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OjohmbonX

創作のブログです。

イチローだけじゃない、世界で活躍する日本人

 ゴキブリだった。すぐ目の前にいたが、じっと動かないから気づかないでいた。認識し、驚いて「ワァオ」と声を上げる直前に、乾いた大きな音がしてゴキブリは弾け飛び、粉々になった。心臓が跳ね上がって反射的に後ろを振り返ると、安楽椅子に身を沈ませたままオートマチックのハンドガンを、大きな片手で包み込むように構えるグランマの姿があった。今年で80の古き良きアメリカのグランマが、大型のハンドガンを手にする事態もさることながら、驚きは何より、その銃口が俺に向けられていることだ! 既にハンマーは起こされ、トリガーにはグランマのしわしわの指が掛けられていた。
「ヘイヘイ、冗談はよしてくれよグランマ、俺はあんたのかわいい孫なんだぜ、それを」
 乾いた大きな音と同時に、額に衝撃のような熱が走るのを彼は最期に感知したが、それきりだった。


 さあて、もう後には引けない。この手であたしはろくでなしの孫をやっちまったんだからさ。昔はかわいかったもんだ。おばあたま、おばあたまってあたしの回りをよちよちちょろちょろしてたのが、あの有り様だ。女をとっかえひっかえ連れ込んではセックス三昧。あたしがじいさんと愛を育んだあの部屋で! オオッ、マイ・ゴッド。これもみんな、あのジャップのババアの悪い影響だ。
「こんにちは。あたしはローズマリー。この町にあんたが来る前からずっと住んでる女だ。ジョーイって知ってるかい? 忘れたとは言わせない。昔あんたのところでJUDOを習ってた男の子だよ。あたしの孫さ。ジョーイが今朝死んだ。あんたのせいで。あんたがこの町に来てからいろいろおかしくなっちまった。具体的には、ジョーイが死んだことくらいしか思いつかないが……あとはゴキブリが近ごろ増えているのもたぶんあんたのせいだろう。JUDOみたいな得体の知れない術でゴキブリを増やしてる。あんたがあたしの町をおかしくしてるんだ。あたしはもう、堪忍袋の尾が切れた。覚悟するんだね」
 町外れの合気道場に(ローズマリーはJUDOだと思っているが)イラク、アフガン帰りの屈強なガイズを20人ほど引き連れてローズマリーは現れた。ガイズが道場主ヨネコに襲いかかる。ヨネコはほとんど動いていないように見えたが、アーミーナイフを手に襲いかかるガイズたちは訳も分からぬまま、気づいたときには宙を飛んでいたり、床に滑るように引き倒されたりしていた。ようやくヨネコが動いたのは中距離から残り最後のガイがハンドガンを構えた時だった。しかしそれも移動したと誰も認識し得ないうちに小柄なヨネコはガイの懐に納まり、同時にガイは呻いて板張りの床に崩れ落ちて絶命した。
「オッテリブル!」
 6フィート半の巨躯を有するローズマリーは、四尺半のヨネコに5本を束にしたバットを振り下ろしたが、ヨネコは目前から消失し、
「柔よく剛を制す、と申します」
 ローズマリーは一瞬で全身がぐちゃぐちゃになった。


「こちらがミセス・ヨネコ、すばらしいBUSHIDOの女性だ。今夜は泊まっていただく。みんな最高級のもてなしをしな。さあ、ヨネコ、自分の家と思ってくつろいでくれ」
 ローズマリーは電動の車椅子であちこち忙しなく立ち回った。ヨネコのBUSHIDO(?)のこころに触れてたちまちヨネコに心酔したのだった。(全身はぐちゃぐちゃのままだが。)そうして寡婦であり子も無いヨネコを家に招いた。ローズマリーの家族はみなヨネコを暖かく歓迎した。とりわけ、ジョーイの弟Naruto(元トミー)はうれしさあまって気がくるいそうだった。
「オレ、日本大好きダッテバーヨ。だって、すごく大好きだから自分の名前をNarutoにしたんダッテバーヨ。みんなはずっとトミーって呼ぶけどね……ダッテバーヨ」
 いや、ヨネコが来る以前からすでにNarutoの気は狂っていたのかも知れなかった。Narutoはヨネコに始終まつわりついた。
「ヨネコ、どうやってチャクラを練るダッテバーヨ」、「卍解してみてダッテバーヨ」、「時代は東方エロダッテバーヨ」
 ヨネコはそんなNarutoへにこにこと微笑をたやさなかった。微笑したまま、Narutoを殺害した。ローズマリーの家族はNarutoを裏庭の、ジョーイが眠る隣へ埋葬した。家族も常々Narutoをウザいと感じていたので特に誰も文句は言わなかった。何もなかったことにした。その後もローズマリーたちはヨネコを家族のように扱ったが、彼らは徐々にヨネコへ違和感を覚え始めた。ヨネコは掃除の行き届かなさや、料理の味の濃さを指摘し始めた。それも、極上の嫌みったらしさを伴って。彼らは日本の伝統的な姑システムに対して耐性を持っていなかった。ローズマリーの家族は増長するヨネコの排除を求めたが、ローズマリーはそれをかたくなに認めなかった。
 なにせ、毎夜毎夜ベッドの中で、ヨネコのBUSHIDOによってローズマリーの40年来涸れていた泉が嘘のように潤いを取り戻すのだ。ヨネコのかさかさの指と、ローズマリーのかさかさのローズマリーが触れ合って湿潤さを取り戻すなど、全く奇跡である。
「剛と剛から柔が生まれるということも、あるものですよ」
 そのたびにローズマリーの全身は熱を帯び、緊張と弛緩がないまぜになる。ヨネコが自分のベッドから消えてもしばらくは、まったく思考が焦点を結び得ない。昼間、唐突にあの毎夜の奇跡を思うとローズマリーはほとんど発狂しそうになる。一気に全身の力が抜ける。あの体験をどうして手放せようか。ヨネコを放擲して再び涸れた生を生きよと言うのか。あり得ぬ。
 しかしますます冗長するヨネコにローズマリーの家族はたまりかねた。ヨネコは庭にバンブーを生やしたり、バス・タブをヌカ・ドコに改造したり、家中にソーメン・スライダーを張り巡らせたりしていた。日本ではこうして姑が厳しさで接して嫁を立派な妻に鍛え上げ、最後には老いさらばえた姑を嫁が介護する段になって激烈に苛め抜き復讐する、という一般的な嫁-姑スタイルを、軟弱なこのアメリカ人どもは理解し得なかった。怒り心頭、ヨネコを殺害することになった。武器を持ち出す家族をローズマリーは低く諭した。
「やめな。人命は何よりも貴いものだ」
「でもおばあちゃん、ジョーイを殺したじゃないの!」
「えへへ。たしかに。じゃ、しょうがないね」
 ローズマリーの懸命の説得も虚しく、家族を押し止どめることはかなわなかった。しかしヨネコの姿は既に家の中にはなかった。殺気を感じ取って逃げたようだ。ローズマリーは安堵すると同時に、もうヨネコがこの家に来ることは無いのだと知ると喪失感はあったが、取り乱したりはしなかった。まだ殺気立つ家族が押し黙って集うリビングから、窓外を眺めた。夏の夕暮れはまだ暑い。傾いた日差しが表通りと家の中を強く射している。通りの端に漆黒のロールス・ロイスがゆっくり嘗めるように迫ってきた。近づくに従って、運転席のヨネコに気づいた。そうして家の手前でパワーウィンドウが滑らかに開き、黒い銃口が差し出されるのを見て、ローズマリーは咄嗟に車椅子から転げ落ちるようにして床に伏せた。直後、ひどい雨が降るような音がして居間に集まっていた家族たちの体の、窓を向いた側の至る所から血しぶきが上がり、居間の置物は弾け飛び、ソファからは羽根が散った。そして静けさが戻った。家族たちはめいめい疲れきった人のように床や椅子に倒れ込んでいた。羽根がゆっくりと舞落ち、壁に開いた無数の穴から夕日が線上に床に降り注いでいた。


 さすがにマシンガンで家族を皆殺しにされるに至り、ローズマリーはヨネコを許しがたく思った。家族を皆殺しにするのはいいとしても、マシンガンを使うなど全くBUSHIDOに反している、許せない。ローズマリーは警察に訴え出たが、警察はそれを無視した。警察幹部たちには、かつてヨネコを逮捕しようとして返り討ちにあい警察官を皆殺しにされた苦い記憶――そしてときに甘く切なく、思い出すたび胸を締め付け、エクスタシー寸前に似た全身のうずきをもよおさせるやわらかい記憶――があったから、ヨネコには二度と手を出さないようにしていたのである。逆にローズマリーがジョーイを殺害した咎で逮捕されてしまった。まったく、かわいい孫を殺害するなど鬼の所業であるから逮捕されて当然である。私たちはローズマリーがしっかり罪を償って出所することを願うものである。もっとも、出所したところで年老いているし体はぐちゃぐちゃだし家族は全員死んでいるしどうするんだろうね! がんばってね!


 ヨネコが指笛を高く吹くと、町中の家々からゴキブリたちが這い出てきた。合気道の得体の知れない術を使ってヨネコは町中でゴキブリを増加せしめていたのであった。漆黒に輝くロールス・ロイスとそれに連なる数万匹のゴキブリは町を去っていった。(ちなみに、ロールス・ロイスもゴキブリでできている。だから黒いの。)この町で十分日本の素晴らしさを伝えきったヨネコは、次の町を目指すのである。
 なお、ヨネコはNHK製作・毎週火曜22:00放送の『プロフェッショナル 仕事の流儀』に出演予定である。