OjohmbonX

創作のブログです。

クソの壁

 もちろん私は更年期でイライラしてるから、電車の中では人のすねをずーっと蹴りつづけてる。座れなかったときはもっとイライラするから、座ってる人たちの顔に屁をかけてまわってる。
 背が高い割にほっそりして、紫色がかった銀縁のメガネをかけたスーツ姿の若いオールバックの男が、満員電車で座席を二人分占領して、あまつさえ脚まで組んで座ってる。見るからにヤクザだ。こわいよ。でも私にだって更年期のプライドがある。私はヤクザの足元にしゃがみ、ヤクザの革靴の紐をほどいて丁寧に靴を脱がせ、その尖った革靴をヤクザに突き刺した。
「ぐえ。何すんだババア、殺すぞ」
「尖りすぎなのよ!」
「はあ?」
「靴よ。こんなに先が尖ってるじゃない!」
 私はヤクザの靴を尻にあてて屁をこいた。そしてそれをすばやくヤクザの鼻に当てた。
「臭えっ、殺す!」
 私はぽろぽろ涙をこぼした。どうして? 私なんにもしてないのに、どうして殺されちゃうの? ただのおばさんなのに、いっしょうけんめい家事や子育てをしてきただけなのに。とっても悲しい。
「待ちたまえ」とおじさんが私とヤクザの間に割って入った。
「我々の市には君のような暴力団は必要ない。出て行きたまえ」
 市長だ。
「そうよそうよ、暴力団なんて社会の害悪よ」
 私はヤクザを素手で思い切り殴りながら言った。
「あなたたちはいつも暴力による恐怖で解決しようとするじゃない。そんなの絶対に正しくないわ」
 私は何度も、何度も殴ったのでヤクザの顔はぐちゃぐちゃになった。
「さあ、私たちの市から出て行きなさい。それっ!」
 私は電車の窓からヤクザを捨てた。市長がすごくびっくりした顔で私に言った。
「え、ここはまだ市内だけど……」
「知らないわよそんなこと。市長の癖に口答えするなんて、生意気だわ」
 私は市長も窓から捨てた。一部始終を見ていた近くの老婦人が落ち着いた声で私を諭した。
「あなた、そんな風に人を窓から投げ捨てるなんていけませんよ。まして市長を。あなたはまだ気づいていないようですが、市長はほとんど毎日、この電車であなたにすねを蹴られ、屁をかけられ続けていました。わざわざあなたの前にいるようにして。それはあなたの蛮行から市民を守るためです。身を呈してあなたを含めた市民を守っていたのですよ、彼は」
 私はすごく感動して老婆も窓から捨てようとしたが、老婆が窓枠でしぶとく踏ん張るもんだから攻防を続けるうちに駅についてしまった。老婆は軽やかに窓からホームに飛び降りて逃げるから私もそれを追いかけたけれど見失って、感動冷めやらぬ私はそのまま市役所に直行して市長の右腕になることを決意した。


 市の職員たちは私の右腕就任に猛烈に反発した。だから私は市役所の館内放送で「更年期だからこそ見えてくる行政の問題点もあるはずです」と訴えた。職員たちは納得してくれて私は市長の正式な右腕に就任した。
 ちょうどエイプリルフールだったから冗談で「市内の女子中学生は授業中に大便をぶつけ合って正常な授業を進行できない」という内容の報告をした。市長は悲しそうな顔で実情を把握するため現場を視察する、と言った。とんでもないことになった。
 私は調整に奔走した。市内の中学校に掛け合うがどこも取り合ってくれない。
「一日、ほんとに一日だけでいいんです。生徒に大便を投げさせ合って下さい。たったそれだけのことです」
 唯一好意的な回答を得られたのが私立の男子高校だった。
「そうそれ、そういうの待っとったんや! 男子高校生が笑顔でクソまみれになるのって素敵やん? わしめっちゃ興奮するやん?」
 校長は非常に乗り気だったが駄目だ。女子中学生でなくてはいけない。それで断ったのだが、
「なんやて! 市役所がなんぼのもんじゃい。あんたらぁがやらんのやったら、わしとこは勝手にやらしてもらいまっさかい!」
と自主的に開催するらしい。生徒も気の毒なことだ。
 結局私は市内にあるスカトロ団体の婦人部へ依頼した。
「ぜひご協力をお願いします。大便はすべてこちらで用意させていただきますから」
「それじゃ意味ないでしょ。私の大便が相手にふりかかること、相手の大便が私にふりかかること、それがよろこびなのにどうしてどこの馬の骨ともわからない便を使わなきゃいけないのよ」
「大便はすべてこちらで用意させていただきますから」
「だからいらないって言ってるでしょさっきから! それに協力するって最初から言ってるじゃない。何よその譲歩は。ぜんぜん譲歩になってないじゃない」
「大便はすべてこちらで用意させていただきますから」


 市長は鼻をつまんで目を細めた。会場ではすでにスカパーティーが花盛りだ。最高齢は84歳、最年少はなんと45歳ですごく若い。これはかなり女子中学生だ。私はこの大成功がうれしくてうれしくて仕方がなかった。
 婦人達は雪合戦の要領で、クソで築いた壁の間から丸めたこぶし大のクソを投げ付け合っていた。左右からクソ玉の雨あられ、応酬が続く。左のチームには最年少、45歳の中学生がいる。彼女はソフトボール経験者だ。腕をぐるんと回転させ、ももの横から豪速糞が繰り出される。右チームの壁が砕け散り、後ろに隠れていた婦人達が吹っ飛ぶ。私が想像していたスカトロプレイとはぜんぜん違うけど、すごくエキサイティングだ。そして突然、両軍とも上に向かっても玉を投げ始めた。なんだろうと顔を上げて玉の行方を追っていると、玉が頂点で静止した瞬間、爆発した。次々に上空で玉がはじけていく。爆竹を仕込んでいるようだ。クソ上げ花火。左右両軍から水平に無数のクソ玉が飛び交いつつ、垂直にクソ玉が打ち上げられては爆発する。クソの壁と婦人共が弾け飛ぶ。汗と涙とクソと女。あまりのゴージャスさに私は我を忘れて叫び続けた。
「たまやーっ、たまやァッー! どうです市長、ひどいでしょ?」
 市長はいつの間にかガスマスクをつけている。私は腹が立ってしょうがなかった。こんなにみんなが本気になって最高の女子中学生なのに、お前だけマスクの向こう側で他人事を気取るなんて絶対に許さない。
「市長、現実から目をそむけては駄目。この光景、臭い、風、すべてを感じなきゃ真の市政は見えてこないわ」
 私がガスマスクを剥がそうとやっきになっていると市長はやにわに前を指さした。指の先を見ると、婦人達がゲロりだしている。そしてゲロも投げている。ゲロは空中で糸をひいて飛ぶ。傾いた日の光があたって尾をきらきら輝かせている。
「ちょっと、ゲロはだめです! 打ち合わせと違うじゃないですか」
「打ち合わせ……? 打ち合わせとは何だね。何のことかね」
 終わりだわ。こいつらが女子中学生じゃないことが露呈すれば私は右腕を失脚させられる。私の人生って何だったのかしら。子供を育てて、料理して、洗濯して、掃除して、買い物に行って、すねを蹴ったり、屁をかけたり、窓から人を捨てたり、だれもほめてくれなくても一生懸命これまで毎日同じ繰り返しを生きてきた。そんな主婦のささやかな楽しみで始めた市長の右腕も、みんながゲロするから駄目になりそうだなんて、こんな仕打ち、私の人生って何だったのかしら。私は悔しくて悲しくてまた涙がぽろぽろこぼれ落ちる。
「泣いてはいけない。しっかりしたまえ。君は私の右腕だろう」
 私はびっくりして市長を見る。ガスマスクに隠れて表情は見えない。
「現実を見ろと私に言ったのは君だろう。見たまえ」
 見るとゲロとクソが飛び交う両軍の間にふらふらと一人の小柄な老婆が進んで行く。84歳、最年長の婦人だ。ゲロやクソが当たるたびにぐらりと崩れそうになるが立ち続けている。老婆は夕日を受けて輝いている。何度も何度もぶつかってぐらぐらするが決して倒れない。これは何? なんかよくわかんないけど、希望?
 婦人のTシャツにはよく見ると「TRY ME」と書かれてあった。それに応えて市長は呟いた。
「いいけど、でも俺のを試したら、壊れちゃうよ」
 市長、絶倫……!
 私が止める間もなく市長は吐瀉物の飛び交う婦人達のエリアに駆け出した。汚物にスーツを汚す事なくフィギュアスケートストレートラインステップシークェンスのような華麗な動きでなめらかに老婦人に近づき、そのままスピードを緩めもせずに婦人を小脇に抱えて走り去った。
 春の夜、市長・trys・ババア。


 私は完全に思い出した。あのババア、電車で一方的に私に説教をたれたまま逃げたババアだ。私が更年期で苦しんでるっていうのにババアは愛を紡ぎあうなんて不公平だ。絶対に許さない。
「市長。あの老婆と関係を持ったことが明るみに出れば市長は失脚します。このことを知っているのは市長と私、そしてあの老婆だけです。あの老婆を生かしておくのは危険です。老婆に、ミサイルを撃ち込みましょう」
「ミサイルって何!? そんなの市にあるわけないでしょう」
 私は市長の襟首をつかんで後ろに引き倒し、執務室の机の引き出しに手をかける。カギがかかっているが、そんなものは私の熱情を阻めない。力を込めると私の腕の筋肉がよろこんで引き出しを不可逆的に破壊する。そして奥に手を突っ込んでまさぐり、ボタンを探り当てる。赤いボタンを市長の目の前に突き付ける。
「しらばっくれても駄目。ちゃあんと社会の授業で習ったんだから。私達の市にはミサイルが配備されてるってことを」
 ボタンを机の上に叩きつける。
「さあ、押すのよ市長。既にミサイルは老婆の自宅を向いている。準備は整っているの。あの老婆は私達の敵。市政にあだなす者。それを排除するのは市長の役目だわ」
 市長は押し黙って固く腕を組んで下を向いたまま動かない。私は市長の髪を荒々しくつかんで顔を引き寄せた。
「あんたがやらないなら、私が押すわよ」
 市長の頭を放り捨て、ボタンに振り下ろされる私の手は、思いどおりにボタンに届く寸前で市長の手に阻まれ、代わりに市長がボタンを押す。そのまま市長は苦しそうに頭を抱えて呻く。市内いたるところに設置された監視カメラからの映像が執務室の壁に埋め込まれた50台のモニターに映されている。ミサイルが筒から滑らかに発射され、市の空をゆっくり横切ってゆく映像。音のない静かな映像はまるで嘘みたいだ。市長は呆然とそれを眺めている。そしてミサイルは次々と老婆の住むマンションに吸い込まれ、そのたび一瞬画面を白が輝き、その後は黒い煙の間でオレンジの炎が鈍く光って美しい。カメラのいくつかは爆風で破壊されるがすぐに別の生きているカメラの映像に切り替わってモニターはこの光景を流し続ける。頭を両手で抱えてうつむいたままの市長の髪をつかんで顔を引き上げる。
「ちゃんと見なさいよ。あんたがやった結果だよ」
「私は愛していたんだ、本気で愛していたのに!」
「キャハハ。愛って悲しいね。とっても悲しいね。キャハハハハハ!」
 周辺の住人が推計800人死亡した。
 突然モニターNo.34の端に何かが通った。次にNo.5、黒煙を黒い影が横切った。そして順々にモニターの映像の中を何かが爆撃の中心から外へと進んでゆく。市長と私がじっとモニター群に目をこらしていると突然、50台全てのモニターにあの老婦人の顔が一瞬だけ大映しになった。そしてまた別々の映像を流し始めたモニターは、はっきりババアが市役所に向かって歩く姿をそれぞれ捕らえていた。復讐に恐怖して私は叫びながらボタンを連打した。ミサイルが街を次々に破壊する。けれども執務室の重いドアはついに開け放たれ、光を背負ってババアが現れた。Tシャツには「TRY ME, AGAIN」と書かれていた。市長は犬みたいにうれしそうな顔をして再び老婆を小脇に抱え、執務室を飛び出し、そのまま帰ってこなかった。
 雨降って地固まるとはこのことだ。やっぱり好き合ってる人どうしが一緒になるのってすごくすてきなことだと思う。ついでに私の更年期も終わったみたい。なんだかとてもさわやかな気分だわ。
 みんな私の前から消えて行く。市長も老婆も、ヤクザも800人以上の市民も、更年期も。さみしいけれど人生ってそういうものだ。ほんのいっとき、私の人生と誰かの人生が出会って、別れる。それでいいじゃない。
 彼女は執務室から荒れ果てたさいたま市を見下ろした。そしてくるりと振り向き、背筋をしゃんと伸ばしさっそうと歩きだした。市長選に出馬しに行くのだ。
「I am GOD'S CHILD. この腐敗した さいたまに堕とされた How do I live on such a field? こんなもののために 生まれたんじゃない」


 その後の新市長としての彼女の功績を確認しておこう。
 奈良時代から連綿と続く奇祭「スカパーティー」を柱とした観光資源を開発し、見事に財政を立て直した。当初は市内の主婦を中心とした小さなイベントだったが、一部の男子高校生が参加を始め、その顛末が「スカボーイズ」というタイトルで映画、テレビドラマ化されたことをきっかけに参加者の裾野を広げ、リオのカーニヴァルと並び称される世界最大の祭りに発展するに至った。一部の歴史家たちは「スカ」も「パーティー」も奈良時代の日本に言葉として存在しないし、そもそもそんな祭りはなかったなどと心ない非難を浴びせたが、新市長がミサイルで殲滅していったので大丈夫だった。
 これが現在のさいたま市の全てである。