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創作のブログです。

The Rain of Love ―円い土俵―

 美濃乃里は今年で35になるベテラン力士であったが、その体つきは齢を重ねるごとにエロチシズムをますます掻き立てるものになってゆくのだった。
 肌の張りは失われ、肉は崩れる。美濃乃里は稽古を怠らぬが齢には抗えずに筋と肉のバランスが崩れる。しかしその崩れ具合があまりに扇情的なのである。かつては胸や腹の肉が重力に逆らって正面を向かっていたものが、今では垂れ落ちている。突き押しの力士にはたまらない。突っ張りを当てるたびに乳が、ゆれるのだ。そしてゆれる乳の向こうから何やらエキゾチックな香りがするのである。すると足が止まる。足の運びが疎かになれば突っ張りも威力を失いその先のはたき込みも突き出しも突き倒しも決まらぬ。
 離れて取る力士のみならず組んで取る力士にも辛い。美濃乃里は自らの型をいまだ確立し得ておらず――そのせいで幕下に甘んじている訳だが――右でも左でも相手に合わせて組んでしまういわゆるナマクラ四つの力士であったから、本来取り易い相手であった。しかるに肉の崩れに反して肌は滑らかさと艶を増してしまった。組めば当然肌が触れ合う。その絹をも上回る感触は、触れてはならぬものへ図らずも触れてしまったような禁忌の、抗い難い魅力をたたえた禁忌の記憶そのものであった。もはや呆然とするほかない。その上、組めばエキゾチックな芳香はいや増しに増しているのである。視覚、触覚、嗅覚を奪われて戦える道理はない。


 その場所、美濃乃里は幕下にて全勝優勝を果たした。相手はすべて腰砕けか付き膝で敗れ去るという前代未聞の場所であった。心技体+エロス。数千年来の相撲道に、新たな境地が切り開かれた瞬間だった。
 美濃乃里は狂喜した。冗談のように負けてゆく若い相手達のことは腑に落ちぬものの喜びはその疑問を、権利を主張するような顔をして黙殺した。何せ来場所の十両入りは間違いないのだ。十両以上と幕下以下はまるで異世界である。十両以上になってようやく付き人が付き、給与が支払われる。一人前になれるというわけだ。「おずぼう、あぎらめはいでおかったね」と涙を流す妻を見て彼はしみじみ喜びを噛み締めるのだった。彼の妻は生来の盲目であり、加えていつも鼻が詰まっているタイプの女であり、その上不感症だった。それでエロスの傍にいても平常でいられる。彼とその妻は互いの気質に魅かれ合って夫婦になったのである。


 本人の無邪気な喜びの一方で日本相撲協会は焦燥した。十両に上がれば毎日のようにNHKで全国放送される。あの絶望的なエロスが視聴者にさらされる。国民が発狂する。下手をすれば放送取りやめになりかねない。そうすれば相撲は忘れ去られ、滅びる。
 実はこれまでも故意に美濃乃里の十両入りを阻んでいたのであった。上位で好成績を残しても何かと理由をつけて上げぬよう謀ってきたのである。しかし優勝されてはもはや逃げ場はない。無理に引退させようという声も上がったが、同情の声がそれを上回った。一門の違う親方衆でさえ美濃乃里の稽古熱心さと人柄の良さは伝わっていた。しかも35で初の十両と世間では多少話題になっている。案ずるより生むが易いというし大事には至らないだろうと結局親方衆は特に何もしないことに決めた。水は低きに流れる。
 本場所の合間に地方巡業があった。鋭い立会いを見せて向かって来た田舎の細身の小学6年生力士の真剣な目付きに、ふいに15歳で入門した当時の記憶、その感触が鮮やかに去来し、20年の時間の長さと短さに襲われ、思わず知らず微笑を浮かべながら美濃乃里は小学生を組み止めたのだが小学生にとってはそれどころではなかった。何せその瞬間、小学生の芽生える前の性が突然一気にはじけたのだ。性に目覚めちゃった。観客を喜ばせようとした美濃乃里に両まわしを上手で引かれ吊り上げられると、まわしが体重をダイレクトに伝えて股間を圧迫した。尻の割れ目に食い込んだまわしは肛門付近をほどよく刺激し、前袋は陰茎と睾丸を押さえ付けた。持続する甘く鈍い痛みが全身を覆いほとんど意識は飛びかけ脚は痙攣した。観客のざわつきに異変を教えられた美濃乃里が彼を下ろした時にはすでに彼は白目を向いて失心し、精通を知らせる臭いが美濃乃里の鼻をついた。
 この事件をネタに強硬派親方たちは美濃乃里の解雇を強く主張した。いわく美濃乃里のエロチック・バディは加速度的に艶かさを増している。すみやかに放擲せねば本場所が、角界が崩壊する。外では道路工事の音がうるさく親方たちは声を強めて話さねばならなかったが、声を強めると感情も昂ってくるのだった。理事会が美濃乃里の解雇へと傾きかけるにつれて工事の音はひどくなっていった。ドドドドと板を地面に打ち付けて土を均し固めるあの機械の音だった。ついに隣の席にも声が届かないほど音は増した。会議室のドアが開き、ランマーと呼ばれる土均しの機械を両手で把持したあの小学生力士が爆音を伴って現れた。彼はまわしをランマーにくくり付け、その振動で股間に刺激を与えていた。彼が何か話し始めたが爆音でほとんど何も聞き取れなかった。一人の親方が代表して彼の口元へ耳を寄せて聞き取った。
「あれは事故のようなものです。美濃乃里関に非はいささかも認められません。それどころかぼくは感謝さえしています。すぐにぼくを人目の付かない奥へ運び、誰にも精通を知られぬうちに着替えさせてくれたのですから。観客には同級生たちが全員いましたから、知られれば生きてはいけなかったでしょう。ぼくの尊厳は守られました。ぼくは感激して事の顛末を作文に書きました。それはあまりに感動的であまりに官能的だったために全校集会で発表されました。彼の介抱のおかげでぼくはこうして、また普通の小学生に戻れたんです」
 え、ぜんぜん普通の小学生じゃなくなってるじゃん……と親方は思ったが恐怖を覚えてツッコめなかった。
「これですか? 性的な理由なんてまさか! 移動手段の一種ですね。まあ、セグウェイみたいなものですよ、ハハハ!」
 ドドドドド……。彼はセグウェイを操って去っていった。会議室には暗い顔で押し黙ったままの親方たちが残された。


 そして本場所が開かれた。花道から現れた美濃乃里の姿を目にした瞬間、老人の何人かが死に、一方で幾人かの老人の枯れきった性が奇跡のカムバックを果たした。滅びと復活をもたらす豊饒のエロス。
 3日目を迎えた時点で相撲中継はロンドンハーツを押しのけて「子供に見せたくない番組」1位に選出された。国技なのに。そこでNHKは美濃乃里にモザイクを掛ける対策を実施した。激しく動く物体に対してリアルタイムでモザイクを正確に掛け続けるなどという驚天動地の技術をNHKは既に開発していたのだった。(NHKは皆様の受信料を有効に活用しております。)けれどもNHKの思惑とは裏腹にモザイクはかえってエロさを際立たせた。「見てはならぬもの」を見ているのだという、禁忌を犯す興奮を視聴者に与えてしまうのだった。そして「裏相撲」などと称するモザイクのかかっていない動画がネットに流れ世界中に知られる事態となった。欲情した大量の女がアメリカから海を渡ってトップレスにTバック姿で日本へやってきた。(この破廉恥な風体はSUMOスタイルを彼女らなりにリスペクトした結果である。)一方で人を死に至らしめる謎のエロスを利用しようとアメリカの悪の兵器メーカーが私兵を大量に送り込んだ。
 9日目、チケットを持たぬ女と兵士が国技館内に入り込み土俵に殺到した。早々に全勝で勝ち越しを決めていた美濃乃里だったが逃亡せざるを得なかった。花道を引き返し付き人を振り切り、巨躯に似つかわしくない速さで通路を駆け抜け国技館を後にし姿を消した。
 もはや国際問題にまで発展しかねず政府は自衛隊を出動させようとしたが、相撲協会がまずは自浄能力を示すことになった。700余名の力士総出で美濃乃里の捕縛にあたった。両国一帯をフィールドとした2千人の鬼が1人を追いかける鬼ごっこが始まった。
 兵士たちは最新便利アイテムを携行していた。力士を専用の袋に詰めて密封し、掃除機で中の空気を抜くとコンパクトに力士を収納できる道具、力士圧縮袋という。日本の布団圧縮袋にヒントを得てNASAが開発したものである。当初、美濃乃里の輸送コストを低減させるために用意されたが、対抗勢力たる力士共を制圧する手段として活用されることになった。力士たちは次々に圧縮されていった。他方、トップレス・Tバック女どもは兵士達を骨抜きにした。美濃乃里が一向に見つからぬ事態に業を煮やした女どもが兵士たちで欲望を満たそうとしたのだ。そこかしこで淫らなアメリカンドリームが繰り広げられた。女どもは兵士に抱かれるたびに艶やかさを増していったが兵士達はみるみる間にやつれ果てていった。そして女どもは力士らへもアメリカンドリームを仕掛けたが無駄だった。日本のうぶな力士らはどん引きし、女どもは拒絶にいたく傷ついた。均衡のとれた三つ巴はこうして完成した。


 力士と兵士とビッチで溢れかえる混沌とした両国で一人の女があてどもなく人や物にぶつかりながら進んでいた。
「あいんいっいー。あいんいっいー」
 消えた夫の名を呼び続ける妻の姿がそこにあった。目の見えぬ女は闇の中で聴覚を研ぎ済ませる。英語のあえぎや怒号、嗚咽、掃除機の音……どれほど音の固まりをほぐしてみても夫の慈愛に満ちたあの声は見当たらない。それでも名を呼びその返事を捜し続ける。


 自分の名を呼ぶ声を彼は確かに聞いた。「美濃乃里」という四股名ではなく本名を呼ぶ声を。そしてそれは確かに妻の声だった。見知らぬアパートの二階のベランダへ身を潜めていた彼は、密かに下の様子を伺った。力士と兵士とビッチで埋め尽くされた広い表通りに沿って視線をずっと向こうへやると、間に妻の見慣れた赤いワンピースの柔らかな布が確かに翻弄され、見え隠れしているのだった。
 ベランダの柵を掴み、足を掛け、踏み切り、美濃乃里は鮮やかに二階から跳んだ。地面を埋め尽くしていた者らが思わず見上げるが、妙に明るく厚い曇り空のバックライトに阻まれてそれは黒い影にしか見えなかった。彼らは誰もそれを美濃乃里とは認識し得なかった。しかし彼らは美濃乃里に触れもせぬまま弾き飛ばされた。着地した一点を中心として正確に227.5cmの半径で人垣が退いた。エロスは物理的に人々を排除した。美濃乃里は妻のいる方へ駆け出した。半径227.5cmの空白とその中心点が道を北方へと移動してゆく。そして移動する円の中へ揺れる赤い点が外周から現れ、ついに中心点と一致した。


 真っ暗闇の中、周囲を取り囲む雑音が一斉に遠のいたかと思うと、左右の二の腕を力強く掴まれ、体を引き上げられそのまま熱い肌に押し当てられた。耳許で押し殺し切れなかったような短く太い声で自分の名前が漏れるのを彼女は聞いた。
「あいんいっい!」
 夫の名を叫び返して彼女は夫の腕から逃れた。
「あだじとずぼーとって(私と相撲取って)」
 美濃乃里は妻の提案に虚を衝かれた。
「ぼんばいょば だべにあっあげぼ(本場所は駄目になったけど)、あだじあ あばーみ ずぼーぼどっでぼじー(私はあなたに相撲をとってほしい)。ずぼぼぼ(相撲を)、ちーん、精一杯とるあなあが、ずいばおぼー(好きなのよ)」
 彼女はワンピースを脱ぎ捨てた。真紅のワンピースは風を孕んでゆっくりと落ちてゆく。その手前で白い肌に漆黒のまわしをつけた妻は、穏やかに真っすぐ立って、鼻水をさめざめと流している。美濃乃里は意を決した。夫婦のハッケヨイ、そして半径227.5cmのスーパーエロスゾーンは土俵そのものとなった。しかし押し出しはあり得ない。美濃乃里が動けば円い人垣も正確に移動する。相手を地面に倒すか倒されるか、このプリミティブな相撲、周囲で見守る人々が俵、相撲節会
 思いのほか速い立ち会いを見せられて美濃乃里は慌てて張りに行ったが、妻はさらに身を沈めたために右腕は空を切った。立ち会いの張りというものは立った後で繰り出そうとしても遅いのだ。体が崩れたところへ両差しを許した。極めて低い位置から妻は足を跳ばして夫の右足首を刈ろうとした。柔道で言う小内刈である。一瞬早く体勢を立て直した美濃乃里は足を引き、刈りを食らわずに済せた。落ち着きを取り戻し両上手をとる。一般的な女性よりは上背のある妻だがその割に軽い。いくら両差しを許したと言えどこうなっては負ける道理が無い。妻を一気に吊り上げた。まわしは彼女のミステリアス・スポットを突き上げた。彼女は絶叫し、後れ馳せながら彼女の性が花開いた。性の開花宣言や! そして乳を吹き出した。閉ざしていた感覚を開いて乳まで出し始めた妻を目にしてたまらず美濃乃里も乳を吹き出した。
 両国に乳の雨が降り注いだ。妙に明るい曇天の日は強いコントラストをもたらしていた。圧縮されていた力士は乳に濡れてふくらみ、兵士とビッチのアメリカン・ドリームも乳を浴びておだやかな気持ちを取り戻した。紛れも無く愛だった。欲望に突き動かされるだけの性では駄目だ。愛なのだ。ぜったいに。
 土俵が崩れる。スーパーエロスゾーンが絶対的ではあり得なくなる。それは美濃乃里の扇情性の衰亡を意味する。なだれ込んだ力士や兵士やビッチたちも愛を感じて乳を吹き出した。屋内に控えていた一般人も表へ踊り出し愛を感じて乳を出す。愛が伝搬してゆく。
 天気予報で石原良純が「日本全国、乳の雨でしょう」と宣言する。そして自らも服をまくり上げ、カメラに向かって発射する。天気予報が終わって安藤優子木村太郎も発射する。愛は海を渡る。世界中の人々が噴出する。もはや美濃乃里夫妻の特権性は失われた。一昼夜の愛が世界を満たした。そして愛を通過した世界は満足して再び穏やかさを取り戻す。エロを失った美濃乃里は十両を陥落して引退した。まったく穏やかな顔をして納得しての引退だった。兵士もビッチもとうに帰国した。元美濃乃里は料理屋を開いた。夫婦でいとなむ小さな料理屋。しかしうるさい。耳が壊れそうな爆音はまわし姿の妻がランマーを手放せないからだった。