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創作のブログです。

Wiiのお墓

 ひょっとして、Wiiがこわれたら、WiiUを買ってもらえるかもしれない、そのアイデアをはっきり意識した瞬間に、こういちは身震いというものを生まれてはじめて感じた。ものすごく頭と顔があつくなって全身の筋肉が、いてもたってもいられないというように二三度ふるえたあと、力があまり入らなくなってぐったりした。
 でも、そんなことって、そんなことって、あっていいわけないよね。
 物を大切にしないといけないと、ずっと幼いころから刷り込まれてきた価値観がそのアイデアにまず抵抗した。小学二年生の頭のなかで、今まで大人たちに言われたり、怒られてダメだと悟ったりして覚えた価値観の数々が、まるで体系づけられていないまま、沸騰したお湯の水面みたいにつぎつぎに自己主張をはじめた。そうして両親ともがいない家のなかで、うろうろ歩き回ってひたすらあれこれ考えた結果が、とりあえず高岡くんの家にもう一度行ってみようというものだった。


「どうせスプラトゥーンやりたいだけでしょ」
「そういうわけじゃないけど」
 こういちはもともと高岡くんと特別仲がいいわけではなかった。嫌っていたわけでもなかったけれど、ちょうど今のような、人の弱味をぴったりついてくるような物言いがつらくて無意識に距離を置いていた。
「じゃあ今日くる?」
 高岡くんはそれで別に拒絶するわけでもなく、こういちが遊びにくるのは構わないらしかった。
 先週の金曜の昼休みに、納見くんが高岡くんの家に遊びにいくという相談をしていた。それを谷中くんが耳にしてぼくも行っていい? と行くことになって、すぐそば、教室のいちばん後ろのじぶんの席でそんなやり取りを聞いていたこういちは、ちょっといいなあと思った。だけどこうした場面で自分から言い出すのが恥ずかしくてだまっていたけれど、わりと仲の良かった谷中くんが、こういちくんも行こうよと誘ってくれたのだった。
「ほんとはうち来たかったのに恥ずかしいから言えなかったんでしょ」と高岡くんは言って、こういちはカッとなって
「別にちがうし!」と大声を出してけんかになりかけたけれど、当の高岡くんがあっさり
「ふーん? でもこういちくんもうち遊びに来てよ。その方がおもしろいし」と事も無げに言ったのでこういちは呆気にとられて
「うん」と返事をしていた。


「あっ汁がなくなった」
「インクだってば」
「汁が」
「汁ってなに」とこういちと高岡くんは二人で汁、汁と言い合ってけらけら笑い出す。
「あーもう汁でないじゃん」
「だからそこの青いとこにもぐって補充するんだって」
「やばいやばい」
「もぐるんだってばあ!」
「あっ、あーっ! 死んだ」
 それでまたけらけら笑いあっていた。ときどきけんかになりかけたりもしたけれど、尾を引くようなこともなく、マリオカートも遊んで夕方になった。こういちはベランダの向こうの夕焼け空を見ながら
「マンションっていいよね」と言った。
「えー。家のなかに階段があるほうがぜったいいいし」と高岡くんが言うので、こういちはそう言われるとそうかもしれないと思った。落ちると死ぬからベランダには子供だけで出たらダメだからと高岡くんが言った。帰り道に、WiiUはやっぱりすごく面白かったし、どうしてもほしいと、こういちはあらためて思った。


「だからサンタさんにお願いしようって言ったじゃない」とお母さんは言った。こういちはもう一度お母さんにWiiUのすばらしさを、控えめに、そして精一杯説得的に語ったのだったが無駄骨に終わった。お母さんはつい数日前におたがい納得したはずの結論を、急にむし返されて困惑しているようだった。お父さんに相談しても同じだった。
 やはり、とこういちは確信した。やはりWiiがあるからだ。Wiiがあるからがまんしなさいといわれるから、Wiiがなくなればいいんだ。
 これはぜったいにバレたらダメだから、夜にやらないといけないと思って興奮したままベッドに入って、目だけを閉じて機会をうかがっていたけれど、お母さんといっしょに寝ているのに、バレないように抜け出すなんてすごく難しいと気づいて、それでもお母さんの寝息をたしかめて、体をちょっとずつ動かして、なんとか方法がないか、二時間くらいそうやって格闘しつづけていたと思っていたけれど、実際には三十分弱くらいで、絶望したままもうぜんぜん眠れないと思っていたのがいつのまにか眠っていて朝になった。土曜日でお母さんに起こされることなく、眠りからいつのまにか目が覚めて、ちょっとのあいだ自分でも起きていることに気づかないほどだった。お母さんはもうベッドにいなかった。起き出してみるとお父さんもいなかった。家にはこういち一人きりだった。一階におりてリビングにはいるとテーブルの上にお母さんがつくったサンドイッチが置いてあった。もぐもぐ口を動かしたあと、Wiiでちょっと遊んだら、もう十時だった。なんとなく飽きて、電源を切って、ソファの上に寝そべってぼんやりしていた。


 テレビの声も、お父さんやお母さんの声もしないのが、すこし不安な気持ちにさせた。外は天気がよくて部屋のなかは明るかった。こういちは急にソファから跳ね起きて、でもあとはゆっくり、はだしでフローリングをぺたぺたと歩いて、玄関の靴ばこのいちばん下、お父さんの工具箱から小学二年生の手にはすこし余る大きさの金づちを手に取った。
 こういちはもうめちゃくちゃにWiiを金づちで叩いた。一発目のまえだけ、生まれてはじめて見た海に圧倒されでもした子みたいな顔をして、ふりかぶったままうろたえていたけれど、二発目からは、なにかを打ち消すように、なかったことにするように一心不乱に叩いてもう、何発叩いたかもわからなくなった。心臓があんまりにもつよく動いて、こういちは自分でもしらないうちに、あっあっと上ずった声であえいでいた。気づかないうちに金づちを手から離して、すがりつくようにテーブルの脚を抱きかかえて座っていた。体を動かしたせいで早くなっていたとおもっていた鼓動が、動くのをやめたあともいつまでも静まらずにいた。


 五分後にゆっくり立ち上がったこういちは、そこからリモコンで動かされているみたいにてきぱきと、金づちを工具箱にもどし、庭に面したサッシを開けはなった。レースのカーテンが空気をはらんでふくらむのを、両うでを大きく広げておさえこんで、脇へおしやった。Wiiはあんなに叩いたのに形をそのままとどめていた。けれどあちこちプラスチックが割れて、ディスクはもう入らなさそうだった。こういちはなめらかな足取りで二階へ上がってベッドにもぐりこんだ。シーツはひんやりしていた。そのまま丸まって目をつむった。写真くらいはっきり、あのこわれたWiiのすがたをまぶたの裏にうかべて、なにも考えずにじっとそれを見つめて、七月の暑さに二時間しずかに耐えた。お母さんが帰ってきた音を聞いた。


「どろぼうがやった……」と小声でつぶやいた子供の声に、軽い疑いから、えっ、とお母さんは声を上げた。こういちは幽霊のように生気のない顔でぼんやり立っていた。お母さんはそれからすぐに気をとりなおして、
「そうなんだ」と言った。「悪いどろぼうさんだね」
 お母さんの同意を見て、せきを切ったようにこういちは、どろぼうがいかにWiiを破壊したかをせっせと語った。顔は紅潮していた。お母さんはうんうんと熱心に話を聞いた。十分ほども話が行きつ戻りつしながら語ったあと、こういちはもどかしそうに本題に入った。
Wiiがこわれてるから、WiiUを買ったほうがいいと思うけど……」
 お母さんは
「そうなんだ」と言っただけだった。
 こういちはもう一度、
WiiUをね、買わないといけないと思うんだよね」と繰り返した。
「そうね。サンタさんにお願いしないといけないね」
「えっ。サンタさんって夏にもくるの?」
 こういちはびっくりした。混乱していた。Wiiは今、この日にこわれてるんだから、今すぐ、WiiUは買ってもらわないといけない。だけどお母さんはサンタさんにお願いしろという。っていうことは、サンタさんが今すぐ来てくれるっていうことなの? そんな論理から発せられた質問は、しかし、お母さんにあっけなく否定されたのだった。
「サンタさんはクリスマスにしか来ないから、それまで待たないといけないね」
 クリスマスなんて!
 今は7月じゃんか!
 そんなの待てるわけがない!
 こういちは、親が今WiiUを買ってくれないのはへんだ、という話をめちゃくちゃに言い立てた。お母さんはうんうんとうなずきながらその話をひととおり聞いて、それから説明した。
「でもお母さんもお父さんもWiiUは欲しくなくて、WiiUが欲しいのはこういちなんだから、お母さんやお父さんがWiiUを買うのは変で、それはこういちがサンタさんにお願いするか、来年の五月の誕生日まで待つかしないとダメだよ」
 お母さんの説明をきいたら、こういちはその通りだと思った。その通りだと思ったけれど、なんでこんなことになっちゃったのかがわからなかった。もうどうしようもなくなって、どこにぶつけたらいいのかわからないけど、悔しい気持ちだけが際限なく湧いてくるから、ぐーっと歯を食いしばったまま声をこらえて泣き始めた。
Wiiは、どろぼうさんに叩かれて、すごく痛かっただろうね。かわいそうだね」
とお母さんがおだやかに言ったとたん、こういちはわんわん泣き始めた。お母さんが抱きよせようとするのを振り払って、リビングのすみに行って、壁を向いて、かってに泣いていた。


 Wiiはすごく痛かったんだろうなと思ったら、とんでもないことをしてしまったと思った。罪悪感にうちのめされて、今までもずっと心臓はどきどきしたままだったけど、くわえて胸までくるしくなった。それでもお母さんがつくったオムライスを無理やり口のなかに入れて食べきった。お昼ごはんを食べ終わっても、床に足がつかないいすに座ってうつむいていた。
 ずいぶん経ってから、つらそうにうつむいてぺたぺた歩いて台所の下の収納をあけて、大きなごみ袋を取りだした子供を見て、お母さんは声をかけようとしてなんとなくかけそびれた。
 こういちはWiiを、こまかい破片もていねいに拾いあつめて全部、ごみ袋のなかに入れた。サンダルをはいて庭におりて、ちょうどぴったり手に合う、小さなスコップで穴をほりはじめた。日がもう、すこし傾きはじめていた。いつのまにかお父さんが帰っていて、なにも言わずに穴をほるのを手伝ってくれた。


 Wiiのふくろを穴にいれて、上から土をかぶせて、「Wiiのおはか」と書いたダンボールの板をたてた。すっかり夕方になっていた。お父さんがおはかに手を合わせて目をつむったので、こういちもそうした。お母さんも後ろでそうしてた。
 目をつむりながら、こういちは、一ヶ月くらいがたったような気がしていた。実際にはたかだか四十八時間のできごとだった。