OjohmbonX

創作のブログです。

犬奇譚

 犬ごっこについて語ろう。
 まず全ての生徒、他の教職員が下校したことを確認する。そして校長室へ入る。この時点で通常、校長はわくわく感まる出しだ。俺が扉にカギをかけると、待ちきれないとばかりに校長はシワも気にせず衣服をそこらに脱ぎ捨てる。リードつきの首輪としっぽを慣れた手つきで自主的に取り付ける。しっぽは根元にプラグがついていて、これを肛門にねじ込む仕組みだ。そして俺が校長のリードを手にし、部屋の中を軽く5、60周する。それでもまだまだ校長は元気いっぱいだから、ボールを投げてやる。それを咥えて戻ってきたところを「オゥイヤァ、グッボーイ、グッボーイ」と言って思い切り撫でてやる。校長はハフハフわんわん言ってる。頭を撫でた俺の手は、校長の細い髪や頭の油が付着してぬたぬたしている。でもティッシュで拭いたりすると、校長は急に59歳の人間の顔に戻ってあきらめの目で薄く笑って肩を落とすから、傷つけないように我慢することが大切なポイントだ。グッボーイ&ハフハフわんわんを2千回ほど繰り返すと校長は疲れて眠る。俺はそっと帰る。
 これが俺と校長による犬ごっこだ。しかし続けているとマンネリは避けられない。そこで日替りで犬と飼主を勤めることにした。プラグがあまり太くはないから気を抜くとしっぽが落ちる。長時間尻に力を込め続けて走り回ったりするせいか、体が徐々にしまってきた。新しいダイエット法に良いように思われたけれど、どこに公表すればいいのか知れずにいる。そうしてどちらから提案した訳でもなくいつ頃からか、二人とも犬になっていた。かわりばんこに追いかけ合ったり、一つのボールを取り合ったりじゃれ合ったり。拮抗する方向を互いに差していたのが、同じ向きになった。そして二匹でわおーんわおーんと遠吠えし合っていたところに教頭が入ってきた。教頭は「全裸!」と短く叫びながら跳びしさってドアを思い切り閉めた。ドアの音が止んでしんと静かになった部屋で俺と校長はドアに目を向けたまま固まっていた。遠吠えのポーズのまま固まっていた。わあ、など意味のない叫びでなく「全裸!」と叫ぶあたりはさすが教頭だ、状況把握能力において一流、しかしカギのかけわすれか? などと考えていたところへ再び、今度は静かにドアが開いた。そして俺たちは静かに説教された。完璧な精緻さで一分の隙もない説教だった。すべての生徒たちへの紛れもない愛を包含した説教だった。要約すると、二度と校長室で犬ごっこをするな、ということであった。
 だから、近所のババアが「うちの子にも学ぶ権利はあるはずよ」と茶色い和犬(ホンモノの犬)を連れて俺の中学校に何の前触れも無く怒鳴り込んで、その非常識な願いがすんなり叶えられてしまい、しかも俺の受け持つクラスに転入してきたのはきっと教頭の陰謀だ。いや、陰謀というほど大袈裟なものでなく、厭味か皮肉か嫌がらせだ。
 しかし沈鬱な教頭の顔とわくわく感まる出しの校長の顔とを見比べると、どうも教頭のせいではないらしい。
 子供たちは最初こそ戸惑っていた様子だったが、すぐに慣れたようだった。積極的に触れ合う子もいれば、まったく気にかけない子もいる。授業はあまり犬を気にせず進めることができていた。どうしても気になるのか授業中に犬にちょっかいを出す子供もいたが、軽く注意すれば、へへっと照れた笑いを笑って素直に従うのだから可愛いものだ。校長と俺も犬にはすぐ慣れた。放課後は校長と俺と犬で犬ごっこをした。校長と俺はノリノリだったけれど、犬は隅でガタガタ震えていた。そして教頭は再びドアを開けて入り、犬を恐怖から保護しつつ我々に静かな説教を与えた。それは数学的な美しさをたたえた説教だった。声の調べは天上の悦びであった。要約すると、仏の顔は3度までだが教頭の顔は2度までであり、次にやったら俺たちをコンクリートに詰めて海に沈め、自身もひっそり死ぬとのことである。犬ごっこを週刊誌に書かれるよりは3人の失踪の方が学校へのダメージが少ないとのことらしい。教頭は完全に3人の死を隠蔽する自信があると言い、そのプランまで披瀝してみせた。犬は教頭の腕に抱かれて安らかさを取り戻していた。俺たちは隅でガタガタ震えていた。教頭はどこまでも静かに語った。
 しかし教頭はどうやら俺が校長に強制されていると勘違いしているらしく、俺に優しい。
「先生も大変でしょうけど、どうか辞めないで下さい。なんとか私が頑張って働き良い職場をつくっていきますから。それに先生に辞められてしまうとサッカー部の顧問をできる人がいなくなってしまいます。廃部です。一生懸命サッカーをしている子たちに申し訳が立たない」
 そうして心底気の毒そうに俺をなぐさめてくれる。
「ところでうちの子だけ部活に入っていないなんて、差別です!」
 そして何の前触れもなくやってきたババアの願いは再び叶えられた。教頭は憤怒の表情で校長を睨んだ。校長はハフハフわんわん言っていた。犬はサッカー部に所属した。
 俺は犬のために「犬」というポジションを作ってやった。ミッドフィールダーとディフェンスの中間に位置する。11人+1匹。俺はサッカーという競技の新たな扉を開いたのだ。画期的な変革だった。世界のサッカーが次の次元へ移行するホイッスルが鳴った。俺の選手たちが一斉に動く。犬はうれしそうに全速力でグラウンドを駆け抜けた。そして校門を飛び出してそのまま帰ってこなかった。
 部活動の時間が終わってババアが犬を迎えにきた。
「うちの子はどこなの!」
「いぬー。いぬー。どこなのー? がんばって呼んでみたけどいないです」
「いないです、じゃないわよこれは大問題よ! 30分以内にアテクシのうちに連れてきて頂戴。でなきゃ警察と教育委員会に訴えますからね! プンプン!」
 俺は校長室へ相談に行った。事態を説明すると校長はスーツの内ポケットから一通の封書を取り出した。辞表だった。校長は全てを寛容する目で俺に軽くうなずいた。そして脱衣し、首輪を巻き付けプラグをねじ込んだ。そしてそのままいささかの逡巡もなく校長室を後にした。校長室の窓から見下ろされる、傾いた夕日に照らされた他に誰もいないグラウンドを、リードとしっぽをなびかせながら全裸の校長はうれしそうに全速力で駆け抜けた。そして校門を飛び出してそのまま帰ってこなかった。


 チャイムが鳴って夫人がドアを開けると、肉の無残に垂れ下がった全裸の壮年の男が立っていた。夫人は小さく悲鳴を上げた。
「校長先生、何をしてらっしゃるんですか」
「いいえ、私はあなたの犬です」
「んーま、あなた、ペロちゃんなの?」
「はい、私はペロちゃんです」
「んーま、んーま。人間の姿で現れるなんて。鶴の恩返しならぬ犬の恩返しね!」
「はい、私はペロちゃんです」
 こうして校長は自らを犠牲として学校を守った。その後教頭は校長に昇格し善政を敷いた。校長は二重の意味で学校を守ったのだ。天晴れである!


 ペロが登校を謝絶したため、平和的にペロは退学の運びとなった。そして朝夕にババアと元校長ペロが穏やかに散歩する姿が見かけられるようになった。日本の警察は早くあいつらを逮捕しろ。