱いてーッ」
 あたしは死んだ。