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OjohmbonX

創作のブログです。

キリン♀の♀キリ子

「バレーボール部?」
ってみんなが言う。近所のおばさんとか。私が175センチもあるから。バレーとかしてないですけど。あら、もったいない。何がもったいない? 私の背がもったいない? それってバレーでもしてなきゃ、でくの坊ってわけ?
 キリ子と呼ばれて振り返る。キリンみてえと誰かが言って定着した私のあだ名。みんな悪意もなく私をキリ子と呼んで、私も当たり前みたいに返事をする。別に普通のことだと思ってる、みんなも私も。でもみんなは知らない。たしかにほんの少しずつ、自分でも気づかないくらい少しずつ、私の何かが削られていく。キリ子って呼ばれるたびに私の心が薄く削られてく。ほんの少しの違和感を覚えて、それをノータイムで自動的に捨てる、その作業のたびに私の心が消費されてく。ほんとかな? そんな風に心なんて減るもの? 知らない。


「キリンは脚を攻撃すると、いいんだぜ?」
 とつぜん脚に衝撃を感じて振り返ると、水谷君がいた。私の脚を蹴りつづけてる。いたい。いたいけど、私は嫌いじゃない。別に水谷君に悪意はない。ただ男子の友人にするようにふざけているだけだ。人より特別幼いというわけではないけど、ふいに小学生のような行動を男子中学生が示すなんてことはいつだってあり得ることだし、それが私に振り向けられたことが私にはうれしい。
 けれど近くにいた女子たちはいっせいに水谷君を非難する。水谷君は蹴るのをやめてうろたえはじめる。どんどん女子の数が増えていく。何十人もの女子に睨まれ、せっつかれて、水谷君はついに私に謝罪する。
 ああ、終わった。私は涙が流れそうになるのをこらえる。謝ったら冗談が冗談じゃなくなる。これで私と彼の間にやってはいけないことの、ごく薄いひらひらした膜が一枚できた。もうあとは、そんな膜が何枚も重なって層になって、壁になって、最後には話すことすら許されなくなる。
 好きだったのに。
「ねえ知ってる?」
 みんなの顔が上がる。私に視線が集中する。恥ずかしい。でも、今この膜を破ってしまわないと、きっと後悔する。声がかすれてる。でも、
「キリンのキックは、ライオンも殺すよ?」
 私は後ろ足で水谷君の股間を蹴りあげた。
 悲鳴もあげずに水谷君は股間を押さえてうずくまる。なんとか息を整えて涙をいっぱいに溜めて上目使いに私を非難する。
「……謝ったじゃんか」
「関係ない。謝る必要なんかない。あんたはライオンなんだから、私の脚に噛み付けばいい」
 困惑してる水谷君にかまわず私は彼を蹴りまくる。
「野生は容赦ないよ? ほらほら、蹴り殺しちゃうよ?」
 恐怖にかられて水谷君ががむしゃらに私の脚に噛み付いた。
「ん゛ッ! いだい゛ィィッ!!」
 はッあアー、最高ッ!!
 噛み付いたライオンを振り払おうと脚をはげしく動かす私はキリン。私は無駄にでかいわけじゃない。バレーしてないただのでくの坊じゃない。水谷君が、この愚かな男子が全力でじゃれかかるのに耐えられる身体を私は感謝する。
 水谷君が振り払われる。
「まだよ。まだまだ、ほらぁ、きなさいよ!」
 我を忘れてまた私に飛びかかる。それをガツンガツン蹴る。みんな見てる。見てるみんなも紅潮して息が荒い。こんなに興奮するってこと、ある? こんなやり方が、中学生の恋愛として正しい? そんなこと知らない。でもこんなに興奮するってことが、じゃあ、あるの?


「そうして生まれたのがあなたなの、悠介」
 悠介はかすかに震えていた。
「だから悠ちゃんが夜中にみたのは、ライオンさんとキリンさんのたたかいなんだよ」
「はだかで……?」
「動物だもん。みんなはだかだよ」
「そうなんだ……」
 何か地に足がつかないみたいなふわふわした様子で悠介は子供部屋へ帰っていった。
 翌日、小学校から息子が同級生の女の子の脚に噛み付いたと電話があった。はッあっ、最高ッ! やっぱり獅子の子は獅子。すっごい興奮する。あんな子供が性欲まるだしで女の子の脚に、無我夢中でむしゃぶりつく。しかもその子供、私の息子。
「先生はちょうどその場面をご覧になったそうですね。どうお思いになりましたか?」
「どうって……困りますよ。相手の子は幸い、たいした怪我じゃないですけど」
「それは先生としての感情でしょう? それをはぎとって、27歳の青年として、その場面をご覧になって、いかがでした?」
「おっしゃる意味がわかりませんが……」
「8歳の男の子が、8歳の女の子の脚に襲いかかる。こういう場面を先生は望んでいたのでしょう? その証拠に、すぐに止めずにしばらくそれを見ていた」
「それは……すみません、びっくりしてしまって。正直に言って、ぼくの経験不足です」
 バシィと乾いた音。私は机越しに思いきり先生の頬をはたいた。女みたいに手を頬に当てて先生はおびえた目で私を見る。哀れな青年。
「それは嘘。正直と信じて自分に言い聞かせているだけ。先生はどうして教師になったの?」
「……これからの未来に向かって羽ばたく子供たちの手伝」
 バシィ
「それも嘘。自分では本気でそう思ってるのかしらないけど、無意識に自分自身に信じ込ませた嘘。あなたは本当は、子供を性的な視線で犯したいという願望をいつだって満たしたいから教師になったの」
「ちがう!」
「そうよ。でも恥じることなんてない。小学校の教師は全員そうなんだから」
「え……そう、なんですか」
「(そんなわけないじゃない)そうよ」
 私は小学生の低い机に右足を立てた。
「ここに脚がある。子供たちがそうしたように、あなたも心の底では自分を解放したいと思ってる。ここには誰もいない。あなたを抑圧するものは何もない。やってみなさい」
 息を何度か熱く吐いた後、青年は私の脚に顔から飛びかかる。私は足を跳ね上げ、青年の顎を蹴り上げる。青年は衝撃にのけぞって椅子ごと後ろへ倒れる。
「本当は怖いのよ。あんたのできやしないことを、自分より矮小な存在と侮っていた子供が躊躇いもなくすることに、あんたはたじろいでいる。でもあの子はライオン、あんたはウサギ。生まれが違う。ですから先生は、黙って遠くから、震えて見ていればいいんです」
 私は言い捨てて教室を出る。悠介。これであんたを止めるやつはもういない。
 だから悠介。あんたの本気のライオンを受け止めてくれる、あんただけの雌キリンを探しなさい。何頭だって次から次に試して、最高の雌キリンを探しなさい。きっと見つからないでしょう。そうしたらお母さんのところへ帰っておいで。それからお母さんの脚に噛み付きなさい。お母さんそしたら悠ちゃんのちんちんを思いっきり蹴ってあげる。いつでも何度でもお母さんの脚に噛み付いたっていい。だってお母さんだけが悠ちゃんの雌キリンなんだから。


「めんどくさいな」
 私の蹴りを軽く片手で止め、その脚を捨てながら、ただの独り言みたいな言い方でそう言い捨てて悠介は出掛けていった。めんどくさいって、何? うざいとかならまだいい、相手を見ている言い草だけど、めんどくさいなんて母親にきく口か。まるで自分一人で育ったみたいな顔をして、たかが大学生が。
 なんなのよ。女手ひとつで育てたのにこんな仕打ち、許せない。
(すっかり丸くなった夫は蹴り殺して埋めてある。ライオンは牙が抜けたらおわりだから。)
 私は息子を追跡する。目立つ身体を折り曲げて、大学に入り込む。おばさんが若い子たちに混じって講義を受けるなんて、うっふふヘンみたい。
 悠介は構内の外れの長屋のような建物の、端の一室に入っていく。私は回り込んで窓から覗く。窓が低いのでますます屈まないといけない。汚い床、雑然と散らばった雑誌やCD。私は大学に行かなかったからよくわからないけど、たぶんサークルの部屋だ。自分の息子のことなのに、私が体験してないような青春をしてるんだと思うと、何か妬ましいような、ずるいような、私だけが損しているような気がして、いらいらする。
 室内には悠介ともう一人女の子がいるだけだ。昔で言う森ガールって感じの、小柄でかわいい女の子。親しげに話してる。悠介が女の子の黒いさらさらの髪の揺れる頭をぽんとひとつ優しく叩いて、部屋を出て行く。私は窓をがらっと開けた。
 つもりだったが窓には鍵がかかっていたから、腹が立って、力をこめたら窓枠ごと外れて落ちた。女の子がきゃっと短く叫ぶ。
「私は水谷悠介の母親ですけど、あなたキリ子?」
 立ち上がっているから、窓の上辺は私のあごの下だ。どういうわけか年々身長は伸び続けていて、今は190センチある。女の子から見ると、私の腰から喉までしか枠に収まってなくて、顔は見えないはずだけどしょうがないのでそのまま話し続ける。
「あなた悠介のキリ子でしょう?」
「あの、きりこってよくわからないですけど、私、あの、悠介くんとお付き合いしてます」
「キリ子じゃないなら死んでよ」
「えっ、えっ私は生きますけど、悠介くんとはもうキスとかいうレベルじゃなくて、えっちしてるんです」
「言ってる意味が分からないわ」
「もちろん二人ともバイトしてますけど、お金はそんなにないし。それに、そういう専門的なホテルって恥ずかしいから、いつもお互いの家でしてるんです」
「ごめんちょっと黙っててくれる」
「ほとんどは悠介くんちでしてます」
「私の家じゃないの!」
「はじめてのときは私から迫りました。今日親いないから、遠慮しないでって悠介くんが言うからおじゃましたのに、遠慮してるのは悠介くんの方なんです。もうキスだってしたことあるのに、その日はどうやって距離をつめてけばいいのかわかんないみたいで、なんかずっとお喋りばっかりしてて、たまにえっちっぽい話を挟んだりしてくるから、あ、えっちしたいんだって思うんですけど、手も握ってくれなくて」
「ちょっと、もう本当に黙ってくれないかしら」
「それで私、悠介くんの手を握ったんです。あ、耳までまっ赤にして、かーぁいいーとか最初は思ったんですけど、ぜんぜん握り返してもくれないし、キスだってしてくれなくて、私ちょっと腰を浮かしたんです。悠介くんってかなり背が高いじゃないですか。でも私は小柄だから、いつもは悠介くんがかがんでくれないと届かないけど、今は床に座ってるから私がすこし腰を浮かせば届くんですよね。はじめてのキスみたいな感じ。ゆっくり唇だけ押し当てて。でも私はすぐに唇を押し広げて舌を入れたんです」
「お願いだからもうやめて……」
「ベッドに移ってからも悠介くん、なんかいろいろ気にしてましたよ。明かり消さなきゃとかカーテンしめなきゃとか。そんなこといいよって私が言ったんですけど、
『でも誰かに見られるよ』って言うから
『見せてるのよ』
って答えたらびっくりした顔で黙っちゃって、悠介くんのThereが急にふにゃふにゃになってました。でも私そんなこと関係ないです。服を脱がせて四つん這いにさせました。さいしょ足を立てて四つん這いになったから、それだと高くて届かないので、私怒って、思いきり太ももに爪立てて膝を折ってもらったんですよ。それから棒状のAttachment(私って英文科なんでごめんなさい)を私のお股に取り付けて、Lotionをつけて、悠介くんのRose Gateにねじ込んだんですよね」
「違う違う。あなた死んで。あなたは役割を間違えてる。死んで。そうじゃない、そうじゃないわけなのよね。悠ちゃんはそうじゃないわけよ」
「ううん、おばさんが勘違いしてる。悠介くんのこと」
「知ったか。知ったか。妄想。恋人きどり。悠ちゃんのキリ子にもなれない哀れな女」
「やっぱりわかってないんだ。ライオンは私で、悠介くんがキリンだょ?」
「ふぁ〜!」
「何ですかぁ今の。キリンの鳴き声? ウケますwww」


「ほんと、私もお義母さんと一緒に暮らせて嬉しいです」
 嫁はそう言ってニヤニヤ笑うのだ。こんな下卑た笑いを見ながら暮らすなんてまっぴらだと思っても、リウマチのせいでまともに動かない足では選択の余地がないのだった。200センチを超えた長身を支えきれずに手足が壊れたのだと思う。悠介は都会で私を引き取った。しかし仕事で家を空ける悠介にかわって私を介護するのは嫁なのだ。そしてニヤニヤ笑う。
 嫁は何不自由なく私の介護を完遂する。だから私には何の文句もない。文句を言わせないことを最高の復讐にしているのだ。たぶん、ただ私が悠介を生まれたときから見ていたという、妻である自分よりも長く見ていたというその部分に対する復讐のためだけに、この完璧な介護で私を黙らせている。10年前あのサークルの部屋でもう、そんなアドバンテージなど無効だと、一方的に私の敗北を宣言していたのにまだ、こだわり続けて私が死ぬのを待っている。
「ライオンってウサギも全力で殺すらしいですね」
 嫁は悠介を私に会わせないようにしている。部屋の導線まで工夫して、平日はもとより休日でも悠介が私に顔を合わせずにすむようにしている。そして悠介の逃げ道として、私への完璧な介護を用意しているというわけだった。お義母さんのお世話は私にまかせてよ、ちゃんとやってるし、かえって楽しいくらいなの。だから悠介さんは、お義母さんのことは気にしないで。
 そして悠介の動静はすべて嫁の口を通じて伝えられた。一緒に買い物に出かけた話。会社の昇格試験に受かった話。それから、しつこいほど性生活の様子を語って聞かせるのだ。近頃は求めてくる割にはもたない。持久力が衰えてきただの、何だの。
「そんな話、私みたいなお婆さんにしてもしょうがないじゃない」
「相談してるんですよ。だってお義母さんの方が、悠介さんのことずっとよく分かってらっしゃるんですよね?」
 たまに、本当は悠介はもう死んでるんじゃないだろうかと思うことがある。この女に噛み殺されて埋められてるんじゃないだろうか。そしてその死を知らない私と、その死を知り尽くしている自分との、最大の落差を愉悦に変えてこの女は生きているんじゃないだろうか。
 恋人との間に、それから息子との間に、極上のキリンとライオンの関係を勝手に夢見ては幻滅してきたのが私。なのに今、逃げる足もないまま嵌められているこの関係が、この女との関係がキリン-ライオンの現実だと言われているのだとしたらあんまりだ。私はこんな復讐まみれの牢獄を望んだわけじゃない。
 そういった私の疑義と絶望を嘲笑して、嫁の腹が膨らんできた。悠介はまだ生きている、あんな馬鹿げた疑いを抱いて馬鹿みたいと思いながら、本当に生きているかはまだ分からないとどこかで疑い続けてる。
 妊娠からくるものか、苛立ちを無理に嘲りで糊塗したような顔で突然、嫁が私にむき出しの悪意を見せる。
「背ばかり高くて役立たずのでくの坊。脚が萎えればキリンは死ぬけど、なんであんたは生きてんの?」
「じゃあ殺せ!」
 体がばらばらになるような痛みを耐えながら、残りの力を振り絞って私はライオンの腹に蹴りを入れた。
 女は破水し、獣のように呻きながら子供を産み落とした。女児だった。
「この子は、キリンかしら。ライオンかしら」
 私はベッドから這って出て、まともに動かない手足をうごめかせて、生まれた初孫に近づいていく。あと少しで私の頬が孫に触れそうになった瞬間、女は子供を取り上げた。
「人間だよ。キリンの子なら噛み殺すし、ライオンの子なら谷に突き落として殺す。でもこの子は人間だから。ババア、いい加減その遊び、やめたら?」