OjohmbonX

創作のブログです。

ある女の生涯

 父と母、弟とぶどう狩りへ行った。農園に着くと鬼軍曹みたいな人が出てきた。
「貴様ら、ここへ来たからにはぶどうを狩るか、ぶどうに狩られるか、2つに1つだ」
「ええと、いったいどういうことですか……」
「貴様らが口にできるのは、『イエス、サー』だけだ!」
「ぎえぇ」
 父は腕を折られた。敗退。
「わあ、お父さん!」
「『イエス、サー』だけだ!」
「ぎえぇ」
 弟も腕を折られた。敗退。
 二人はぼろ雑巾のように隅っこに捨てられた。彼らはもはやこのゲームに参加できない。自業自得だ。
 そのとき母がもぞもぞし始めた。尿意のサインだ。しかしトイレがどこにあるかがわからない。その上「イエス、サー」しか口にできない。さあ、どうする。
「イエス、サー。イエス、サー」
 母はがに股で、「イエス」のところで右の握りこぶしを股の前に位置せしめ、「サー」のところでこぶしを開いた。グッ、パー。これは母なりの尿の表現らしい。パーが尿のほとばしる様を表す。しかし同時にもう片方の手を頭の上でグッパーさせる意図が不明だし、パーのところで白目を剥いて舌をだらりと出すのも理由が計り知れない。この母、頭がパーなのである。
「イエス、サー。イエス、サー」
「なんだ、それは?」
「じょー」
 母は尿を漏らした。敗退。
 残されたのは、私ひとり。
「後は貴様だけだ。俺の訓練は半端なものではない。ついてこられるか」
「イエス、サー!」
「女と言えども、容赦はしない」
「イエス、サー!」


 5年後、私は立派な女戦士になっていた。鬼軍曹との間には信頼以上のものが生まれ、私たちは結ばれた。2男1女をもうけた。次男は小学3年生のとき、ぶどうに狩られて死んだ。弱い者が死ぬ。これは避けられない。私は悲しみを乗り越えた。
 長男が15になり、私は全ての真実を語った。その庭に転がっている2つのしゃれこうべが彼の祖父と叔父、すなわち私の父と弟の成れの果てであること(私たちは皆、人の屍の上に生きているのだ)、彼の祖母・私の母が現在、史上最強の女戦士「おもらし加奈子」としてフランスの外人部隊に所属していること、私たち家族が「イエス、サー」のみでコミュニケーションをとっている理由(もちろんこの話も全て「イエス、サー」の抑揚とテンポで語って聞かせている)……
 しかし長男は高校受験に忙しかったため聞き流された。
「ぃぇっすぅんぬ、さぁぉぉぉ(母さん、俺勉強してるんだから邪魔しないでよ。また明日聞くわ)」
 偏差値57の公立高校に合格した。私はうれしい。
 一方、長女は家出した。


 結局、長男は大学に入学したものの中退、「笑っていいとも(森田一義アワー)」のレギュラーになった。そういう人生も、あると思う。ちなみにタモリの影武者としての出演だった。「イエス、サー」しか言えないハンデを背負いながらもタモリの影武者を立派に果たす姿は噴飯ものだった。


 子供たちに手がかからなくなって、私はヤフオクにはまった。手始めに夫を出品したら2万3千円になった。即決価格を15万円に設定していたので、正直言えば期待外れだったけれど、仕方がない。
 庭にあるしゃれこうべも2つセットで売った。7万2千円になった。


 そうこうしていたら体調が悪くなって死に瀕している。やっぱり「たけしの本当に怖い家庭の医学」は馬鹿にするもんじゃないね。早めに病院に行けば良かった。春だ。開け放った窓から暖かい土の匂いが流れ込んでくる。でもまあ、私みたいな女戦死がこんなに長生きして、タタミの上で死ねるなんて奇跡みたいなもんだ。ま、看取ってくれる家族は一人もいないけどさ。と諦念を持っていたところへ長女が現れた。あれ、世の中捨てたもんじゃないね、死に目に会えるなんてさ。
「YEEEEEES, SIR!!(悪いんだけど私、やっぱりお母さんやこの家、まだ許すことできないよ)」
 娘は私を抱え上げて光の射さない台所の冷たいフローリングの床に寝かせた。あれあれ、畳で死ねないのかよ。
 でも、ま、しょうがないね。バイバイ。