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OjohmbonX

創作のブログです。

伊佐坂家、真のトイレ

「お手洗いを、お借りしたいのだけれど」
 ほとんど消えそうに小さな声で、声に見合って身体も小さくしながら申し出たフネを、カルはかすかに笑ったようだった。受容か嘲りかは定かではない微かな笑いはさっと引いてカルはフネをトイレまで案内した。
 フネは伊佐坂の家を知っていたので、何も先導してくれる必要はないのにとますます身を小さくした。
「ここが、おフネちゃんの望むトイレよ」
 トイレのことを紹介したカルはそのままドアの前に立ったままだった。トイレに入る自分を見られることさえ恥ずかしいと思っているフネはカルの気のつかなさに少し腹を立てながらカルの脇を抜けようとした。けれどカルはフネの前に身体をずらして妨害した。もう一度別の側から抜けようとしたフネをカルは再び邪魔した。
「ちょっと、おカルちゃん……」
 フネが訪ね先でトイレに行きたいとは言えないタイプの女だということを、カルは長い付き合いで重々承知のはずである。それを申し出たのだ。それほどフネの膀胱は尿で張り裂けそうなのだ。
 しばらく無言で和服姿の初老の女二人が、布の擦れる音と粗い息遣いだけをさせて揉み合っていた。
「おカルちゃん!」
 耐え切れずにフネが小さく叫んだ直後、カルはフネを突き飛ばした。
 ほんの少しフネは漏らした。尻餅をついたフネを、カルは酷薄な笑いで見ていた。子供の頃から知ったカルの、そういう顔を見たことのなかったフネは諦め、隣の自宅に戻って用を足そうと玄関へ向かったが、そこには伊佐坂先生がいた。
 先生はすみませんすみませんと本当に申し訳無さそうな顔をして、しかし絶対にフネを通そうとしないのだった。何かフネは気の毒に思って強くは出られなかった。そうして玄関を諦めた。
 たしかこの家には二階にもトイレがあったはずだと階段の一段目にフネが足をかけると、上からゆっくり、普段着であってもまるで華やかで滑らかな所作で美しい娘が降りてくるところだった。
「おばさま、だめよ」
 ウキエは風のように宣告した。フネはすぐにあきらめ、庭へ向かった。もはや猶予はなかった。足袋のままでも外へ出て家に戻らなければ。
 けれど庭にはハチが待っていた。
「わんわん」
 フネは頭が熱くなるのを感じた。犬の分際で私の邪魔をするなと無視して庭に降りようとした瞬間、ハチはフネの足に噛み付いた。
 燃えるような痛みだった。フネは少し漏らした。フネは噛み付かれたままの足を振って縁側にハチを叩きつけ、振りほどいて屋内に戻った。ハチはまだ吠え立てている。振り返ると目の前にウキエがいた。短く息を吸い込むような悲鳴をフネが上げる間に、ウキエはふわりと視界から消えた。消えたように見えたのは、キスを待ち望むほどの近さにいたウキエが急にしゃがみこんだからだった。そしてウキエは、フネの足に噛み付いた。
 フネはまた少し漏らした。そして机にウキエを叩きつけて振りほどいた。
 それで、甚六はどこにいる? あのいつまで経っても入学しない浪人生、伊佐坂家最後の一人。
 ちゃんといた。フネの股の下にいた。仰向けに床に寝て、顔をちょうどフネの股の下に位置せしめ、口をだらしなく開けていた。甚六。
「フネが水漏れしたら、沈没ね」
 ドアにもたれ掛かってカルが言う。笑っている。その肩の向こうで先生が申し訳無さそうに視線を逸らせてうつむいている。しかし、かすかに笑っている。
「どうぞおばさま、お好きなだけ沈没してね」
 ウキエも笑っている。庭のハチも笑っている。甚六は待っている。フネの決壊を待っている。口を開けて、馬鹿みたいに。
 フネは絶望した。この家族は、このド変態ニートの欲望のために、寄ってたかって私を嵌めたのだ。ああ、漏れる。漏れるわ、ああ、おしょんしょん、もっちゃう、もっちゃう……