OjohmbonX

創作のブログです。

赤い糸で、つながる小指

 ガキのころから悪いことならたいがいやってきた。同級生のアゴをちぎったり、気に入らない教師の家族を皆殺しにしたり、市役所を爆破したりしてきた。そんな俺は中学を出て当たり前のようにヤクザになった。かえってヤクザになってからの方がおとなしくなった。むやみに人を殺さなくなった。せいぜい月イチくらいのペースだ。
 けれども30になって俺は嫌気がさした。月イチペースだと62で定年としてまだあと384人も殺さなければならない。殺し過ぎじゃないか? 組のためと思ってきたがもう耐えられない。俺は組長に相談した。
「えぇーっ、お前、月イチペースで人殺してたの……? マジで……? ぜんぜん知らなかったんだけど」
「ええ。自主的に殺してたので」
「言っとくけどうち武闘派じゃないからね。『地球にやさしい21世紀型ヤクザ』がスローガンだよ。ちゃんと毎朝、朝礼で唱和してるじゃん。壁にもポップなフォントで貼ってあるじゃん。殺すの、別にやめたきゃやめりゃいいよ。もともと頼んでないし」
「てめぇっ、あぁ? だったら勝手にやめさせてもらうぜ!」
 俺は啖呵をきって懐からドスを取り出し、組長の机の上で、組長の目の前で小指を詰めてケジメをつけたら事務所を飛び出してさっそく占い師になった。


 ショッピングモールの二階の隅は人通りも少なく寂しい。リノリウムの床、白い壁、蛍光灯。ここにパーティションで区切られた5つの小さなスペースが並んでいる。占いコーナーだ。真ん中が俺のショバ。他のやつらはアジアみたいな布を張ったり水晶を置いたり小賢しいマネをしてやがるが、俺はそんな小細工はしねえ。事務机が一つあるだけだ。
 今日の一人目の客はふくよかな若い女。いかにも悩んでますみたいなツラしてやがる。
「あたし、彼氏がいるんですけど、彼とこの先結婚できるのかどうか、できるとしたらいつ頃がいいのか知りたくて」
 俺は机の上にドスを叩きつけた。
指詰めろ」
「え?」
指詰めろって言ってんだろうが糞アマ。二度も言わせるな。殺すぞ」
 女はがたがた震え始め、目に涙を溜めている。じぃっと女の目を見据えて黙って待っていたがいつまで経っても指を詰めやがらねえ。
「おいネエちゃん。こっちも慈善事業でやってんじゃねえんだ。いい加減にしてくれよな」
 女は震えながらかすかに首を振った。
「てめぇ、人が下手に出てりゃつけ上がりやがって。覚悟もねぇのに占いに来るんじゃねえ馬鹿野郎!」
 俺は無理やり女の手を机に押し付けて一気にドスで小指を切り落とした。痛みに絶叫する女の頬を5、6発はたいて黙らせた。これでようやく占いを始められる。
 俺は小指をつまんでまじまじと見た。俺は切り落とした小指の形で占うスタイルなんだ。これでたいがいのことはわかる。女ってのは2種類に分かれるんだ。名前に「子」がつく女と、つかない女だ。
「占いは終わった。お前は名前に『子』のつく女だ。ん? どうだ?」
「あたし、美樹ですけど」
「ふざけんじゃねえぞ馬鹿野郎。てめぇの名前が間違ってんだ」
 女を思い切り殴りつけた。
「パピ子だ」
「え?」
「お前の名前は、今日から山下パピ子だよ」
「名字は田辺なんですが」
「知るか!」
 女は名前を変えたくないというから散々殴りつけて、ようやく改名を承諾させた。占いは終わったというのに女はなかなか席を立とうとしない。
「それで、彼との結婚は……」
「馬鹿野郎、そういうのは隣の奴に聞けよ」
 パーティションを足でがんと蹴りつけると「ひっ」と隣の占い師の短い叫びが聞こえた。女は泣きながら隣のブースへ移っていった。


 俺の見た女どもは改名してことごとく極上の幸せを掴んでいった。山下パピ子に至っては総理大臣になった。俺の占いは評判になり、ついにテレビの取材が来た。女子アナが俺に占われるという。おいおい、勘弁してくれよ。俺は女子供を傷つけない主義だってのに、こんな奇麗なネエちゃんの指は切り落とせねえぜ。だが生放送だ。時間がない。女子アナはすがる目付きで俺を見る。しょうがねえなあ。俺は女子アナの小指、その肉塊をつまんで眺めた。スタッフが驚いている。アナが思わず自分の左手を見る。そこに小指はなく、血が溢れていた。そして目を見開いて俺を見る。いったい、いつの間に!
 ヘイヘイ。俺をなんだと思ってやがる。何本小指を落としてきたかわかってるのか。すれ違った相手の指を、本人も気づかないうちに切り落とすなんざ造作もねぇよ。
「あんたの名前には、」
と俺が占いの結果を伝えようとしたところで突然女子アナが抱きついてきた。そして細く柔らかい女の視線が俺の視界を占有して懇願したのだ。
――ね、お願い。殺して。私、女子アナなんてもう嫌なの。解放されたいのよ。ね、殺して。その技で、私自身も気づかないうちに、お願い、お願い
 頭が一瞬でハレーションを起こし飽和し、この声がどこから聞こえたのかも認識しないまま、気づいたら刺していた。支えた腕の中で筋肉が急激に弛緩してゆく。死ぬ体を俺は今まで知らなかったのだと知った。
「放送事故かな」
「いや、ギリギリセーフだろ。草薙剛のがんばった大賞を受賞できると思う」
 呆然と立つだけの俺から女子アナを剥がしてスタッフたちは去った。ブースは全く静かになった。


あんたの名前には、「子」はつかない。そしてあんたの名前を俺は知っている、杉内美佳。改名する必要はなかった、あんたはそのままで極上の幸せを手にする運命だったのだ。あの死があんたにとっての極上の幸せだったのか、杉内美佳? 俺があんたに極上の幸せを与えて、あんたは俺に死を教えたっていうのかよ、杉内美佳? あんたに死を教えられたのは、俺にとっての幸せだったのか?


 俺は初めて、組に捨ててきた俺の小指を見たいと思った。あれを見れば、女の死が、俺の極上の幸せかどうかが知れる。知ってどうということもないが、ただ、知りたいと思った。
 組を襲撃して小指を取り戻すかと思案していたところへ組長が現れた。テレビを見たと言って。口を開きかけた俺を組長は遮った。
「わかってるさ。慌てるんじゃねえ。てめえの指はちゃあんと取ってある。それより俺を占ってくれよ」
 ドスの鞘を払って構えると
「馬鹿野郎。てめぇで始末をつけらあ」
とドスを俺から奪ってためらいもなく組長は自分の指を切り落とした。脂汗を浮かべて眉根に皺を刻みながら緩慢な動きで小指を俺に突き出した。
「占いやがれ」
「てめぇなんざマツコ・デラックスで十分だ馬鹿野郎」
 俺は指を碌々見もせずに、組長に叩きつけた。指は組長の胸に当たって床に落ちた。
「そうかい。じゃあ改名するさ」
「てめえが改名しようがどうしようが知るか! いいから俺の、」
「指を返してもいいが、その前に言っておく。てめえの占いは、インチキだ」
 一瞬、声が詰まって何も言い返せなかった。
「お前は占い終えた後、隣の占い師に客を回してただろう。客どもがことごとく幸せを掴むのはてめぇの力じゃねえ。隣の占い師のウデだ」
 慌ててパーティションの隙間に顔を押し付けた。今まで顔も知らなかった隣の占い師、太ったハゲの中年のおっさんがひたすらに優しい微笑を浮かべて、ゆっくりと俺に向かって2度うなずいた。全てを了解して許すうなずきだった。
「なら、どうして、オヤジ、指を……」
「てめぇんとこのガキの始末を、つけるのがヤクザのケジメってもんだろうが馬鹿。戻ってこい、組に」
 年甲斐も無くぼろぼろ涙を落としてしゃくりあげる俺を、組長とおっさんが優しく見つめていた。



 そうして俺は平林組あらため、マツコ組デラックスに戻った。週イチペースで人を殺している。