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OjohmbonX

創作のブログです。

オヌメサンバ

 産婆のオヌメはこのあたりの村の女達から恐れられていた。オヌメは取り上げたばかりの赤ん坊を出てきた穴にまた出し入れするからである。女達にとって地獄の痛みである。しかしオヌメの取り上げた子供達は一人残らず丈夫に育ったから誰も文句は言わないのである。痛みはその場限りのことで忘れて、目の前の子供達はいつまでも元気でいるから母親達はかえってオヌメに感謝するのである。恐れながら感謝するのである。


 産気づいた娘のオノを見て母親のオサダが叫ぶ。
「ホラァッ、オヌメ婆を呼べェ。」
「おっか、おっか、オヌメ婆は勘弁して。おっかが取り上げ!」
「馬鹿ァ。てめえもオヌメ婆に取り上げてもらったぁ。てめえのガキもオヌメ婆に取り上げてもらうに決まってる。」
 オヌメは隣村から山を二つ越えてやってくる。もう六十を越えているのだが猿みたいに早いのである。いつの間にかもういる。
 オヌメがオノの腹をなでる。すると呻き通しだったオノの息が急にととのう。それで赤ん坊がぬるっと生まれるのである。産声が畑をふたつ越えてとなりの家まで届く。
 オヌメは手早く臍の緒を切り、赤ん坊を取り上げる。そのまま赤ん坊をくるりと回して頭を母親のまたにあてがって、一気にはめるのである。これはとんでもない痛みである。女の半分は気絶する。気絶するとオヌメは女をぶっ叩いてすぐ起こす。女のもう半分は爆発するみたいに叫ぶ。叫び声が山をひとつ越えてとなりの村まで届く。
 オヌメは赤ん坊を引っこ抜く。これもとんでもない痛みである。そうして四、五回は出し入れする。調子がいいときは十回もやるのである。ゴサイ村のオキチは、初産の息子の峰蔵のときに二十回も出し入れされたことを自慢にしていて、いつもすぐそのことを言って嫌われているのだが、それは嘘なのである。本当は八回だった。だが本人は二十回と思っているのでそれでいいのである。


 このあたりの村には呆けんたと呼ばれる男や女がいる。どの村にも二、三人はいるものである。この者達は生まれてからずっと惚けて笑っているのである。畑も田んぼもやらずに勝手に人の家にあがりこんで飯を食い、勝手なところで寝るのである。そうして村の者たちも呆けんたを好きにさせておくが、七年ごとに山へまとめて捨ててしまうからよいのである。だが村に戻ってきてしまう呆けんたもいる。それはまた勝手にさせておくのである。そして七年後にまた山へ捨てる。たまに四十を越えたような呆けんたもいるが、これは五回も山から戻ってきた計算になるのである。
 赤ん坊を出し入れされて叫ぶちからもなくなった女は、気絶も許されずに目汁も鼻汁もよだれも垂れ流す。これを村では、呆けんたになった、と言っている。ただ子供を生んだだけではだめで、一度呆けんたにならないとだめなのである。これで本物の嫁になるというのである。この辺の村の者達はこれをもうずっと前からそういうものだと思っているが、そんなことはなく、これはオヌメの出し入れが始まった後から勝手に言われ始めた謂れである。


 オサダは少し落胆した。オヌメが出し入れを三回でやめてしまったからである。自分のときは五回だった。これで赤ん坊は大丈夫だろうかと心配になった。それでオサダは、恨めしそうな目をしてオヌメに言うのである。
「オヌメ婆。もういっぺん入れた方がよくねぇか。」
 だがオヌメは、
「いやぁ。いやぁ。」
と言うばかりである。オサダはもういっぺん、
「オヌメ婆。もういっぺん入れた方がよくねぇか。」
と言ったが、オヌメはやはり、
「いやぁ。いやぁ。」
と言うばかりでもう片付けにかかっているのである。
 オサダも、オヌメがそう言うのでもう何も言わない。だが五回出し入れしたことにしておこうと思っている。別にオヌメは人に回数を言い触らしたりはしないし、オノは数を数えていられるような余裕はなかったから、オサダが五回と言えば、それで五回になるのである。これでオノと、生まれた赤ん坊に自信がつけばそれでいいのである。


 実はここ一、二年でオヌメの出し入れする回数はめっきり減っているのだが、どの家も他人には少し回数を増やして言うせいでそのことを誰も知らないのである。ただオヌメは自分でわかっていて、それは齢のせいだと思っている。オヌメは六十を越えているが、本当は六十になるとこのあたりの村の婆や爺は山に捨てることになっている。だがオヌメがいなくなると出し入れできる産婆がいなくなるからと請われて、オヌメはまだ山に行かない。六十を迎えるまではオヌメ自身も、まだまだ、と思っていたのであるが、六十を過ぎると途端に衰えを感じて、自分ではもう七十だと思っているが本当はまだ六十二なのである。しかし本人は七十だと思っているので、十年もいらない齢を生きたしもう潮時だと思っているのである。それでオヌメは帰りに腕を潰したのである。
 オサダの家を出て山道を帰る途中で、オヌメは呆けんたの伴太に会った。ちょうどオヌメが、机石と呼ばれる文机くらいの、天が平らな石の上に腰掛けて休んでいたところへ、反対側から伴太が現れたのである。伴太は四十九になる呆けんたで、ついこの間七回目の山捨てからまたひょっこり村へ帰ってきたばかりである。伴太は度外れた怪力だから、オヌメはちょうどいいと思って机石を降り、その上へ両腕を投げ出したかと思うと、
「おん、そこの岩持って潰せェ。」
と伴太へ呼びかけた。伴太は、ごぅごぅ笑って大岩を持ち上げ、それをオヌメの腕へ落として潰したのである。


 腕が潰れれば産婆は廃業である。
 困ったのはエヅ村のオゴエである。もう一月もない腹ぼての娘、ノエの出産はオヌメに頼む腹づもりでいたからである。せめてと思い、出し入れのやり方を聞いてみるのだったがオヌメは
「なぁんも。ただハメたり、ヌイたりするだけだぁ。」
と答えるばかりで困ってしまうのである。しかしオゴエが困っても、オヌメも困ってしまうのである。実際、やり方などなく、ただ出し入れしているだけである。母子を丈夫にする秘術などではなく、出し入れはただのオヌメの趣味である。オヌメの取り上げた母子達が元気だったのはオヌメの取り上げ方が上手いだけで出し入れとは関係が無いのである。
 だがオゴエがあんまりにも困ったような顔をするものだから、オヌメも気の毒に思って、
「あれぁ伴太に教えてある」
と言うのである。嘘である。ふと顔が浮かんだから言ったまでなのだが、これでオゴエの気分が楽になるならよいのである。
 オゴエはびっくりして、
「えぇっ、あれぁ呆けんただ。」
と問い返すが、オヌメは
「だ。」
と言うだけである。オゴエはまだ信じられなくて
「しかも男だ。」
と言うが、オヌメは
「だ。」
と言うだけなので、オゴエはもう何も言わないのである。これで伴太が産婆がわりになるのである。
 オゴエがいなくなって家で独り、オヌメはオゴエの顔と、ノエの顔と、伴太の顔を思い浮かべる。伴太はあの怪力でたぶん赤ん坊をむちゃくちゃに出し入れする。
「おっ母もめめちゃんも死んじまうだろなあ」
と思うとオヌメは涙がぽろぽろ出て仕方ないのである。若い嫁ごが死ぬのは哀しいし、新しい子供が死ぬのも哀しいのである。涙がぽろぽろ出ても、萎えた手では拭けないので、オヌメは前のめりに倒れて床に捨ててあるボロに顔を押し付けて拭うのである。
 ノエはもう今夜にでも明日にでも子を生むかもしれない。それで股裂けで死んでしまう。それは哀しいし、手萎えの自分が村の者達をこれ以上煩わせるのはいけないのでオヌメはすぐに山へ入ることにしたのである。


 お山入りは惣領息子に背負われていく決まりである。息子がいない者は、兄弟の息子か、それもいなければ姉妹の息子か、それもいなければ弟である。誰もいなければ同じ村の男が当番で背負うのである。オヌメには誰も身内がいないから村の者が背負うはずだが、オヌメは無駄に長く生きた負い目があるから申し訳ないのである。
「オヌメ婆、お山に入るのかぁ?」
と途中で呼び止められても
「だぁ。」
と答えるだけである。
「男をつけんと、だめだぞ。」
と言われても
「いやあ。一人でいいよぉ。」
と自分でさっさと山へ入ってしまったのである。
「猿みてぇだから、ひょっと戻ってくるかもしんねなぁ。」
と村々の者達はしばらく言い合っていたが、オヌメは山へ入ったきりだった。