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OjohmbonX

創作のブログです。

愛で満たされた車両

 電車の中でふいに目を覚ますと、前に立っていた明るい桃色のニットのシャツを着た若い女の、肩から提げたカバンからぶら下がるキーホルダーを視線が捕らえる。キーホルダーには親子のイラストの下に「妊娠しています」と書かれていた。たしかに女の腹はぷっくり膨れていた。隣の男子中学生が女性に席を譲った。女はありがとうと柔らかく微笑んで気持ち良く座った。
 あたしだってああいうキーホルダーを持ってしかるべきだし、義務ですらあるはずだ。ちゃんとあたしの状態を乗客に伝える義務がある。しかしどこで手に入るかが分からないし、とあたしはさっそく材料を買い求めに100円ショップを訪れた。チェーン付きのリングとプラスチックの円いプレート、基本色のそろったサインペンセット。それだけでとりあえずキーホルダーはできるけれど、あたしらしさをもっと出さなくっちゃ。あたしは高校の制服を常時着用しているタイプの28歳の女性(これを、専門用語でモテキャワアラサーといいます)で、世間は完全にあたしを女子高生だと思い込んでるから、ディズニーの激キャワシールや、ピンクのふさふさしたナイロンの毛も買った。レジに立っているとき、あたしは想像以上に女子高生だった。


 あたしにはパトロンがいる。あたしのムンムンした女子高生の部分に圧倒されて手も出せない臆病な、去勢されたオス。哀れだ。そいつはNPO?の代表とかやってるらしい。初めて街で会ったときに、そいつはあたしを「現代日本のビョウソウだ」と絶賛して、当時あたしは住所フリーダムだったから、イナバ(そいつの家の庭にある物置。みんなあこがれるブランド品)に住むよう言われて、そうしてる。ビョウソウっていうのは、たぶん、モテキャワと同じ意味だと思う。去勢されたオスだけど、あたしの魅力に気づいたのは偉いから、住んであげてる。
 イナバの中でキーホルダーづくりに取り掛かる。直径2センチのプレートにイラストと文字を書き入れてみたけれど、ちょっと小さ過ぎて乗客に気づかれにくいかもしれない。直径15センチのプレートに改めて書き直して、チェーン付きリングとピンクのふさふさした毛、頭がミッキーっぽい鼠で体がプーさんっぽい熊のキャラクターのぎらぎらしたシールを貼って完成した。女子高生カバンに取り付け、眺め回すことによりあたしの本日が終了した。リア充
 翌朝、あたしはいつもより戦闘的な気持ちで登校――あたしはご存知のとおり無職なので電車に乗る用事はないけれど、出会いってのは積極性が大事だから――しようと女子高生カバンを肩にかけたところで、机の上の直径2センチの方のプレートに目がいった。せっかく作ったんだし、とあたしはそれを額に張り付けた。でも、汗だけでは簡単に落ちてしまうから、眉間にしわを寄せてみる。ちょうどしわに挟まれて固定できた。あたし、何でもできてこわい。
 電車に乗ると、淡い紫のストライプの入ったグレーのスーツを着た、宇宙でも10位以内にはぜったい入れるイケメンがいた。カレの座席の前に立つ。カレは眠っていた。犬っぽい顔をしていた。あらゆる生物は私のことが大好きだけど、あたしが大好きな生物はイケメンと犬だ。あたしが近づくと犬は腰を抜かし、ガクガク震え出し、目を見開いて気絶する。ワンちゃんたちには、あたしのメスの部分が強烈すぎるみたい。それにしてもカレ、カワイすぎる。あたしは「可愛さ余ってにくくささ100倍」っていうコトワザを思い出した。これは、イケメンを見ると、メスの体が興奮してきて肉の臭いがいつもの100倍出るってこと。こういうコトワザが昔からあるのはすごい。あたしは日本のこういうところが好きだ。それにしても眉間にしわを寄せ続けるというのは結構つらい……


 座席が軽くふわっと浮き上がる感触に男が目を覚ますと、隣の男子中学生が席を立つところだった。代わりに若い女が礼を言って座った。女のカバンには「妊娠しています」と書かれたキーホルダーがついていた。ああ、それで席を譲ったのかと納得して何気なく視線を移すと「あたしはただのふんづまり」とクソ汚い字で書かれた上に大便のイラストが入ったキーホルダーが女子高生のカバンに揺れていた。たしかに女子高生の下腹はふくれていたが、何なんだ、これは! と度肝を抜かされて思わず顔を見上げると、女子高生じゃなかった。どう見ても30くらいの女だった。怖い。般若の形相で俺をにらみつけてる。怖い。女の額にはキーホルダーの縮小版がはりついていた。顔がぷるぷるしている。額のプレートを落とさないように顔の筋肉に力を入れているせいで般若みたいな表情になっているのかもしれない。しかしそうでなく、何かの意図から俺を睨みつけているのかもしれない。何かの意図? 何なんだ、何なんだ、こいつは、俺にどうしろっていうんだ、席を譲れ、ってことか? 字が汚い! 一体何なんだ! 男はゆっくり目を閉じて、極度に緊張しながら寝たふりをした。


 あれ、また寝ちゃった。うーん、あたしをちらっと見たから、あたしの魅力には気づいてるはずだけど……。犬と同じように、気絶しちゃったのかもしれない。起こしてあげなきゃ。愛の歌で、目覚めさせる。聞いてください、愛の歌、「さそり座の女」。


いいえ あ た し は ただの糞詰まり
お気の済むまで 笑うがいいわ
あなたは遊びのつもりでも
地獄の底までついてゆく


 愛の歌は電車の騒音に消されぬよう、息を存分に使って歌われた。延々と歌われ、電車に響き渡った。その様子、般若の形相で声楽家ほどの声量でガタガタ震えて寝たふりを続けるサラリーマンを凝視して歌い続ける地獄の様子は、他の乗客によってYouTubeにアップロードされ、彼女は自身の与り知らぬところで世界を困惑と哄笑のどん底に叩き落した。
 世界が熱狂する様を知って、NPO法人「生き辛い社会に精一杯生きる人々を支援する会」代表は無力感に浸されて絶望した。こんな事態にならないように、彼女を保護して自宅の物置を住居に改造して住まわせて、何とか社会復帰できるように支援してきたのに……
 真の才能というものは、埋もれ続けることを許されないものなのだ。