OjohmbonX

創作のブログです。

エンパイア・オブ・ルンバ

 さっきからルンバがおばあちゃんのすねを攻撃してる。ガンガン当たってる。でもおばあちゃんは無言だ。立ったまま。
 障子紙を通して強い逆光が和室に差し込んで、戸の透き間から覗くぼくには、おばあちゃんの表情は陰に沈んで伺い知れない。
 ふいにおばあちゃんは足を上げた。ルンバは空振りした。そのままおばあちゃんは足を落とし、直下にいたルンバを踏み抜いて破壊した。
「あたしたちの頃はね」
とおばあちゃんは表情不明の陰のまま、部屋自体から出てるみたいな声で
「自分で雑巾掛けをしたものだ。あんたなんか、なんでもないよ」
と言った。
 次の日、お母さんが新しいルンバを買ってきた。アルミの外装がぴかぴかした特別なルンバで、またおばあちゃんは踏み潰そうとしたけど今度はびくともしなかった。おばあちゃんはいらいらしながら何度も何度もルンバを蹴るのに、ルンバはじっとしたまま何の変化もなかった。
「あんた。あたしを、馬鹿にしてるでしょう。機械の癖に!」
 おばあちゃんは蹴るのをやめてうろうろと何か叩く物を探し始めた。おばあちゃんの背後でルンバが急に音もなく動いておばあちゃんのアキレス腱に体当たりした。
「ああっ」
 おばあちゃんは前のめりに倒れ込んだ。
「痛いじゃないの!」
 おばあちゃんはルンバを睨むけどルンバはまたしんと動かない。無表情でじっとおばあちゃんを見てるみたいだった。
「ああ、痛い痛い」
 どこかわざとらしくおばあちゃんは年寄りをいたわれと非難でもするように足をさすっているけど、ルンバは静かにたたずむばかりだった。
 でも突然ルンバはびゃっと液を出した。おばあちゃんに液がかかった。
「熱い!」
 今度は本気の悲鳴らしくて実際、液のかかった足のところがじゅうじゅう焼けるみたいに熔けていってる。ルンバは間欠的にびゃっびゃっと液をおばあちゃんにかけていく。猿のようなおばあちゃんの絶叫が続く。
 ぼくは、こわくてしかたなくて、おばあちゃんを助けなくちゃとおもって、頭ではかんぜんに思ってたのに、実際は戸からゆっくりからだを離していって、すきまからじゅうぶん離れて、おばあちゃんの姿がかくれて、相変わらずぎゃああ、ぎゃあいう叫び声が聞こえて、頭が張り裂けそうにこわかったけど、とにかく姿を見ずにすんで、一つハードルをこえて安心した瞬間、かたを突然抱かれてもとの位置に引き戻された。おばあちゃんはかなり熔けている。
「これくらいで死ぬのなら、その程度のおばあちゃんだったってことなの」
とぼくにというより、どこかに言ったのはお母さんだった。
 間近に迫ったお母さんの横顔は、ものすごい生気にみちて、ほとんど湯気が立つほどだった。
 ぼくの二の腕をつかんでるお母さんの手が熱くて、しかも強くつかまれて痛かった。その手がかすかに震えてた。
 おばあちゃんの皺が溶けていく。顔自体が溶けてつるつるのお面になった。
「見てて。おばあちゃんはどうかしら」
 お母さんの熱い息が耳にかかる。肝心のおばあちゃんはもう、死んでいた。
 お母さんはでもしばらくあきらめてなかったみたいだけど、おばあちゃんがほとんど熔けて、肌色の肉のかたまりが畳の上に水たまりをつくって転がっていて、ルンバはまたしんと静かになっているのを見ると、ぼくの二の腕をつかんでた手の力がゆるんで、急にすごく疲れたみたいに、とてもおっくうそうにエプロンのポケットから45口径のオートマチックの拳銃を取り出して、ルンバを撃ち抜いた。硬いフローリングの床に薬莢が跳ねる音が鋭く一つだけ響いた。
 がっがっとどこかが噛んで動けないらしい音をルンバが立て、お母さんは立て続けに三発打ち込んだ。キンキンキンと薬莢の乾いた金属音が響き、完全に静かになったルンバを見届けてお母さんが前方に力無く放り捨てた拳銃がどしゃと崩れるような音をたてて畳に落ちた。
 お母さんは疲れ果てて死人みたいに廊下を帰っていった。


 おばあちゃんがルンバを殺すたび意地になって買い直していたお母さんだったのに、それからは一言も触れずルンバなどまるではじめっから知らないという風だった。でもルンバの方は射殺されたことを忘れてなかったらしくて、冬の突き抜けるくらい晴れて寒い日に、買い物帰りのお母さんを集団で襲って殺した。
 お母さんを取り囲むルンバを取り囲んだみんなは助けもせずにもちろん、ツイートするために、それかいいね!をもらうために、一生懸命スマホで写真を撮ってたって教えてくれた友達は興奮しながらぼくに携帯を見せてこのムービーをYoutubeにアップしたら世界中からものすごい数のビューが集まったと言った。
 お母さんの周りを取り囲んで動きを封じたところで、一台のルンバが前に出る。短く鈍い、刺のような刃が側面にびっしり並んだルンバだった。そいつが高速で回転し始め、ゆっくりお母さんに寄っていく。お母さんはゆっくり後ずさる。けれど壁になっていたルンバがお母さんをつき出す。お母さんは前のめりによろけ、転ばないようとっさに前に出した足が、回転するルンバの刃に巻き込まれて削られる。骨まで削る音がして、肉片が四散し、足をなくして倒れ、痙攣しているお母さんの顔のあたりに移動したルンバは、お母さんの顔を破砕していった。
「ずいぶんいいね!もついたろうね」
「もちろん! はてブも1000を超えたよ」


 父は怒るルンバの御霊をしずめるべく経をあげた。
exclude stdio.h
exclude roomba.h
 木魚のリズムに合わせてヘッダファイルのくびきからルンバを解き放つ。次第に木魚の音が強く激しくなる。続いてあらゆる関数から強引にルンバを解放して行く。
return 0; return 0; return 0;
 関数とはすなわち人間の欲望の具象である。関数即欲是という。このルンバの魂を身勝手に縛り付ける人間共の鎖を解き放つ。右手の木魚とは別のリズムで左手では三連符でカネが激しく打ち鳴らされる。何百本という蝋燭の熱。父のあごの先からぽたりぽたりと汗の滴が落ちる。読経は一つの終わりへ向かう。
)))))))))))))))))
 Cかと思われたがいつの間にかLISPであった。ちぃん、ちぃーんとカネが尾を引く。精神から魂が解放された。
 だがまだ完全な解放ではない。
アールミー アールミー アルマイト
 今度は肉体からの解放が続けられてゆく。あらゆる材料、機械要素からルンバの魂は自由になる。
「さあ、ルンバは成仏した。憎悪の連鎖は断ち切られた」
 疲労困憊の父はかろうじてそれだけを言うと畳の上へ倒れ臥した。
「それより母さんと祖母ちゃんを成仏させろよ」
「彼女たちは自動的に成仏するからOKだ」
「欺瞞。父さんはどうでもいいんだ、母さんのこともお祖母ちゃんのことも」
 父の一瞬傷ついたような顔は俺の溜飲をほんの一瞬だけ下げ、直後に堪らないほどの後味の悪さを水面に広がる油みたいに残していった。けれど父の表情はすぐに下卑たにたにた笑いを浮かべてその口は
「そんなこと、いうなよぉ」
と卑屈に発音して、体を芋虫のようにうごめかせて床を這い、こちらへ近づいてきた。そして俺の足にぐにゃぐにゃまとわりついてくる。
「おこるなよなぁ」
 生理的な嫌悪が全身に渡って総毛立ち、思わず父を引きはがそうと素足で父の頬を押したが、父はなおまとわりついて
「えへへへへ」
と気持ち悪い笑いを浮かべるばかりだった。
 父はルンバの葬儀を請け負い始めた。遺族、というより客の前では毅然と振る舞い経を読み上げるが、客が帰るとそのたびに
「よしひこくぅん、よしひこくぅん」
とくねくね足にまとわりついてくる。一向に慣れず嫌悪しか呼び覚まさない。あるとき爪先あたりに父が股間を押し付けていると気づいてぞっとし足先でそれを蹴ったら、ふぁーっと叫んで父は嬉しそうに足の周りをぐるぐる回り始めた。ますます気味が悪く、それからは一切の心を捨てて父のするがままにしておいた。
「そうして心を捨てることこそが、解脱なのだ」
と父はまるで俺のためにそうしているのだと言わんばかりの顔をしたので殺そうと思ったけれどその矢先にイオンが葬儀ビジネスに参入、父は干上がり自ら首をくくった。


 彼女がずっと無言で踊っている。腰を落とし、尻を突き出し、横歩きを右に左に繰り返す。ところどころ肩を内側に入れ、肘を肩の高さに上げて手をひるがえす。あまりに肉感的な尻が揺れる。楽器も歌もなく、布が擦れる音と床を踏む音だけが持続する。それはルンバだった。
 彼女が延々ルンバを踊っていると気づいた瞬間、この女があいつらを呼んでいるのかと思った。
「違うわよ。あたしがルンバそのものよ」
 そういう女の声がして女の顔を思わずまじまじと見てると
「なに見てるのよ」
と苛立った声が返って幻聴だったらしく安心したので結婚した。
 女はルンバのリズムで巨大な尻を振り、私は習わぬままいつの間にか聞き覚えた父のインチキ経をあげた。
double joe-butsu;
joe-butsu = 0.0;
joe-butsu = roomba(joe-butsu);
「あたし、成仏しちゃう〜」
 子供が生まれた。
 すみやかに成長してゆく息子を眺めて、ひどく悲しい気分になった。早晩私は勝手に死ぬだろう。この子の母親も殺される。滑稽に、男どもは存在に怯えて心で死に、女どもは力に屈して体で死ぬ。
 無意識にそれから抗うように妻はみちみち太っていった。仕事を早退して訪れた授業参観で、私の後から遅れてきた妻はルンバに乗って教室に入ってきた。2台のルンバに片足ずつ乗せて到着した。
「もういいわ」
 そのまま片足で用済みのルンバたちを踏み潰した。保護者たちは目を逸らしたり伏せたり見なかったことにした。振り返って眺めていた子供たちから息を吸うような悲鳴が漏れた。息子は黙って怯えた目で母親を見つめていた。
「っぁーんだァッ、その目はッ!」
と母親が凄むと息子はさっと前に向き直った。
 とても哀れな気がした。この女は恐らく、私の一族がルンバに死ぬと知らない。知らないながら何かを感じ取って息子をこうして鍛えている。ルンバに怯えぬように、心を折られぬように、そして自身も打ち勝つように肉体を充実させてゆく。しかし無駄なのだ。どれだけ抗おうとも、その抗いの全てさえもが寄ってたかって私達に死を準備する。
 小学校から三人で帰る途中、私達はルンバに囲まれた。ついにきた。私は息子を腕に抱き、下がった。ルンバの囲いの中に妻だけが取り残された。
「なんなのよ、こいつら」
「ルンバだよ」
「こいつらが……ルンバ……?」
 びっくりした。妻はルンバを知らなかった。知らぬまま授業参観へ乗ってきたのか。
「なまいき。ルンバはあたしよ」
 妻が右足で地面をドンッ。ルンバがボンッ。
「あたしがルンバよ〜」
 妻が地団太を踏む。地面が揺れる。ルンバが次々と爆発する。薄く鋭い刃を周囲につけたルンバが回転しながら妻に向かってどこからともなく飛んできた。妻が無造作に手をそちらに伸ばして指をぱちんと鳴らすと空中でルンバは爆発した。妻が走り出す。妻が駆け抜けると地面のルンバたち、空中のルンバたちがはじけ飛ぶ。爆風と共に妻は走り去っていった。
 私と息子が家で店屋物の夕食をとっているところへ妻がスーパーの買い物袋を提げて帰ってきた。
「あのなまいきなロボ、全部壊してやったわ」
 あのとき聞いた声は幻聴ではなかった。妻は自身をルンバと称することで一族の呪いを無効化したのだ。なんという女。で、その夜抱いた。
 丸太抱いてるみてえ。
 腕を妻の背中に回してみるが両手の指先が届かない。妻の下で腰を振るのも忘れて精一杯腕を伸ばしたらかろうじて届いた。
「うっふふふ。なにするの、苦しいじゃない」
 一気に妻が膨らんで私の腕バンドははじき飛ばされた。
「ドラァッ、ドラァッ」
 ルンバそのもののリズムで妻が尻を打ちつけ、私は果てたが肉に阻まれ受精に至らず子はなさなかった。
 妻はその後も留まるところを知らず巨大化していった。ついに重力に耐えられず妻は膝から崩れていった。
「あたしの体が、あたしを殺すぅ〜」
 妻の全身がぐちゃぐちゃに崩壊した。


 なんか妻が死んでから、会社いったり、息子の食事を用意したり、会社いったり、しなきゃいけないから毎日するけど、よく考えたら、しなきゃいけないってこともないんだよねと気づいたら、すごく気分が楽になって、ほんとにやめたし、死んだくらいでそんなに自分がかわるほど、ルンバの妻のこと愛してたのかなって自分でも意外だったけど、そうなると、何かをしなくちゃいけないってことが全部ないって分かるのも時間の問題で、生きてるってこともしなきゃいけないことでもないので、鴨居に縄をかけて踏み台にのぼったところで、蛍光灯もついてない和室、外の光が薄暗くはいるだけのむこうで、ちょうど縄をくびにかけてるおれを、息子がぼんやり見てるのに気づいて、
 うん。
 がんばって生きてね。
って思って踏み台を蹴った。