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OjohmbonX

創作のブログです。

お持ち帰り/お持ち帰られ

 合コンでさかなクンみたいな彼女をお持ち帰りしてラッキーと思ってよく見たら、さかなクンだった。なんかハコフグの帽子をかぶってたからおかしいなとは思っていたんだ。そしたらこれだよ。
 ずっと「ギョギョー」「キャー」と絶叫するばかりで、何にもしゃべらない。テレビで見るさかなクンはもっと意味のあることを話していた気がするのに、今は本当に「ギョギョー」しか言わない。つまらない奴だ。
 ネットではやたらさかなを持ち上げる傾向にある。やれ天才だの、天皇に名指しされただの、親が囲碁棋士だの、中学生でカブトガニの孵化に成功しただの、さんを付けろだの、海外にまで名が知られているだの、上部のハコフグに寄生されてるだの。馬鹿馬鹿しい。ただの帽子だ。ただの人間だ。つまらない奴だよ。実際に目の前にすればそんなもんさ。
 早く駅まで送り届けておさらばしたいと思ってるのに、さかなはふらふらして叫んでばかりいるので追うので精一杯だ。別に勝手に自分だけ帰ってしまえばいいのかもしれないが、何となく流されてできずにいる。
「宮澤さん、宮澤さん、ちょっと、早くしないと終電なくなっちゃいますよ」
「ギョギョー」
 そしてあさっての方に行ってしまうのだ。ああ、みんなが見ている。恥ずかしい。
「ギョギョ、ギョ、ギョギョー、キャアーッ、アピャアアーッ!」
 さかなの狂乱は激しさを増し、叫びだけでなく動きも激しくなっていく。どこへ行くんだ。駅を通り抜けて、裏へ出てしまった。もはや恥ずかしさも吹き飛んだ。何とかしなきゃ、何とかしなきゃ。
 焦っていると突然、さかなクンが道の真ん中で停止した。そして白目を剥いて、「ガチョーンガチョーン」とか言い始めた。ギョギョーがエスカレートすると谷啓になるんだ。
ガチョーンガチョーンガチョーンガチョーン
 必死でさかなクンの肩を揺すぶって、元に戻そうとするのに谷啓のままだ。
「宮澤さんしっかりして下さい、谷啓はもう死にました! あなたはさかなクンです」
ガチョーンガチョーンガチョーンガチョーン
 ふいに時計が目に入る。もう終電は過ぎていた。無力感が全身を一瞬で覆って、肩を揺すぶる手を止めると同時に、さかなクンの動きも止まった。ぼんやりと何かを見上げている。自分も見上げると、ここは、ホテル街だった。ホテルの看板を見つめたのだった。
「あ」
さかなクンが擦れた声をかすかに上げて、俺は、突然彼のことを全身で分かったような気がした。合コン、お持ち帰り。この極度の緊張を強いられて、彼は得意の魚知識さえ封じられるほどの混乱に陥ったのだ。それでも、それでも、俺の気持ちに応えようとして、こんなところまで来てくれたのだ。
 俺は、目の前のさかながいとおしくてたまらなくなった。
 さかなクンの手を乱暴に取って、店構えさえ見ずに手近なラヴ・ホテルへ駆け込んだ。空いている部屋のボタンを押して奥へ進もうとしたら、ロビーで俺達を止める声がした。カウンターの向こうで顔も見せないババアが、監視カメラで俺達を見咎めたのだ。
「男性同士はお断りしております」
「おかしいだろう。差別じゃないか」
「規則ですので」
 ババアは半笑いの声で、規則だから、を繰り返す。だから俺は怒りを抑えて言ってやる。
「さかな様だぜ」
「え?」
 顔も見えないのにババアの狼狽がありありと伝わって小気味よかった。
「あの、え? 規則ですんで、男性同士は」
「俺は確かにただの男性だが、この人はさかな様だぜ? お前は黙ってポリデントでも塗ってろよババア」
 俺達はババアを無視して部屋へと進んだ。部屋に入るなり、たまらなくなってさかなクンと風呂に入った。服は脱ぐのに帽子は取らないなんて! ああ、やばすぎる!
 自分より少し背が高い。細身なのに意外とたくましい。骨に必要なだけの筋肉が薄くついている。手も骨張ってがっしりしているのに指はあくまでも細い。この骨張った手が、この指が。浴室の大きな鏡に目をやると、立ち上がって向き合う二人が見えた。俺は、あまり気にもしていなかったのに、こうして並べて見ると少し柔らかく肉がついている。太ってはいないものの、筋肉は柔らかく、浅黒いさかなクンの肌に比べれば白い。あの骨張った手が、あの指が、この柔らかい肉を、荒く掴むのだそして、滑らかではない手で撫でられるのだ、と、想像が渡ればほとんど膝が崩れかけるけれど強いて気を保ち、手に乗せた泡でさかなクンを洗い終えて先に上がらせ、自分の身体は自分で洗った。
 浴室を出るとさかなクンは少し小さいバスローブを羽織って大きなベッドの端に背筋を伸ばして腰掛けていた。信じられないことだと思った。不可侵の聖なるものがほんのすぐ傍に手に入りそうにある。足が震える。膝が笑う。まともに歩けずぎくしゃくしながらそれでもさかなクンに近づいてその肩に手を置く。少し顔を寄せて俺は、絶望的な哀しさに襲われた。別にさかなクンが表情を変えた訳でもないのに、拒絶された訳でもないのに、全的に間違っているという確信に襲われた。確かにキスをしようとしたのに、それは間違っていると、じわりと自覚した。それでもなお、もっと触れたいという欲望だけが残り、心臓を締め付けられるような苦しさが責め上げてくるやる瀬なさに涙が出そうになって、ふいに何かに誘われるように視線を上げると、ハコフグの帽子と目が合った。
 一瞬で全てが許された。掛け値なしの幸福が暴力的に全身を満たした。ハコフグは唇をすぼめていた。俺のキスを許諾するみたいだった。俺はハコフグに少しずつ唇を近づける。欠け目なく存在する希望を待ち望むことこそ幸福なのだと思った。この想像される無限遠に漸近する運動のただ中にあることこそ無上の快楽なのだ。ゆっくり、この幸福を引き伸ばすように、できるだけゆっくり、唇を近づけそして、俺は、ハコフグと、キスをした。


 懐かしい音に呼び起こされて、少しずつ意識を取り返して、ああ、俺は寝ていたのかと気づいたがそこは見知ったところではなく、圧縮されて重い空気に取り囲まれて、かすかなざわつきもなくまるで耳が静かな中にあって、分厚い膜を隔てて遠くから聞こえるのが、もうずっと懐かしく思える、ギョギョーというさかなクンの声だった。
 さかなクン
 そう、ホテルにいたのに、どうしたんだ、目を見開いて、よくよく見ようとしても景色が歪む。その歪みの向こうに、巨大なさかなクンの顔が映っている。
「あ、急に動きが激しくなりましたね」
 さかなクンだけでなく、テレビで見たことのある若い女と、それから、テレビカメラもぼやけた向こう側に見えた。
さかなクン、これは何ていう魚なんですか」
「クメウオ、というお魚さんなんですねえ。とおーっても珍しいお魚さんなんですよーぅ」
 ああ、そういえば、久米、ちょうど俺の名前だな、と気づいたものの、もう何もかもがどうでもよくなってきた。考えることがしんどくなってきた。ふわふわしてる。もう考えるのはよそう。なんか、らくだなあ。きもちいいなあ。
「どこで捕れる魚なんですか」
「ギョギョーッ! それはヒミツです」