OjohmbonX

創作のブログです。

見た、見ていない/見えていない、見ない

 小学生のときに、地域のおじいさんやおばあさんをエアガンで撃つという授業があった。それは体験学習のひとつで、ちゃんと頑丈なおじいさんやおばあさんが選ばれてるから大丈夫だったのに、僕たちは勘違いして、学校の外でも撃つのが流行った。その辺のおじいさんやおばあさんは弱いので、すぐ死ぬ。でも命のこととかはよく分からなかったから、気にせずに撃っていた。特に僕と、2こ下の僕の弟がすごく熱心で、おじいさんやおばあさんを追いかけ回してると、あいつら、戦争を経験してるから、すごい早さで電柱をゴキブリみたいに上っていって、カラスみたいに電線にとまるんだ。エアガンは威力が足りなくて電線までは届かない。だんだん小学生たちは諦めていって、おじいさんおばあさんたちは次々に安全な電線の上にいるようになって、老人会なんかも電線の上で開かれるようになった。
 ところがどっこい、うちはマンションだったのでベランダから老人たちを撃ち落としていた。もうエアガンなんかじゃ我慢できなかったから本物のマシンガンで撃ちまくった。ドングリみたいにポロポロ電線から落ちていくので僕と弟は笑いながら見ていたら、そのうちの一人が僕らのおばあちゃんだった。
 スローモーションみたいにゆっくり落ちていくおばあちゃんの、ひからびた唇が、ゆっくり、ていねいに、僕たちの名前を、一人ずつ、呼んだような気がした。そうして我にかえって下を覗くと、もうおばあちゃんは道路に叩きつけられてぐちゃぐちゃになっていた。
 弟は
「おこづかいが!」
と叫んだので、そうだ、もうお年玉もらえないじゃん、と気づいて僕は、弟の頭を引っぱたいた。
 その日はもう終わりにして、いつも通りに夜ご飯を食べたけど、なんか気持ち悪くて、いつもより少し早く寝たけど、眠れないから急に、おばあさんやおじいさんにはみんな僕らみたいな孫がいて死ぬときに、あんな風にゆっくり名前を呼ぶんだ、しかも僕らみたいな孫はもう、お年玉もおこづかいももらえなくなるということに気づいてぼろぼろ泣いてしまった。
 とんでもないことをした。今ほんのちょっと考えたらすぐにわかったことなのにどうして気づかなかったんだろう。どうしよう、どうしようと思っては焦ってみたけれど、それから先生も親もだれもそんな話をしなかった。とにかく銃は金輪際やめた。やめても思い出せば、もう恥ずかしくて恥ずかしくて大声を出さずにいられなかった。
 でも弟は気づかずにそれからもずっと殺し続けて、そのうち飽きてやめたみたいだった。本当に、ただ飽きたからいつの間にかやめたみたいだった。恥ずかしさなんてまるでないみたいだった。この差はいったい何なんだろう。無言で名前を呼ばれた、おばあちゃんのあの唇を弟は見ていなかったのか。僕がようやく思い出しても大声を出さずに、ぐっと飲み込んでおばあちゃんの呼ぶ声を少しは受け止められるようになったのはもう大人になってからで弟は、何にも知らない顔をして家族に恋人を紹介した。結婚するという。弟も僕もただ普通に生きて暮らして見た目には、まるで当たり前の兄弟だとしてもまだ、あの差が底の底で息をひそめている。僕とはあの差をずっと抱えたままの弟と、そんな差があるなんて知らずに結婚するなんてことが可能なんだろうか。弟と離れたタイミングを見計らって僕は彼女に体験学習から続く祖母の話をした。
「知ってますよ。だって私の祖母はあなたたちが、殺したんですよ」
 それを何でもないことみたいに彼女は言った。復讐のために近づいたのか! と思わず叫んで指さす直後に違う、愛が憎しみを凌駕したかと迷ったものの、彼女は僕のそのどちらの認識も声を立てて笑い上げた。笑いながら、
「私は、ババアなんて、大っ嫌い」
と言って彼女は燃えるような目付きで僕を笑っていた。楽しそうにそう言って僕を残して弟や家族が待つ居間に戻った。残されて僕は、これは他人だと今さら全身で理解した。絶対に分からない。彼女も弟も僕を分からないし僕は彼女も弟も分からないし弟は彼女を、彼女も弟を分かりはしない。むしろどうして、最後には分かってもらえるし分かると、何の根拠もなく今まで無邪気に信じていたのかが不思議で仕方がない。簡単なことはいつでも分からないし、分かれば絶望的な馬鹿馬鹿しさに呆然とするしかない。祖母にしてもあんなやり方で死を利用して、音のない声で人の中に巣食うのはずるいことだと思った。そうして全身で納得すればかえって、全てを肯定できるような、分からないところから始められるような気がして息を吸い直せば、弟や、弟と結婚する女や、家族がいる居間へ、足が進んで、まだ、生きていける。