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創作のブログです。

ブラックハンターよしえがいくわよ〜

 あたしブラックハンターよしえ。45歳。世の中にはびこるブラック企業に潜入して闇をあばく。政府の密命を受けて、長かった自宅待機からついに解き放たれる。今度の獲物は全国チェーンの居酒屋、八兵衛。ブラックのにおいがプンプンするわ。待ってなさいよ〜。よしえが行くわよ〜。


 面接おちた。年下のガキみたいな男が店長で、あたしホールでもキッチンでも何でもするっていったのに馬鹿にした顔して、うちは大学生とか若い子中心でやってますからだって。あたしだってハンターやってますからですけど!? 店長のくせしてほんと生意気。ブラックのにおいプンプンする。完全に黒ですね。
 でもかえって落ちてよかったかもしれない。近所の八兵衛だから、知った人がきたら困る。もしあたし「正体」バレたら終わりだもん。死ぬしかないもん。
 もっと遠くの八兵衛にしよう。待ってなさいよ〜。よしえが行くわよ〜。


 面接うかった。当然よ。とりあえず水曜から入って、水曜、木曜でしごと覚えて、金曜の夜にそなえましょうって。うちから3駅離れてて交通費いたいけど、ニッポンという国家存亡の危機があたしのミワクのバディにかかってるから関係ないし。
 こんどの店長はあたしより少し年下くらい。35歳だって。なのにもうだいぶ老けてる。白髪もおおいし目もくぼんでる。ブラックのにおいがプンプンするわ。待ってなさいよ〜。よしえが行くわよ〜。


 あたし今まで数々のパートやバイトしてきた。みんな大変。スーパーやおそうじは冬に水さわると手がひび割れるもん。コンビニは若い子たちが使えねえババアみたいなこと陰で言ってくる。でも。あたしが若かったころ診療所の受け付けとかやってたけど、そのときは先生の奥さんにバカにされてた。子供のころもお母さんとかがあたしのことバカだって言ってた。なあんだ。あたしずっとバカだって言われてたんだ。一生。
 なんだかんだで飲食業がいちばんたいへん。腹をすかせたワイルドなケモノたちがあたしらを怒ってくる。しかも居酒屋って酒に酔った男や女の肉林だからもっとあたしらを怒ってくる。それに午前3時にうち帰って、夕方の4時にでかける。からだおかしくなる。
 でもがんばらなきゃ。ついにはじめての金曜日。お客様たち、待ってなさいよ〜。よしえのお・も・て・な・し


 大学生っぽい。サークルって感じする。1年生や2年生の20歳より下まじってる恐れある。あたし店長に言った。でも店長は「うん」って言っただけだった。あたし店長にもう一度言った。でも店長は「ごめんね」って言っただけだった。あとでベテランの女の子に聞き込みかけた。店長は板挟みにあってるんだって。年齢確認がきびしい店だってことウワサ広まるとすぐ大学生こなくなるっていう。ここの八兵衛は大学に近いから売り上げに響く。ちょっとでも売り上げ落ちると本社からエリアマネージャーきてすごく怒ってきてしかも店長はずすぞって脅すんだって。
 店長もまたブラックの闇の被害者なんだ。
 あたしなんも言えなかったじゃん? ぜったい未成年だけどあの子たち飲んでる。コンプライアンスと店長の悲しみのはざまで揺れるあたしの心。
 おうちに帰って、もう午前3時、メイクおとして風呂はあとまわしにして、お布団の上に寝転がる。アパートの天井見て、あたしは決意した。あたし社員になる。店長がおかされてる闇まであたしも落ちてく。そうしなきゃほんとのブラックハンターじゃない。そのためには今の仕事を120万%でがんばる。待ってなさいよ〜。社員になるわよ〜。


 あたしは政府の特殊潜入捜査官だから、結婚とかは考えたことないわけ。でも愛した男は数えきれないくらいいた。だってマックとかに行くと、その顔ひとつで世界がぶっ壊れるほどのイケメンが、レジにいたりする。あたし、そんなイケメンを見る瞬間、頭が宇宙と同じ大きさまで一瞬でひろがって、何も考えられなくなる。それが恋に落ちるってこと。
 女の子はいつでも恋する生き物なんだょ?
 いつも何度でも、恋愛のアラシのなかを生きてるクリーチャーなんだょ?
 でも彼らを危険に巻き込むわけにはいかない。悲しませるわけにはいかない。だからあたし、遠くから見てるだけ。ひたすらマックに通って、そいつのシフトを把握して、他のバイトのシフトまで把握すればシフト調整まで見抜くことができる。そうやって、あたしの能力のすべてを投入しておはようからおやすみまであなたを見つめる、よしえが行くわよ〜。


「まわしていただいていいですか」
 あたしこの技おぼえた。テーブルの奥へ置かないといけないとき、これ言って手前のお客様に皿やグラスわたせば自動的に奥まで運ばれてくシステムだ。大事なのはこのとき(すいませぇーん)って顔するってこと。女子大生の仲間がやってるの見てあたしカンペキマスターした。
「まわしていただいていいですか」
「ん? うちら注文してないけど」
「それこっちのです」
 カウンターの奥のお客様の注文だった。すかさずあたし、
「まわしていただいていいですか」ってもう一度言った。ちゃんと(すいませぇーん)って顔もした。
「は? あんたが向こうに回ればいいでしょ」
 お客様が反抗的な態度とってあたし混乱した。
「え、え、でもでも、まわしていただいちゃってくださっても大丈夫ですけど?」
「なんで他のお客さんにまわさなきゃいけないんだよ。別に狭くもないんだからあんたが奥にいけばいいだけじゃない」
 あたしいつもの二倍(すいませぇーん)って顔したのに、お客様怒ってた。わけわからなくなってきた。そしたら店長が春風に乗ったみたいな感じで飛んできて、「申し訳ございません」ってあたしの五倍(すいませぇーん)の顔でゆってあたしから忍者みたいにすりとった料理を奥のお客様に出してあたしを厨房につれてってあたしに「大丈夫ですか?」って言った。怒られるならあたしまだ平気だけど、そのときの店長、本当に疲れたって顔して、あたしのこと一つも興味ないみたいな顔して、そう言ったから、あたし、苦しいよ。おうちでお布団にはいって思い出しててもつらい。なんで45歳になってあたしこんな風な気持ちにならないといけない?
 あたしそのときわかった。国民のみなさまもそんな気持ちなんだ。それでつらくて自殺しちゃう人もいる。
 あたしはじっくりかんがえる。たとえばあたしがこのアパートで自殺するってことためしに考える。電灯のとこにひもをつけて、わっかにして、そこで首をつる……。あたしは体重かるい方だからたぶん大丈夫……。ふつーに死ねる……。なるべくリアルに考える。もうどうしよもなく涙でてくる。こんな悲しいの? 自殺って。
 あたしはブラックハンターよしえ。頑張らなきゃ。国民のみなさまをあたしが救う。国民のみなさま〜。よしえが救うわよ〜。


 ゆんた君はいいこだょ? あたしがミスしたときは「よしえさん、気にしないでって」ゆってくれる。大学生の男の子のバイト。
 背は高くて、がっちりはしてないけど筋肉はあって腕とかかたそう。顔はイケメンって感じじゃない。鼻は低くてちょっと上向いてる。丸顔で、ちょっと猿っぽい感じかな。でもぜんぜんブサイクなわけじゃない。かわいい顔してる。
 ふぅ。よしえってば恋してるじゃない?


 あたしがテーブルにグラスおいて帰るとき、きこえちゃった。お客様がバカじゃないのあの店員ってあたしのこと。顔もキモいしって。仕事中はふん、なによ〜と思ってカッカッカ怒ってて大丈夫だったのにおうち帰ってメイク落として鏡見たとき、こうゆう顔してんだあたしって思って、なんであんなこと言われなきゃいけないのと思って急に胸つらくなってきて泣いた。
 興奮してよく眠れなくて、寝ても途中で起きたりしてつかれちゃう。さいきんずっとよく寝れてない。
 お昼になって、電気つけなくても明るいお部屋のなかで、お布団の上で天井じっと見てて、なんなんだろって感じして、なにもかもイヤッて思った。日本のこととかどうでもいい! あたしはしんどいのよ。なにもかも終わりにしたい、って思ったとき、あたしあっておもった。それが自殺ってことなんだ。
 またリアルに首つるとこ想像してみて、こんどは怖いって感じよりも、いつだってすぐ簡単にこういうつらいってゆう生活を終わらせられるってこと考えるとすごくほっとする感じ。
 落ち着いてきて、ゆんた君のこと思い出して、そうだよ、あたしはゆんた君のことが好き、今日はゆんた君がシフトに入ってたはずだし。お昼3時になったからお風呂はいってパーフェクトメイクして、さあ、パーフェクトよしえが行くわよ〜。


 あたしランチも担当することになった。たぶんあたしのがんばりが認められたからだ。出勤が朝の10時になって、かわりに夜は午前1時半であがっていいって。今までお店しめるとこまでやってたけど、どうするんですかって聞いたら店長が一人でやるって。そしたら店長もっと遅くなっちゃう。
 店長はでもやりがいのある仕事だよって言った。八兵衛はほかの飲食業界よりも研修が充実してるんだって。ビジネスマンとしての基礎を教えてもらえるらしい。会社が独自のテキストを作ってて、マネジメントスキルとかも身に付くんだって。バイトたちのやる気をもり立てて、一人一人の特徴をつかんで適材適所して、利益もあげてくようがんばる、大変だけどすっごく誇りもってるって。八兵衛はほんとはそんなにブラックじゃないのかもしれない。
 あたしも店長に負けないくらいもっと本気でがんばって、早く社員になって、そこんとこはっきりさせなきゃ。もっと八兵衛の中枢に食い込むあたし。中枢ッ! あたしッ! ヘァッ! 集中ッ! ヘァッ!


 ランチはしんどいな。ランチは時間帯集中していっぱい人がくるし回転がはやいから、レジもいっぱい打たないといけないし、料理もどんどん出さないといけないし、そのわりにスタッフの人数はすくないし、それに……ゆんた君もいないし……。
 恋する女の子は恋のパワーで生きてくょ? なのに今日は夜もゆんた君はシフト入ってなかった。もぅむり。帰ったらすぐ寝て起きてすぐ会社行く。テレビとかぜんぜん見れてない。レディス4とか。世界情勢からだんだんうとくなってく。さいきん仕事してて頭がよくはたらかなくなってることあってミス増えてる。しっかりしなきゃ社員になれない。店長はもっとがんばってるし。もっと自分追い込んで高めてく。よしえ高まるぞぉ〜。


 なんか急にひまな日とか時間とかあって、おしぼりを保温器にちょっとずつ入れてたら女子大生のまーなとみらいが話してるの聞いちゃった。
「うっわ、それって肉食系ってやつでしょ」
「ちがうし(笑」
 まーながゆんた君にお願いしてセックスしたって。「や、ゆんた君ってやさしいしあんな顔してどんなセックスするんだろって気になったから」って。別にふつーだけどなんかかわいかったよって。せまいアパートで電気つけたまま抱かれる。全身にうっすら汗をかいて、短く犬みたいに息してる。目をつぶって体を動かしてる。意外と筋肉のついた胸のあいだをたまった汗が流れる。背中に手をまわす。やっぱり、男の背中は思ったより広い。たくましい。すこし力をこめて引き寄せる。ゆんた君が、覆い被さる。
 そーなんだ。あたしは18年間セックスレス。でもよしえ、この恋はプライスレス。


 目が覚めたら夕方の4時、今日はお休み。ぐっすり寝て、すっきり目覚めとはいかなくて節々が痛くてたまらないけど、でも久しぶりにいっぱい寝られてうれしい。ホームセンターいってきた。ひも買ってきて電気のとこにむすんで、わっかをつくって、下にメイクするときに座る低いイスおいて、イスの上に立って、わっかに首を入れてみて、しばらくぼんやりして、首をわっかから抜いて、イスは片づけたけどひもはそのままにしておいた。
 あたしが自殺する気なんてないけど、こうやると日本の毎年すごい人数(百億人くらい?)自殺してる、そのひとりひとりの気持ちになって、あたし決意を新たにして、この悲しみの連鎖をあたしの手で引きちぎって、日本人を救わなきゃって思った。また明日からがんばる。よしえががんばれば、地球が元気になる。そしたらよしえも元気になる。元気スパイラル。byよしえ・アンド・ジ・アース。


 ゆんた君、バイトやめるってよ。ちょうどあたしが八兵衛に潜入して1年くらいになる。そのあいだにみんなやめたりして、入ってすぐやめた子もいたりして、ゆんた君もやめるって。集まれるメンバーで送別会やることになってあたしはもちろん行って、お酒飲んでるゆんた君はじめて見たけど、すぐ赤くなって、でも礼儀正しいとこはべつに変わってなくてほんとにいい子だな、好きだなってこと思った。あたし、あたし、気持ち伝えなきゃ。ゆんた君に。最後だもの!! そう思って近づいていったらゆんた君から話しかけてくれた。
「よしえさんって、ちょうどうちの母が同じくらいの歳なんですよね。なんかうちの母親もがんばってるのかなって思うと、すごいなって」
 あたし急に息できなくなって、喉だけでなんとか声だして、
「ゆんた君、ほんとうにありがとう」っていった。声をだしてようやく息もひとつして、
「おばさん、やさしくしてくれてうれしかったよ」と言った。ゆんた君はぴかぴか笑ってくれて、あたし、ほんとうにうれしいって気持ちになってきた。そうだよね。あたしおばさんだもん。20歳の子供がいたっておかしくない。おばさんなんだから。ふわぁ〜。46歳のよしえ〜。


 これは神様があたしに言っている。恋にうつつ抜かした女子から、一人の崇高な使命を帯びた女戦士に、自分を取り戻せ。そう、あたしはブラックハンター、よしえ。
 ちょうど1年だ。あたしは中間報告書を仕上げることにした。八兵衛がブラック企業か否か。それはまだ闇のベールに包まれている。このあたしが中枢に潜入せねばなるまい。正社員として。その糸口を現在つかみつつある。しかし現在までに私が見たところでは八兵衛のブラックパーセントは低いと思われる。正社員に対する研修は充実しており、社員の意識と意欲はきわめて高い。日々17時間もの激務に耐えうるビジネスパーソンを育成する八兵衛はすぐれた企業とあたし思う。しかしこれはまだ当該店舗の店長一人の観察によるものであり、やはり正社員に登用されてから直に経験して判断すべきである。かしこ。
 あたしは報告書みてうっとりする。あたしの字は自分でみてもほんとにきれいで、お母さんもむかし誉めてくれてたし、あたしは自分の字を見るのがすごく好き。ていねいに折って、封筒にいれて、引き出しにしまった。
 あらためてやる気でてきた。あたしはもうバイトの中でも3人目に長い。ほんと正社員、目の前ある。スパートかけてくわ。よしえはもう、誰にも止められない。


 えっ、とおもって時計見たら5時で、外がちょっと明るいから、またすぐ目が覚めちゃったと思ったけど体が変な感じして、混乱してたけどこれ、夕方の5時だって気づいてあたし怖くなってきた。ケータイ電話にいっぱい八兵衛から着信あって電話したら店長心配してくれて、あたし、あの、なんか風邪っぽくて、電話する元気だめで、すいません、ランチ出れなくて、でも夜は大丈夫なんで、って言ったけど店長はもうほかの子にシフト入ってもらったから今日はゆっくり休んでね、ってやさしくて、あたし恐縮。
 もう体だいぶ大丈夫なんで明日は出ますからすいませんって。
 電話きってからすっごく胸くるしくなってきて、店長やみんなに迷惑かけちゃったこと、ほんとにすまない。風邪だなんて、ウソまでついて。しかもあたしはブラックハンターでもあるわけだからこれはあたし日本にも迷惑かけてるってことになる。もうすごく責任感じる。ほんとに胸がくるしくなってくる。こうやって寝過ごすのはあたしの意識が低いからだ。こんなことじゃせっかく一歩一歩正社員に近づいてきたのに信用なくなったら遠くなる。
 でも……そっか、もう今日仕事いかなくてもいいんだ、って思ったとき、ほっとした気持ちになったのも事実……。あたしそのこと考えても罪悪感ある。
 ドンマイ! ドンマイよしえ!
 そう。気持ちきりかえて、とにかく今日はゆっくり休んで明日からまたがんばろう! こんなときのためにプリングルス買ってある。いつもはコイケヤだけど、自分へのごほうびだょ? プリングルス! 待ってなさいよ〜。よしえが食うわよ〜。


 えって思った。夕方の6時だった。なんで。昨日寝る前にプリングルスぜんぶ食べたから? あたし寝坊とかほとんどしないタイプなのにどうして二日続けて……。ほんとに怖くなってきた。ケータイ見た。いっぱい着信履歴あった。あたしほんとに怖くて電話するの無理って思ったけど、社会人だもんそんな甘え許されないと思って電話したら、店長が、すっごく怒ってた。あたし店長が注意したりするのを見たことあったけど本気で怒ってるとこ見たことなかったからびっくりした。電話の向こうで大声で怒鳴ってる。あんたクズだよ、グズだし仕事もできないくせしてシフトに穴開けて、こっちがどんだけ迷惑してるのかわかってんのか、ずっと怒鳴ってて、最初はいらいらしてるだけくらいの声だったのに、もうどんどん高まってものすごい声で怒ってて、あたし、すいませんしか言えなくて、だんだん怖くてしかたなくなって、気づいたら電話、きってた……
 きったすぐ後にいけないって思った。すぐかけ直さなきゃ。って思ったけど、手がブルブルーふるえてかけられなくて、時間が30秒、2分ってすぎてって、どんどん時間があたしを押し潰してきて、どんどんかけるの難しくなってきて、そしたら逆に店長からかかってきて、でもびっくりしてケータイを部屋のすみっこの方に投げた。
 部屋のすみっこでァヴェー、ァヴェーってケータイが鳴ってる。怖くてあたし耳ふさいだ。30分か2時間くらいたって、耳から手を離して静かになってるケータイの電源きって真剣にこれからやるべきことを考えようとしたけど、なんかうまく考えられなくて、ごはんも食べなきゃって思うけど食べる気持ちになれなくて眠れないけどお布団に入って電気消して夏なのにうさぎみたいにふるえてずっといろいろ考えてた。


 外に出て、もし八兵衛の人に会ったりしたらって思うと怖くて外出られないけどごはんとかは、買いにいかないといけないから目のところだけ穴をあけた黒いストッキングを頭に被って、日焼けに敏感な美肌意識たかい女の設定でコンビニでおべんとうすばやく買って帰るだけ。
 ちゃんと八兵衛に行って、店長に謝罪して、もう、たぶん、クビなのはしょうがないけど、ロッカーに置いてあるものとか取りに行きたいし途中までのお給料もほしいし、ランチ終わったあとのお昼の3時くらいなら忙しくないから、八兵衛に行くっていうことを決めて次の日、2時くらいからメイクとかはじめて準備してたんだけどなんか2時半になって、そろそろ出掛けないとと思いながら、でもぜんぜん出掛ける準備がはかどらなくて3時半とかになっちゃって、今日はもうだめだ、ってあきらめる、そういうのを繰り返して5日過ぎてしまった。もうどんどん八兵衛に行くのが難しくなる。あれからケータイも電源つけてない。
 責任ある社会人として、それ以前に人間としてこんなことじゃだめってあたし思う。でも無理だ。お金どんどん減ってくし。お母さんは5年前、お父さんももう12年前に死んじゃってる、お兄ちゃんの一家とはもう連絡もとってないし、連絡先もわかんなくなってる。友達とかいないから相談する相手もいなくて、外に出るのも難しいし、ごみもどんどん溜まってく。
 そういうこといろいろ考えて、イス用意して、その上に立った。わっかを首に通したとき、アパートの玄関に誰か立っててあたしびっくりして、しかもそいつあたしそっくりの人で
「誰なの!?」って聞いたら
「よしえ」だって。
「うそーっ。あたしもよしえって言います」
 さいしょ混乱したけどすぐにあたし全てを理解した。そう、「ブラックハンターよしえ」は政府が生み出したエージェント……あたし一人が死んでもいくらでも代わりのあたしがいる。
「あたしはiPS細胞で生み出された、あんた」
「なるほど。プロフェッサー・ヤマナカが関与していた、というわけね」
 そうゆうことちょっと想像したけど、もういいや。だれもいない。あたしだけ。わかってる。あたしなんか何ハンターでもない、ただのバイト。わかってる。毎日同じことして疲れておうち帰ってきてまた仕事いって、それだけでどんどんおばあちゃんになってく、おばあちゃんになって何もすることなくなってく、とか思うと怖くて、でもブラックハンターとか特殊捜査官とか考えてると大丈夫だったから、そうゆうこと考えてて、けっこう楽しかったけど、もういいよね。いろいろあったけど、それなりに楽しかったな人生。よかった、よかった。よしえがいくわよ〜、って。



 よしえは小さくジャンプして椅子から降りた。その一瞬、身体が無重力にさらされた瞬間、よしえの全身を懐かしさが満たした。小学生のころ体を動かすのが好きでよく少し高いところからジャンプしていたあの感覚をふいに思い出した。大人になってから、ジャンプなんて、すっかり忘れてたな、とよしえは思っておかしくて微笑した。よしえの意識はそこまでだった。