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創作のブログです。

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 息子の雪介がめそめそ泣くのを吾郎は
「うちの番だ」
ときつく言い捨てて、背負ったブラウン管テレビの紐をもう一度きつく縛り直し家を出た。奥の山へ捨てるのだ。
 昨晩は源治の家だった。次はうちの番なのだ。そして後はない。川に貫かれる谷あいの村は下流を手前、上流を奥と呼ぶ。すり鉢の底に村は沈んで山に囲まれている。川は奥と手前の山を削るには不足だったのだ。
 手前の端にある家を出て吾郎はそろそろと進み始めた。背負うテレビの重さもさることながら、そもそもあまり早く歩いてはいけないので吾郎はゆっくり進むのである。曇りの夜だった。月明かりも家々の灯かりもない。額に巻きつけたライトがふらふら地面を照らしている。
 十日ほど前、野さが馬鹿をした。その夜は野さの家の番だった。だが野さはテレビ惜しさに捨てなかった。代わりに岩を背負って奥の山へ捨ててきた。
 明くる朝、野さが田んぼに出てみるとすでに半分くらい泥が入れられていた。久ブと勝目がよそから運んだ泥をスコップで入れているのである。泥を入れられてはその田んぼはもうダメである。野さは久ブのスコップを取り上げようとするが勝目が後ろから野さの頭をガーンとスコップの腹でたたいた。
「見たなッ」
と野さは言うが二人は
「知らねえ知らねえ」
と言う。久ブも勝目も家が野さより手前にあるから見ていないのである。けれど野さより奥の家の者はほとんど見ていたし、誰かが見ていればそれは村が見ているのと同じである。
「泥を入れてるじゃねェか」
と野さが言っても
「さァ」
と二人は言うばかりなのだ。
 久ブも勝目も役だから泥を入れているだけである。役は奥から順繰りに二家ずつ回ってくる。久ブも勝目もその役に当たっていただけだ。おかしなことをした奴には泥入れをするし、死人が出れば埋める。誰かが指示する訳でなく、役が勝手にやるのだ。
 今朝早くに野さの顛末を勝目が耳にした。それで勝目は隣の久ブに伝えた。
「へぇーッ、岩を」
 久ブはスコップともっこを担いでにこにこと笑っていた。勝目は笑っていなかったが、久ブの気持ちはよく分かった。野さは一枚田んぼなのである。それも小さい田んぼである。泥入れが楽なのだ。それでも済ませば役が回る。楽な仕事で自分の役を抜けて久ブはうれしいのである。
「ババアがテレビを見たがるんだ」
 野さのババアは寝たきりだった。もうすぐ死ぬのである。それを言い訳みたいに言うが久ブと勝目は
「ババアも捨てろ捨てろ」
と、こうである。
「馬鹿ッ」
と野さは言うが二人はもくもくと泥を入れ続けるのである。蔵のヤツだな、と野さは思った。そうに決まってる、と決めて野さは真っ赤な顔をして帰っていった。
 その日の夕方、蔵の家にテレビが投げ込まれた。ちょうど土間で蔵の女房が支度をしているその背後をひゅうっと横切って、どーんと奥の壁にぶっつかった。戸の破れる音と壁にぶち当たる音が大きく響いたが蔵の女房は立ち尽くしたままだった。
 蔵はいつも人の噂を流す男だった。しかし野さのことは違うのである。それだからこれは災難である。けれども、自分の得にならなくても人の損はうれしいので、皆は納得した。野さにはもう泥入れする田んぼがないから役の仕事はなかった。
 そして明くる朝、野さと野さの女房は村からいなくなっていた。ババアは寝たきりである。しばらく放っておかれたババアは死んで、次の役の日作と三吉が埋めた。


 ようやく吾郎は川まできた。川は村を斜めに走っているので奥へ行くには途中で橋を渡る。橋の向こうの突き当たりが藤原の家だ。テレビのことを言い出したのは藤原である。
 ある日、テレビの像が一まわり小さくなって上下に黒い帯が入った。その帯には「テレビが終わる」と白い文字が入っていた。皆が驚いているところへ、藤原は、捨てろ捨てろと言ったのである。藤原はただ一人東京から来た男だった。それで皆そうかそうかと納得した。
 よそから人がくれば村は歓迎する。ご馳走を出して笑うのである。けれども絶対にそれ以上ではない。気をよくして住み着こうとしても家も田んぼも分けない。無理に家を立てても水を引かせないのである。これでは生きて行かれないのでよそ者はどうしても出て行くのである。これは出戻り者にも同じことだった。この村で生まれて土地を離れなかった者だけがこの村で生きて行かれるのである。
 けれども藤原は、勝手に家を立てて住み着いた後、村の女を一人残らず犯したのであった。少しずつ犯していったので結局あいまいになっているが、とにかく、全員犯したのである。犯された女たちは何となく藤原を許す格好となった。それで男たちも何となく流されて、そのまま藤原は村の男になった。
「地デジなんて嘘ッぱちだ。テレビは死ぬ」
と藤原が言うので皆そうかそうかと納得した。
 それで死ぬテレビが邪魔なので奥の山へ捨てることになった。昼は役所に見つかると面倒なので夜に一人ずつ捨てに行くことになった。平成の大合併とかで市になってから一人若い男が熱心に村へ通ってくる。市役所でこの村の担当になったと言ってしょっちゅう村へ来るのだった。来ては「この村には改革が必要です」と言って回って帰るのである。何でも良い大学を出たそうである。村では役所とかエリートとこの男を呼んでいる。それだから昼はだめなのである。もちろん役所が騒いだら埋めれば良いだけのことだが、見つからないに越したことはない。埋めるというのは山へ生き埋めにすることである。以前はヨソ者をしょっちゅう埋めていたが近ごろではめっきり減って、最後は十年ほど前のことでそれ以降は誰も埋めていない。これも役の仕事である。


 一番奥の、ででの家を過ぎて吾郎は山に入った。捨て場が山のどことも聞いていない。子供のころから何度も入っているので入れば分かるだろうと確かめていない。皆当たり前のように行って、帰ってきているのだから、行けば分かるだろうと思っているのである。吾郎の家は一番手前なので行って帰ってくる者を見てはいないのだが、駄目ならででに聞けば良い、とタカをくくっているのである。
 でではもうジジイだが、吾郎には昔から親切だった。吾郎が子供のころからでではジジイだった。ちょうど吾郎と年の近い者が村にはおらず、年上の奴らは吾郎をからかうばかりで、年下はお守りになってしまうから遊ぶ相手がいなかったのである。ででは吾郎の遊び相手であった。
 かなり離れた一番奥にぽつんと一つ、ででの家はある。誰もででの家を気にしないので行けば気楽なものであった。ででの家には来客もないのである。吾郎の父親はあんな奴のところへ行くな行くなと言うが別に止めもしない。朝から昼過ぎまで遊んだ後、川の水を引いた水だまりのそばへ泥まみれの吾郎を立たせ、ででは泥を流してやるのである。幼い吾郎のやわらかく熱い体を、ざらざらゴツゴツしたででの大きな手が水をすくって撫でる。くすぐったさに身をよじらせて笑う吾郎を、両手で脇からすくってひょいと持ち上げ、ござの上に寝かせた後、くすぐるのである。きゃっきゃっと笑って逃げようとする吾郎をつかまえ、でではくすぐる。そしてじとっと柔らかい子供の体を撫でるのである。そうして夕方になって吾郎は帰る。
 しかし山に入るとすぐに捨て場は見つかった。ででに聞くまでもなかったのである。自分以外の村すべてのテレビが積まれてあった。案外大丈夫そうである。放り捨てるわけではないと吾郎は分かった。きれいに並べて積んであるのである。雨も降っていないから家にあったころと変わりない。うむ、うむ、と吾郎は一人でうなずいて、肩の紐を解こうとした。そのとき空の分厚い雲がぐうっと円く押しのけられ、その穴から光の束がずどんとテレビの山に落ちて吾郎の目をつぶした。目がなれて見るとテレビの山の上で美青年がほほ笑んでいた。吾郎は見たことがあるぞと思った。テレビで見たことがあるぞと思った。草なぎ剛だった。
 草なぎはテレビの山から一歩ずつ降りて吾郎の目の前に立った。何かを差し出した。吾郎が受け取るとそれは地デジチューナーだった。そのまま草なぎは吾郎の脇を通り過ぎ、飛び立った。吾郎は草なぎを追いかけた。テレビの紐が肩に食い込んで痛む。それでも吾郎は走った。草なぎはででの家へ向かっているようである。山を抜け森が開けて吾郎はででの家を見た。草なぎはすっ、と地デジのアンテナをででの屋根に刺した。それからチューナーを家の前に落とした。チューナーは雪みたいにゆっくりと地面に近づきふわっと着地した。草なぎはもうででの家を離れて飛び立っている。村の手前へ飛んでいくのである。全裸で「しんごー。しんごー。」と言いながら飛んでいく。吾郎は追いかける。
 草なぎは次々にアンテナを刺し、チューナーを落とし、「しんごー。しんごー。」と言いながら飛んでいく。吾郎は走った。途中、木の根でつまずいて転げた。派手な音を立てた。テレビを背負って手前へ戻る吾郎を村の誰もが見ているはずである。しかし誰も表へ出てはこない。見えない視線が吾郎には見えた。目と耳が自分に突き刺さるようだった。けれども草なぎは次々に進んでいってしまうのだ。
「しんごー。しんごー。」
 声が遠ざかる。吾郎は体を起こし、チューナーを胸に抱き、駆け出す。走って、走って、藤原の家を過ぎ、川を渡り、勝目の家を過ぎ、久ブの家を過ぎ、蔵の家を過ぎ、
「しんごー。しんごー。」
その一つ一つに、羽根が頬を撫でるあの優しさで、アンテナを刺してゆく草なぎを追って、テレビの重さも忘れ、三吉の家を過ぎ、日作の家を過ぎ、何度足をもつれさせても、そのたびに起き上がり、吾郎は駆け続け、ついに自分の家にたどり着き、見上げると、白く肌を輝かせた草なぎの微笑があった。
 吾郎が口を開きかけると屋根の上の草なぎは立てた人差し指を唇に軽く当てて制した。空は既に晴れ、夜が明け始めていた。最後のアンテナを吾郎の家に刺し、草なぎは天へ帰った。家の中から雪介が飛び出してきた。
「父ちゃん!」
と飛びついてきた小さな体を抱き止めると、吾郎はその熱さと柔らかさに驚きながらぎゅうとさらに抱き締めるのだった。
 夜が明け2011年7月25日の朝がきた。吾郎の家からテレビの音が鳴っている。村の家々からテレビの音が鳴っている。これが地上デジタル放送である。