OjohmbonX

創作のブログです。

呼吸を止めて、一秒

 浅黒い少年と青白い少年が中学校で出会った。
 公立中学は地域と年齢とで、全く暴力的なやり方をして少年たちを区切って内部に放り込んだから、この二人は出会うことになった。二カ月足らずのうちに少年たちはゆるやかなグループを形成した。二人はもちろん一緒にはならない。青白い少年は浅黒い少年の、若い馬を思わせるつややかな肉体をまぶしそうに眺め、浅黒い少年は青白い少年の、触れると消滅しそうな不思議をひそかに愛した。互いが互いにあこがれ、あこがれ尽くし、そして、卒業して忘れた。ふいに胸を突き上げてこぼれ落ちそうになった何かを、あこがれと呼ぶことすら知らずに、自分たちがあこがれたことにすら気づかぬうちに、忘れたのだ。二人が言葉を交わしたのは三年間のうちたかだか十回ほどだった。
 その先はあの民主的な規則に従って、浅黒い少年は肉体を試される高校へ進み、青白い少年は頭脳が求められる高校へ進んだ。大学へ行くか否かが誤差の程度の年数を生んで前後させたもののそれから二人は大人になった。妻を娶り子を授かり、しかしまるでずれた位相に生きていた。平気な顔をして社会は決然と、単純な規則で二人に経済的な差をつけて、生活の位相をずらした。普通という言葉で片付けて誰も振り返らないような別の生活を過ごしてもはや、二人の人生が交差する必然はなかった。
 必然はなかったが、偶然は至る所に存在して二人が運転する車を突然衝突させた。再会したかつての同級生はそれが同級生だと気付く余地もなく、ひたすら互いが互いを嫌悪した。青白い男は理屈を信じ、浅黒い男は感情を信じて相手を詰り続けた。それは互いの属する社会の掟を持ち込んで、その最終的には主観性に拠るほかない前提をぶつけ合っていた訳だから、どこかに折り合いのつく地点などあるはずもなかった。
 罵り続けて疲れ果て、黙り込んだ二人に警官が容喙した。
「和解したのか? だったらここでキスをしろ」
 二人は呆然とした。やじ馬達は沸き返った。二人は警官に反言するが警官は、それが法だと取り合わない。やじ馬達は、キースッ、キースッと囃し立てる始末だった。
 二人がいくらずれを孕んだ社会に住んでいようがそれらは所詮、日本に捕らわれた中間社会である以上、個々の社会の掟を気軽に抑圧して世間の声に従わせるあの「空気を読む」無言の取り交わしにあえなく蹂躙される。そして何より彼らは、空気を無視できる若さをとうに捨て去って大人になったのだった。
 二人の唇が触れ合う直前、人間が知覚可能な最小の時間分解能の一つ分を挟んだだけの一瞬前、あの耐え難いあこがれが、水があふれ出すように前触れもなく、二人の体中を満たした。二人の思考を置き去りにして、あふれたあこがれが社会も世間も皮膚も無化した。やじ馬の囃し立てる音が遠くにしりぞいて唸るように、耳鳴りのように響いていた。唇が触れるまでの残りの時間を、あふれ出したあこがれが抵抗を示して、まるでアキレスが亀に永遠に追いつけないように到達不可能にした。それをあこがれと名付ける暇さえ二人に与えず見かけ上の永遠は歓喜として、傍若無人に実在を開始した。
 最小の分解能を無視し、一途に無限小を目指して止まらない時間に閉じ込められて二人は結局、触れ合えはしない。