OjohmbonX

創作のブログです。

Tシャツにひっつくよりはいい

 初夏のある朝いつもよりずいぶん早く目が覚めて散歩でもしようと外に出るとアパートの前の細い道路からアスファルトを突き破って女の人が生えてきた.すごくびっくりして
「ひゃあー」
と言ったら,女の人は地面に刺さったまま
「はじめまして.あなたの妻です」
と言った.困ったなあと思った.結婚するなら地面から生えてこないタイプの女の人がいいし,それにいくら何でもいきなり妻だなんて,ちゃんと付き合ったりしてからの方が…….僕は散歩するのをやめてアパートに戻った.あの女の人はだめだ.地面からいきなり生えてくるなんて,非常識だ.
 でも「早起きは三文の徳」というコトワザもあるしなんだかだんだん女の人が惜しくなってきたから急いで外した部屋のカーテンを抱えて表に飛び出して女の人に被せてみた.タケノコっぽい感じになった.これで一安心だ.誰にも女の人だなんてバレない.


 昼休みに会社の食堂でAランチを食べていると備え付けのテレビでワイドショーをやっていたので何気なく見ていたら「次は,『路上に突如出現! ど根性妻』」というテロップが出て,なるほどと思った.あの女の人はど根性ダイコンとかど根性ナスとかのシリーズのひとつなんだなあ.
「感動しました.あんなふうに夫を想ってアスファルトを突き破るなんて,妻の鏡です.本当に元気をもらいました.しずかに見守っていきたいと思います」
と近所に住むおばさんが熱っぽく語る姿が流れた後,グレーのスーツを着た女性リポーターがど根性妻にマイクを突きつけてインタビューし始めた.
「今日はかなり日差しが強いわけですが,照り返しはつらくないんですか」
「夫は会社で働いているわけですから,このくらい耐えるのは妻として当然のことです」
 僕は,居ても立ってもいられなくなって,会社を飛び出した.
 アパートの前に着くとすでに番組のスタッフはいなくなっていて妻は白目をむいてぐったりしていた.急いで僕はたくさんの人に踏まれたらしくどろどろに汚れて近くに丸まっていたカーテンを拾い上げて妻に言った.
「カーテン,どうしてくれるんだよ!」
 妻は白目をむいていた.


 翌朝,出勤しようとアパートを出るとものすごい数のテレビカメラがあって,だしぬけに
「奥様とはどのようにお知り合いになったのですか」
「いえ,まだ婚姻届は出していませんから」
と答えて逃げるように駅に向かって電車に乗っているときにふと,妻は印鑑を持っているのだろうか.婚姻届を出すには印鑑が必要だけれど,なんて考えが浮かんできて,何となく妻が愛しくなってくるのだった.
 「理想の夫婦愛」なんてしばらく騒がれていたのがいつの間にか「ど根性野菜に便乗した売名行為だ」とか「公開SMプレイだ」とか「通行の邪魔」とか言われるようになったけれど,持ち上げておいて落とすというのが常道だと知っていたから僕は気にしなかったし,妻もどうとも思っていないようだった.(ただ,相変わらず暑い日は白目をむいている.)2ちゃんねるにあった妻のAAを印刷したのを見ていっしょに笑ったりしてそこそこ楽しく暮らしていると,すぐにみんな飽きたらしくテレビでも2ちゃんねるでも妻のことは一切話題にされなくなっていた.
 ある日,食事はどうしているのかと訊ねるとにやっと笑って
「にゃー」
と答えた.意味がよくわからなくて聞き返すと
「適当に食べていますから大丈夫です.心配してくださってどうもありがとうございます」
とにやにや笑うのだった.


 野良猫を食べている可能性を否定できない妻を残して行った出張先のホテルでTBSの「ブロードキャスター」を見ていると「ひさびさにど根性妻の話題です」.「心無い誰かに抜かれたようです」とリポーターの声がして,アスファルトが破れて地面がむき出しになった道路の穴の映像が映し出された.僕は,彼女の名前も知らなかったんだ,ということにいまさら気づいたのだった.


 翌週の「ブロードキャスター」ではど根性妻の髪の毛から作ったというクローンど根性妻が紹介されていて市長が「市のシンボルとして大事にしていこうと思います」と言っていた.クローン作る金があるなら早く家の前の道路の穴を直せ,と言いたい.